トルコ在住シリア人の帰還の見通しと課題
シリア紛争で政府側の優位が動かしがたくなり、紛争の焦点は復興や政治・社会の再建に移りつつある。中でも、紛争に伴いシリア内外で発生した多数の難民・避難民の処遇はシリアのみならず彼らを受け入れた諸国にとっても今後の重要課題である。注意すべきなのは、一言で難民・避難民と言っても、彼らの出身背景、教育水準、労力や親族関係などの越境移動のために費やすことができる資源の多寡、紛争当事者に対する立場のようなものが、各々の居場所によって相当異なっている点だ。
例えば、シリアの近隣諸国に避難するにしても、レバノンは同地に親戚がいるシリア人が多く、避難先として望ましいかもしれない一方で、ヒズブッラーをはじめとするシリア政府に与する勢力が強いと考えられているため、レバノンを避けた者も多かったと思われる。また、「反体制派」を積極的に支援したトルコに移動した者と、シリア国内にとどまっている者との間では、紛争当事者諸国に対する見方は相当異なっていた。
すでに筆者らは、ヨルダン(2014)、スウェーデン(2015、2016)、シリア(2016、2017)で世論調査や聞き取り調査を行い、シリア人民の意識の一端を明らかにしてきた。本稿は、2017年10月~11月にイスタンブルの調査機関と協力して行ったトルコ在住シリア人への世論調査の成果の一部とその分析である。トルコには300万人以上のシリア人が在住しているが、その7割ほどはイスタンブル、ガジアンテプ、ハタイなどの7県に居住している。また、彼らの9割以上は難民キャンプ外に居住している。今回は、トルコで一時的保護の対象となっているシリア難民が多数居住する7県の、難民キャンプ外に在住する者812人を抽出して調査を行った。
1.現在の生活についての満足度
今般の調査対象の間では、トルコでの生活全般についての満足度が高い一方、家計の経済状況についての不満は高かった。また、トルコの平均月収(350ドル程度)と比べて月収が「とても多い」、「やや多い」と回答した者は1割強にとどまった。ここから、トルコ在住のシリア人の経済状況はあまり良くないことが示唆されている。ただし、予備調査(2017年9月)を行った調査班が、調査対象となる人々には、調査への回答が将来提供される援助に影響すると考え、所得や経済状況について過少申告する傾向があると指摘したことには留意したい。
図1.トルコでの生活への満足度(%)
図2.家計の経済状況への満足度(%)
なお、生活全般への満足度と経済状況への満足度との間に差異がある傾向はスウェーデンでの調査でも表れている。これは、経済的には苦しくとも戦禍や弾圧に脅かされる心配がないとの安心感を反映したものと言える一方、難民の中には滞在許可や難民認定、家族の呼び寄せなどのための手続き・審査中の者もおり、そうした人々は受入国での生活そのものへの不満を表明しにくい立場にあることも忘れてはならない。
2.外国への意識
シリア人民への諸外国の「支援」をどう評価するのか、という質問への回答は、シリア紛争に対する回答者の政治的立場や見解を色濃く反映したものと思われる。「支援」という語をどう解釈するかは回答者に委ねたのだが、トルコに在住するシリア人の間では、トルコへの評価が極めて高く、カタルがそれに続いた。これに対し、シリア政府を支援しているロシア、イラン、中国への評価は極めて低かった。一方、「反体制派」を支援しているアメリカ、イギリス、フランスへの評価も非常に低かった。シリアでの調査(2016、2017)での諸外国への評価についての質問では、ロシア、イラン、中国への評価が高く、トルコやカタルも含む「反体制派」支援国への評価は低かった。なお、今般の調査では、日本からの支援に対する評価が著しく低かった点も特徴的だった。
図3.各国の支援に対する評価
3.シリアへの帰還の見通し
シリアに「とても帰還したい」、「帰還したい」と回答した者は、全体の6割ほどだった。彼らは帰還に際し、「平和な状況」や「よりよい収入」のような要素だけでなく「家族・親族・同郷者の存在」、「家族との同居」を重視する傾向があった。また、アサド政権の放逐を意味する「シリアにおける政治的移行」を帰還の際に最も重視すると回答した者は少数にとどまった。回答者たちは、シリアに帰還する場合は自らの血縁・地縁、あるいは宗教・宗派のような共同体をある程度維持して帰還したいと考えている模様である。
図4.シリアへの帰還希望(%)
一方、トルコでの生活への満足度とシリアへの帰還希望との間にはそれほど明確な相関があるようには思われず、トルコでの生活に「とても満足」と回答した者でも、シリアに「とても帰還したい」と回答した者は少なくなかった。
表:「トルコでの生活への満足度」と「シリアへの帰還希望」とのクロス集計(人)
おわりに
シリア紛争のような状況下で国外に逃れた者たちの中には、「反体制派」を支持したり、「反体制派」諸派に直接関与したりした結果、シリアに居られなくなった者も少なくないかもしれない。そのような者は、紛争が政府優位で推移する限り積極的に帰還したいとは思わないだろう。また、既に移動先で安定した生活の基盤を築いた者も、社会資本や経済基盤の多くが破壊されたシリアに帰還する希望は強くないだろう。今般の調査でシリアに「あまり帰還したくない」、「帰還したくない」と回答した人々がどのような理由でそうした態度を表明したのかを解明することが、今後の課題である。
また、シリア人を多数受け入れるトルコやシリア復興を支援する立場にある諸国は、彼らを迅速に帰還させるのか、相当数をトルコで吸収するのかを選択する局面に差し掛かりつつある。いずれを選択するかによって、取るべき政策や必要な支援の量・質も異なってくる。シリア内外の難民・避難民の処遇を考える上では、彼らの現在の居場所とそこでの社会・経済状況などをきめ細かく調査し、それぞれの状況に応じた対応を追求することが肝要だろう。
注記:本稿は、科学研究費助成事業「中東の紛争地に関係する越境移動の総合的研究:移民・難民と潜入者の移動に着目して」(2016年度~2018年度 代表者:高岡豊)の事業で行った現地調査・世論調査に基づくものである。