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伝説のシンガー、ビリー・ホリデイ役に恐怖を克服して挑み、オスカーノミネート。アンドラ・デイが語る本心

斉藤博昭映画ジャーナリスト
昨年(2021年)のアカデミー賞授賞式でのアンドラ・デイ(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

ビリー・ホリデイ。

1959年に亡くなった後、現在に至るまで天才的なジャズ・シンガーとしてその名は人々の記憶に刻まれている。

ドラッグやアルコールに溺れたとされ、44歳の若さでこの世を去ったビリー。唯一無二の歌唱力だけでなく、黒人へのリンチに抗議するために「奇妙な果実」という名曲を毅然と歌ったことでも知られている。「奇妙な果実」とは、リンチで殺され、木に吊り下げられた黒人の死体を意味している……。

人々の抗議を扇動するとされ、アメリカ政府はその曲を歌うことを禁じる。『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』は、伝説のシンガーの壮絶な生きざまを再現した映画だ。

ジュディ・ガーランドアレサ・フランクリンなど、ここ数年、歴史に残るシンガーを主人公にした映画は多い。この作品でビリー・ホリデイに挑んだのは、アンドラ・デイ。スティーヴィー・ワンダーに見出され、グラミー賞も受賞した彼女は、なんと映画初主演の本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネート(昨年)という快挙をなしとげた。それだけビリー・ホリデイを演じることは、大きなチャレンジなのだ。

演じても、悲惨な結果になると思い込んでいた

初めての本格的演技。しかもビリー・ホリデイ役。そのプレッシャーを、アンドラは次のように語り始めた。

「正直に言うと『こんな役、絶対にやりたくない』という大きなプレッシャーに苛まれました。私が歌手だからといって、なぜこの役を演じられると思うの? たぶん演じたら、ひどい結果になるでしょう……と感じたのが事実です。そのプレッシャーを解きほぐしてくれたのが、監督のリー・ダニエルズでした。長い時間をかけて、ビリー・ホリデイの真実を描くことを力説してくれたのです。その間も私には演じることへの恐怖が残っていましたが、リーの話を聞いて、思い出したのです。私は11歳の頃からビリー・ホリデイの大ファンだったことを……。そして演じる決心がつきました」

11歳で聴いたビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を、「意味は理解していなくても、強烈にエモーショナルな体験になった」と振り返るアンドラ。すでに歌への情熱をおぼえていた彼女にとってビリー・ホリデイの歌声は衝撃的だったという。

「いかにパワフルな声を出せるか。あるいは広い音域を手に入れるか。それがシンガーの必須条件だと思っていたのに、ビリーは、それだけではないと教えてくれたのです。シンガーとしての“アイデンティティ”をもつことの重要性を、私は初めて知りました」

撮影現場でのアンドラ・デイ
撮影現場でのアンドラ・デイ写真:Splash/アフロ

こうした伝説のシンガーの役を演じるためには、同様の歌唱力も必要になる。しかしビリー・ホリデイの場合、それだけでは絶対に足りない。歌唱力を超える域にある「表現力」が求められるのだ。

「おそらく私の声がビリーにふさわしかったのだと思います。そこからのトレーニングですが、とにかくあらゆる素材を聴き続けました。ビリーが歌った音源はもちろん、彼女の生前のインタビュー、インターネットでリハーサルの映像なども見つけ出しました。それらを基にダイアレクト(会話)コーチから、言葉の抑揚、どこで呼吸するか、細かい部分をテクニックのように身につけていったのです。そこにビリーがどういう人間だったのか、その輪郭のようなものを演技コーチと一緒に形成していき、総合的なパフォーマンスとして完成させていく。そんなプロセスでしたね」

映画を観ればよくわかるが、物語が進むにつれ、アンドラ・デイがビリー・ホリデイとひとつになっていく過程は、じつにエモーショナルである。

「撮影が進むにつれ、せっかくビリーとひとつになれたのに、終われば別れ別れになるのだという切なさも増していきました。現場の人々も家族のようになっていましたから。その終盤で劇的なシーンも用意されており、かなり感情的な演技になってしまったと思います。同時にこれは、私の人生にとって最高の経験になっていると、気持ちは混乱しながらも、その時間を味わっていました」

アンドラがそう語るように、後半の彼女の演技に圧倒される人は多いだろう。アカデミー賞ノミネートの理由も実感するはずだ。

声質はもちろん、口の開き方や表情など微妙な部分でもビリー・ホリデイのパフォーマンスを再現。
声質はもちろん、口の開き方や表情など微妙な部分でもビリー・ホリデイのパフォーマンスを再現。写真:Splash/アフロ

じつはビリー・ホリデイを主人公にした映画は過去にもあった。今からちょうど50年前、1972年の『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』だ。今回のリー・ダニエルズ監督は、同作の内容が事実からやや遠いので、自作ではリアルに徹したと語っている。この50年前の映画でビリー・ホリデイを演じたのは、ダイアナ・ロス

50年を経て出会った、2人のビリー・ホリデイ

長い時を経て、2作品は意外なところでシンクロする。ダイアナ・ロスの息子、エヴァン・ロスが『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』に出演しているのだ。アンドラ・デイにとっても、この共演は貴重で、実際にダイアナと話すチャンスもあったという。

「エヴァンは今回の映画で素晴らしい仕事をしたと思います。私たちは友人なので、現場でも会話がはずみました。当然、ダイアナの話も出てくるわけです。彼のお母さんですからね。エヴァンによると、私がビリーを演じることについてダイアナはとても興奮していると言っていたそうです。そして実際に現場で、ダイアナは私をサポートしてくれました。ダイアナは個人的にビリーと接点もあった人ですし、1950〜70年代の黒人女性としての経験にも詳しい。当時の経験はトラウマ的な部分もあるでしょう。でもそこから真実も伝えられますし、カタルシスのあるドラマを描くことができるのです。そのような部分でダイアナは協力してくれ、私やエヴァンを応援してくれました」

1972年のビリー・ホリデイ役で、ダイアナ・ロスはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。そしてアンドラ・デイも再び同じ役でノミネートを果たしている。

ビリー・ホリデイの伝説は、時を超えても色あせず、人々の心に強く訴えかけるのだ。

(c) 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.
(c) 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.

『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』

2月11日(祝・金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー

配給/ギャガ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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