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 技能実習生が国会に手紙(後編)「仕事が除染とは知りませんでした」「日本に来てがっかりしました」

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供

 外国人労働者の受け入れ拡大を盛り込んだ入管法改正案の審議が、衆院本会議で始まる一方、日本で働く外国人技能実習生から困難な状況を訴える声が上がっている。

 筆者は11月15日付の「技能実習生が国会に手紙(前編)『除染をさせられました』、技能実習のやり直し求める」で、日本で除染労働に従事した1人のベトナム出身の男性技能実習生、チャン・スアン・ズイさん(仮名、35歳)さんが、技能実習のやり直しを求め、国会にあて手紙を書いたことを伝えた。今回はズイさんが手紙を書くに至った経緯を報告する。

 

◆切り詰めた「生活」

 ベトナムでは、政府が掲げる移住労働者の送り出し政策と、労働者送り出しの実務を担う営利目的の仲介会社を核とする国境を超える移住産業の広がりの中、労働者が仲介会社に手数料を支払い海外に出るシステムが構築されてきた。

 手数料は国ごとの「相場」があるが、特に日本は高く、時に100万円を超える。これだけの金額になるのは、手数料がブラックボックス化していることがある。ベトナムの送り出し機関や日本の監理団体の関係者からは、個人のブローカーが間に入るケースがあることに加え、日本側の監理団体や企業に対する接待やキックバックなどの費用が、この手数料に上乗せされているとの話を聞く。

 そして、高額の手数料を支払うために、労働者が借金をすることが常態化している。ベトナム人技能実習生は借金漬けの状態で来日し、就労しつつ、借金を返していくことになるのだ。

 働きに行くために大きな借金を背負うという、いわば借金漬けの労働者を生み出す移住労働のあり方は問題がある。実のところ、技能実習生の支援者のみならず、送り出し機関や監理団体の関係者からも、この異常に高額の手数料や接待・キックバックの存在を問題視する声が聞かれる。とはいえ、一度動き出した移住労働者送り出し/受け入れのシステムはそうやすやすとは止まらない。

 ズイさんはもともと日本へのイメージが良かった上、「日本は稼げる」「技術を学べる」という話を聞き、日本に大きな期待を持った。そして、ハノイ市にある仲介会社(送り出し機関)に110万円の手数料を支払った。この資金はすべて銀行からの借り入れで工面しており、他の多くのベトナム人技能実習生と同様に、ズイさんは借金漬けの状態で来日することになった。

 2015年に日本にやってきたズイさんは、監理団体の施設で1カ月間の講習を受けた後、福島県内の建設会社A社で就労を開始した。建設の仕事は現場が何度も変わることも少なくない。福島県内の郡山、本宮、浪江、宮城県の仙台、さらに千葉と、いくつかの現場をまわり仕事をした。

 建設の仕事は朝が早い。ズイさんたち技能実習生は午前5時に起床し、共同生活をしている寮の台所で朝食の用意をした上で、お昼に食べるお弁当を作る。

 筆者の聞き取りの中で、技能実習生の中で会社からお昼ご飯の支給があった人は、ほとんどいなかった。会社の補助が付いた仕出し弁当を支給されている人がわずかにいただけで、大半の技能実習生は、お昼ご飯を自前で用意する必要がある。

 台湾や韓国で就労したベトナム人によれば、台湾と韓国の会社の中には雇用した外国人労働者に食事を毎食提供するところが少なからず存在した。昼食はもちろんのこと、残業がある場合は夕ご飯が提供されるというケースもあった。

 日本の会社については、歓迎会や忘年会など社内の行事に技能実習生が参加することがあったとしても、日ごろの昼食は自前という例が多いようだ。場合によっては、忘年会などの社内行事を経験したことのないという技能実習生もいた。

 労働者にとって、食事は体を動かすためのエネルギーとなるのにとどまらず、生活の中での楽しみの一つだ。一方、技能実習生は低賃金の中で仕送りをしつつ、場合によってはズイさんのように渡航前費用の借金を返す必要に迫られるのだから、生活費を切り詰めなければならない。

 技能実習生の賃金は地域の最低賃金水準であることが多く、手取りが10万円を切るケースも少なくない。このため食事をすべて自炊で済ませ、食費を含む生活費を月1万5000円から3万円程度に抑えようとする技能実習生が多い。技能実習生の住む寮を訪問すると、台所は使い込まれ、炊飯器や調理器具、調味料が置かれている。人数の多い寮の場合、炊飯器が複数置かれていることもある。技能実習生に休日の過ごし方を聞くと、大半がスーパーマーケットへの食材の買い出しにあてていると答える。日本では外食をほとんどしたことがないという技能実習生もいるほか、日本にいながら、日本の人と食事をしたことがないという人もいた。

 もちろん職場の人と食事を共にする技能実習生もいるし、中には飲み会のような機会を職場の人と楽しむ技能実習生もいる。ただし、技能実習生は原則として、実習先企業を変更できないため、どのような職場で働けるのか、そこでどのような人間関係が築けるのかは、運次第だ。

 技能実習生と言うと、労働環境が注目されがちだが、彼ら彼女らの「生活」面も見る必要がある。食事一つとっても、渡航前費用の借金と低賃金という状況の中で、切り詰めたものになることが多い。ズイさんも食費を切り詰めていたので、お昼ご飯は毎日、手作りのお弁当だった。

 ズイさんは毎朝、お弁当を持って寮から仕事に向かった。そして、仕事の前には事務所に必ず立ち寄り、その日の作業で使う道具を用意してから、現場に移動する。

 建設の仕事は現場までの移動時間が長いという特徴がある。製造業や農業など働く技能実習生の場合は、寮と職場が徒歩圏内、あるいは工場の敷地内に寮があるというケースもあるが、建設の場合は現場が近くにないことも多い。寮から現場まで毎日片道1~2時間、往復で2~4時間を移動時間にあてる建設の技能実習生もいる。建設の技能実習生に話を聞くと、この移動時間は労働時間としてはみなされていないことが多かった。ズイさんもいくつかの現場をまわる中で、長い移動時間を経験したが、これは給与には反映されない。

 現場に着くと、ズイさは朝8時から仕事を始めた。その後、間に1時間のお昼休憩をはさんで、午後5時まで仕事を続ける。それから事務所に戻るのは午後7時ごろ。事務所に道具を戻してから、やっと寮に帰る。今後はやはり寮の台所で夕ご飯をつくる。食事をし、入浴を済ませ、落ち着いたころ、少しだけテレビを見る。朝から働き詰めなので、この時間にもなると、ズイさんはもう疲れ切っていたという。就寝は午後11時ごろになる。

 休みは日曜日だけで、土曜日も働いた。建設の仕事は野外での仕事となるので、雨や雪が降ればその日は仕事が休みとなるが、その場合は日曜や祝日に出勤することになっていた。

 仕事はきつく、休みの日は疲れ果てて、スーパーマーケットに買い物に行く以外は、寝てしまうことが多かった。それでも、ズイさんは日本語の勉強をずっと独学で続けてきた。

◆除染と知らず

 こうした暮らしの中でズイさんが不安を募らせてきたのは、自身の仕事が除染労働だったことだ。来日当初、日本語もままならなかったズイさんは会社から指示されるままに仕事をしており、自身の仕事内容をよく知らなかった。その後、福島県内の現場をいくつか回りながら、少しずつ自分の仕事が除染だと知るようになり、不安を募らせた。

 そもそも技能実習制度において、技能実習生は決められた職種でしか働けない。

 ズイさんを支援する全統一労働組合(東京都)の佐々木史郎書記長によれば、本来ズイさんは「鉄筋施工」の職種の技能実習生として来日しており、それ以外の仕事をさせれば、実習先企業が制度に「違反」していることになる。そして技能実習には「除染」という職種はない。

 ズイさんは「除染の仕事だということは、ベトナムの送り出し機関も、日本の監理団体も、会社も、誰も教えてくれませんでした」と話す。仕事内容を送り出し機関、監理団体、実習先企業の誰に教えられることもないまま、本来の職種に違反する除染労働をさせられていたことになる。

 佐々木書記長は「ズイさんたちの会社から提出された作業記録から、彼らは2016年3月から2018年3月まで、ほぼ毎月、郡山市の住宅除染や、隣接する本宮市での住宅除染や森林除染の作業に従事させられていたことが明らかになっています。その後、2016年8月から11月まで、福島第一原発から最短4キロの位置にある浪江町で、下水配管工事に従事させられていました。浪江町は2018年3月に避難指示解除準備区域と居住制限区域の指定が解除されましたが、ズイさんたちが働いていた時期は解除前で、一般の立ち入りが禁止されていました」と説明する。

 除染の仕事をしつつも、ズイさんの技能実習生としての福島の実習先企業での賃金は、額面が13万円程度にとどまった。ここから寮費として月に1万5000円と税金、医療保険料、年金など引かれ、手取りは8万円から9万円ほどになる。食費として月に2万円、他に雑費が1万円かかり、生活費は月に3万円だ。必要最低限の生活費を払い終われば、手元に残るのは5万円のみ。110万円の借金を背負い来日し、身一つで除染の仕事をしていたはずなのに、手に残るお金は限られていた。

 ズイさんは土曜日にも働いていたが、「土曜日の分の残業代は払われていない」(ズイさん)という。

 手取り8万~9万円から生活費を引いて手元に残った5万円には手を付けず、すべて渡航前費用の借金返済に回していた。手元に残るのが5万円なので、110万円に上る渡航前費用の借金の返済にはおよそ2年近くかかる計算になる。これが除染労働をしていたズイさんの現実だった。

◆救いは職場の上司

 ズイさんの職場での救いは、上司が親切だったことだ。50代の「課長」は仕事を丁寧に教えてくれた。40代の「班長」もベトナム人技能実習生に優しかった。ズイさんに聞くと、現場で働く日本人従業員は年配の人が多く、ベトナム人技能実習生はそれよりもぐっと年齢が低かったという。

 建設部門はそもそも労働力不足にあえいできた業界だ。国土交通省の資料によると、とび工、型枠工、鉄筋工、左官などの職人や特殊作業員、特殊運転手などの技能者から成る「建設部門の技能労働者」の数は、ピーク時の1997年には日本全国で455万人だったが、2013年には338万人にまで落ち込んだ。

 高齢化の進展も指摘される。2013年時点で全産業における29歳以下の労働者の割合は16.8%なのに対し、建設業に限ってはこの割合は10.2%と約1割にとどまる。全産業の55歳以上の労働者の割合は同年に28.8%となったが、建設業はこの割合が34.3%となっており、3割を超えている。

 「課長と班長は、ベトナム人が仕事をよくやるので、好いていてくれました」と、当時を思い出しながら、穏やかな表情で語るズイさん。課長や班長にとって、若い働き手であるベトナム人技能実習生は、欠かせない存在となっていたことだろう。

 ズイさんは知らされないままに除染労働をさせられていたが、それでも、「課長と班長は優しかった。よくしてもらいました」と、話す。

  

◆「私はとても怒っています」

 一方、自身が除染の仕事をしている事に気がついたズイさんは、仕事内容に不安を覚え、ベトナム側の送り出し機関と日本側の監理団体に除染の仕事について問いただしたことがあった。

 

 しかし、送り出し機関も監理団体も特になにも動いてくれることはなく、結局、除染の仕事は続いた。

 不安な気持ちが募る中、ズイさんは、最終的に支援者のもとに駆け込み、保護された。大きな借金を背負ってでも「日本で稼ぎ、技術を身に着ける」との期待から来日し、家族のために働いてきたズイさんにとって、支援者のもとに行くことは、悩みに悩んだ末の苦渋の決断だった。

 そして、全統一労働組合がズイさんの会社に交渉を申し入れ、団体交渉が始まった。「日本で技能実習をやりなおしたい」。それがズイさんの願いだが、会社との交渉は今も続いている。

 佐々木書記長によると、会社との団体交渉や折衝を通じ、除染労働以外にもさまざまな法違反、不正行為の疑いが出てきた。本来の技能実習の職種とは、無関係な仕事が多く、雨天の際などには工場で機械の溶接作業などにも従事させられていた。さらに、雨や雪などで仕事がない場合は、日給に相当する5600円を給与から差し引かれたこともあったという。

 ズイさんは筆者にこう漏らした。

 「日本に来て、本当にがっかりしました。私はとても怒っています。日本の賃金は安いので、お金もたまらない。お金もない。技術もない。それで、ベトナムに帰ってから、どうすればいいのかと悩んでいます。とってもがっかりしています」

 ズイさんはこの状況の中、独学で身に着けた日本語で自分の思いを手紙に綴った。

  以下にもう一度、ズイさんの手紙を掲載する。

  国会、そして日本社会に生きる私たちはズイさんのような外国人労働者の存在をどうとらえるべきなのか。

ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供
ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供

(了)

研究者、ジャーナリスト

岐阜大学教員。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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