日程闘争が続いた今国会。「大人にこそ主権者教育が必要」
政治不信を助長する国会運営
12月9日、臨時国会が閉会した。
召集された10月4日当初は、日米貿易協定や国民投票法改正案が焦点になるとされていたが、終わってみれば、大学入試共通テストを除いて、不祥事による大臣2人の辞任、「桜を見る会」が大きな注目を集めた国会となった。
もちろん、不適切な行政文書の管理は大きな問題であり、前大臣らの不祥事や「桜を見る会」に関する多くの疑惑に真摯に答えていない政権の姿勢に対しては、国民からも納得を得られていない。
産経新聞社とFNNが12月14、15両日に実施した合同世論調査によると、「桜を見る会」への招待者選定をめぐる安倍晋三首相の説明について、「納得できない」との回答が74.9%に上っている。
他方で、野党も内閣府のシュレッダーを視察するなど、「パフォーマンス」な部分も目立ち、与野党ともに国民から不信感を買っている。
実際、マスコミ各社の世論調査を見ても、政権・与党の支持率が下がる代わりに、最も上がっているのは、野党ではなく、「支持政党なし」であり、政治全体に対して嫌気が差している現状がうかがえる。
ただ、こうした「政治不信」は今に始まったことではなく、日本財団が2019年9月下旬から10月上旬にかけて行った「18歳意識調査」では、解決したい社会課題として、「貧困をなくす」(47.8%)に次いで、「政治を良くする」(43.3%)が2番目に多くなっている。
問題解決が本来の役割である政治自体が、「問題」だと思われているという、なんとも悲しい結果である。
この背景には、以前から何度も指摘している通り、報道内容が過度に「スキャンダル」「対立」に傾くマスコミ報道がある。
保守系の論客からは、「野党はスキャンダルばかり」といった批判がテンプレートのごとくよく行われるが、当然各委員会では法案審議が行われており、その議論内容が国民に広く伝わっていないのが現状だ。
確かに野党がスキャンダルに重きを置いている点は否定できないが、真面目に政策議論するよりも、「スキャンダル」追及した方が注目されるのであれば、そちらに流れる方が「ラク」である(そうして易きに流れた結果、野党に支持が集まることもなく、政治自体に失望している国民が多いのだが)。
「反対ばかり」「対案がない」というよくある批判も、実際には「対案」として野党で議員立法を提出していることが多いが、国会で審議されることもなく、報道もほとんどされない。
(内閣の提出する閣法が優先される)国会で審議できないのであれば、テレビの討論番組等で議論すればいいのでは?と思うが、そうした報道がされることもない。
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大人にこそ「主権者教育」が必要
他方で、こうした現状を憂いている議員も多い。
細野豪志衆議院議員は、かつての経験を振り返り、自身も「苦しんだ」と述懐する。
「個人的にはやりたくないと思っていても、国対の指示だとやらざるを得ない。特に若手議員に選択肢はほとんどの場合ない。
一方で、マスコミでは政策論はほとんど取り上げられず、スキャンダル系の質問は取り上げられるのも厳然たる事実。
国会で「戦果」となるのはこっちだ。ここは私も苦しんだ。 」
若者政策推進議連会長の自民党・牧原秀樹衆議院議員は、11月28日、「主権者教育」をテーマに扱った当議連の勉強会において、「大人にこそ主権者教育が必要」ではないかと訴えた。
主権者教育とは、自分と社会の関連を明らかにし、社会参加の動機付けを高めていくことだ。
その中心に来るのは、「投票」ではなく、社会の構成・ルールであり、その変え方である。
なぜこのルール(法律等)が存在するのか?それは今も必要なのか?どうすれば変えることができるのか?そうした問いを出さなければならない。
そして、自らの考えを自由に安心して発言できる環境作りが重要であるが、ツイッターを見れば、「大人」に主権者教育が必要な理由は明らかであろう。
ドイツの政治教育の指針になっている「ボイテルスバッハ・コンセンサス」では、「圧倒の禁止の原則」が定められているが、ツイッター上では一方的な罵倒が飛び交う。
そして、何より重要なのが、「主権者」感覚の無さである。
国民の多くが自らが国を統治する感覚を有していれば、(政治家や官僚を)批判して終わるよりも、この国をどうすればよくできるのかという方向に、言論空間がシフトするはずである。
特にマスコミ関係者にこうした意識があれば、真面目な報道番組を減らすことの弊害、専門性の高い政策論議を報じない弊害がわかると思うが、そうした姿勢は一切見えない。
また、大人が子どもを主権者の一員として認め、意見を尊重しない限り、子どもの主権者意識が育つことは決してない。
最も簡単にできる有効な主権者教育は、学校のルールである「校則」のあり方を生徒に考えてもらい、実際に先生や保護者と協議の上で変えることだが、そうした取り組みをしている学校は極めて少ない。
(模擬投票をしている学校は多いが、身近な学校でさえ、自分たちで変えられないのに、わずか1票投じる練習をすることで「自分は社会を変えられる」という意識が育つと、本当に思っているのだろうか?)
結局、一方的に教える側と教えられる側の関係性から脱却することができておらず、主権者である子どもに決定権を与えることはしない。
先述の日本財団の調査では、他国に比べ、日本では、「自分を大人」、「責任ある社会の一員」、「自分で国や社会を変えられると思う」と回答した若者の少なさが目立つ結果となったが、普段から子どもや若者の意見を尊重せずに、決定権も渡していないのだから、当たり前な結果である。
子ども向けの主権者教育をどうするかは度々問われているが、本当に考えなければならないのは、大人向けの主権者教育をどうするか、大人の意識をどのように変えるかであろう。