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好調・野中悠太郎騎手。昨年の長期に及ぶ海外遠征が彼の何を変えたのか?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
昨年の海外修行後、見事な成長をみせる野中悠太郎騎手

無謀ではなかった海外遠征

 「海外へ行ってみたいんですけど……」

 はっきりとは覚えていないが野中悠太郎から最初に相談を受けたのは昨年の年頭くらいだったろうか。それからしばらくして、彼はアイルランドへ飛び立った。かの地に滞在する事、実に7カ月。帰国した彼は今年、飛躍的に成績を伸ばしている。

昨年遠征したアイルランドでの一葉。中央が野中
昨年遠征したアイルランドでの一葉。中央が野中

 1996年12月29日、福岡県の小倉で生まれた。父・浩、母・浩美。2人兄弟の弟として育った。

 幼少時、モノレールに乗っている時に少し変わった名前の駅名を不思議に思い、父親に聞いた。駅の名は『小倉競馬場前駅』。それが彼の競馬との出会いだった。

 2009年の夏には父にその競馬場へ連れて行ってもらった。その日のメインレース、小倉記念はダンスアジョイが優勝した。

 「全く人気のない馬(18頭立ての16番人気)が凄い追い込みを決めて勝つのをみて、競馬って面白いなと感じました」

 その後、乗馬を始めた。競馬学校を受験すると一発で合格した。15年3月には美浦・根本康広厩舎からデビューを果たした。しかし、初勝利は7月19日。1年目は4勝するにとどまった。

 「なかなか思ったような競馬が出来ず、悔しいし、不甲斐ない気持ちでいっぱいでした」

 そんな気持ちが態度に出たのを、先輩騎手にとがめられた。

 「同じ厩舎で兄弟子の(丸山)元気先輩に『もっと普段通りの明るい面を出した方が良い』って言われました」

 2年目からは素を出すように心掛けた。経験を積んだ事もあり、成績は徐々に上がった。2年目の16年は11勝、翌17年は13勝を挙げる事が出来た。

 そうして迎えた18年に、冒頭で記した海外遠征を敢行した。多少の無茶は承知の上。しかし、無謀ではなかった事が、当時の言葉にみてとれた。

 「減量制度がデビュー後、5年間に延長されました。帰国してからも減量がある今のうちに、一度、思い切った行動をとってみようと考えました」

 18年3月末にアイルランドへ飛んだ。騎手時代、短期免許での来日経験もあったジョン・ムルタ厩舎で汗を流した。

ムルタ厩舎での野中
ムルタ厩舎での野中

 現地のルールもあってしばらくはレースに乗れず、毎朝の調教をこなすだけの日が続いた。2カ月、3カ月と経つうち、さすがに精神的にキツくなる事はなかったのかを聞くと、首肯して口を開いた。

 「もちろんありました。何のためにここまで来たのかな?と悩み『帰国した方が良いんじゃないか?』と考えた日もありました。でも、自分で決めて来たのだから、ガムシャラに頑張ろうと決意を新たにしました」

ピンチをチャンスに変え、急成長

 そういう姿勢が認められた。競馬での騎乗依頼を少しずつだがもらえるようになった。決して多い依頼を受けたわけではないが、そういった一見ピンチと思える状況も、心の持ち方一つでチャンスに変えた。

 「乗れないからこそ、1レースの騎乗を大事に、少しでも何かを掴めるようにと心掛けて乗りました」

 様々なトリッキーなコースで騎乗出来た事もよい経験となり、彼のひきだしを増やした。乗れない日も競馬場へ行ってレースを観戦した。最終的にはかの地のトップトレーナーであるエイダン・オブライエン厩舎でも調教に乗る日々を送った。

愛チャンピオンSも観戦。年度代表馬となったロアリングライオンに目を凝らす野中(右から2人目。前列)
愛チャンピオンSも観戦。年度代表馬となったロアリングライオンに目を凝らす野中(右から2人目。前列)

 こうして暮れに帰国。今年は2月半ばから3月にかけての6週連続勝利など、先週の5月26日までに12勝。17年に記録した自身最多勝の13まですでにあと1つと迫っている。裏開催で乗る事はほとんど無く、東京や中山といった本開催とされる競馬場で乗っている事を考慮すれば、立派な数字だ。明らかにアイルランド遠征前と後とでは成績が変わっている事が分かるが、果たしてその要因は何だと本人は考えているのだろうか……。

 「まず耐える毎日だった事でメンタルが鍛えられました」

 例えば遠征前は人気馬に乗ると負けた時の事を考えて緊張したが、今ではネガティブな事は考えないようになったと言う。また、騎乗馬に対する先入観も持ち過ぎないようになったのも、毎回、違う馬に乗っていた海外での副産物だと続けた。

 「以前は自分なりに考えていたその馬のイメージに合わせて乗っていました。例えばポンとゲートを出てもその馬が差し馬なら抑えていました。でも、今は無理にそうする事はなくなりました。たとえ差し馬でも、好スタートを切ればその位置で流れに乗せるようにしています」

 もちろん個体差はあるので全てのケースでそうしているわけではないと付け加える事も忘れない。その上で、更に言う。

 「違う形の競馬をした時も、オーナーや調教師に自分なりに説明が出来るようになりました」

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 今年の12勝のうち、1番人気に推されていたのは僅か3頭しかいない。逆に4番人気以下での勝利は単勝97・6倍の11番人気で勝ったニシノアマタを含め7頭もいる。人気薄で勝つのが上手いとは言わないが、評価以上に好走をさせているケースが多いのは事実である。

 「海外修行をしたお陰で、小学生の頃から憧れていた武豊さんと話す機会も増えました。『国によって流れも馬場も違うから自分のスタイルを貫きつつも微調整して乗る』という助言をいただき、勉強になりました」

 また、松岡正海や田辺裕信、三浦皇成らからもしょっちゅうアドバイスをもらっていると言う。

 「田辺さんからは『考える事をやめてはいけない』と教わりました。それ以降『どう乗ってもダメだったな……』と諦める事はなく、どうすれば一つでも着順を上げられたかと常に考えるようになりました」

 海の向こうで成長した若武者の更なる活躍を期待したい。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

なお、野中悠太郎騎手を招いて、平松さとし著「泣ける競馬」出版記念トークライヴが6月3日(月)、新宿で行われます。残席は僅か。来られる方は是非、お越しください。

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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