【ジャズ盤】マイケル・ブレッカーが遺してくれたラージ・アンサンブルの源流
話題のジャズの(あるいはジャズ的な)アルバムを取り上げて、成り立ちや聴きどころなどを解説。今回は、ウモ・ジャズ・オーケストラ・ウィズ・マイケル・ブレッカー『ライブ・イン・ヘルシンキ』。
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マイケル・ブレッカーが逝去して、10年が経とうとしている。57歳という享年は、サックスという楽器の可能性を大きく広げたひとつの才能をあまりにも早く失ったという事実だけにとどまらず、ジャスという柔軟にして伸長性の高い表現芸術の拡張を停滞しかねない“事件”としても斯界で大きく取り上げられていたことは記憶に新しい。
“伸長性の高い表現芸術”という点で言えば、マイケル・ブレッカーの“晩年”にあたる2000年以降の活動において、彼が重心を移していた“ラージ・アンサンブル”と呼ばれた編成での表現にこだわっていたことに触れないわけにはいかないだろう。
グラミー賞を受賞した2003年リリースの『ワイド・アングルス』は、15人という編成で、彼のそうした志向性を遺憾なく発揮していたわけだが、さらなる異次元のアンサンブルへの進展が彼の死によって途絶えてしまった喪失感を記憶するための“墓碑”になってしまったことが惜しまれる。
さて本作だか、1995年にマイケル・ブレッカーを招いて行なわれたフィンランド・ヘルシンキでのコンサートのもようを収めたライヴ・アルバムだ。
迎えたホスト・バンドはUMO。フィンランド国営放送、文化教育省、ヘルシンキ市の共同運営により、1975年に設立されたピッグバンドだ。
1995年と言えば、マイケル・ブレッカーは3年ほどのブランクからの復帰を果たそうとしていたころ。ノドの手術を受けて、静養を続けていたのだ。
この“海外での客演”は、プロの勘を取り戻すために周囲が用意した、音楽的リハビリテーションの一環だったのかもしてない、
しかし、そうした周囲の配慮をよそに、当の本人は例によってエンジン全開でこのステージに臨んだであろうようすが、この音源からうかがえる。
UMOの活動記録として未発表のまま残されていたことはまさに奇跡で、ブートレグ(海賊盤)ではなく、正式リリースにされるにふさわしい内容と音質であることは、驚くばかりだ。
一般にマイケル・ブレッカーがラージ・アンサンブルに興味をもったのは21世紀になってからと言われているのだけれど、すでに1990年代の半ばの時点で自分のハードなブローイングと厚みのあるオーケストラ・アンサンブルを融合するアイデアか芽生えていたことを、十分に予感させるパフォーマンスが繰り広げられている。
ブレッカー・ブラザーズでのインパクトがあまりにも大きかったために、コンボ=小編成が彼の主戦場だと認識したままでいるジャズ・ファンも多いのだろうが、ぜひこの圧倒的なサウンドを浴びて、マイケル・ブレッカーの“音像”を広げてみてほしい。
UMO JAZZ ORCHESTRA WITH MICHAEL BRECKER LIVE IN HELSINKI 1995