アーモンドアイ、ヴィクトリアマイル優勝時の、2人のジョッキーの友情秘話
ヴィクトリアマイル直後のある騎手の行動
ケンシンコウの勝利で幕を閉じた今年のレパードS。3年前、このレースが行われた日にデビューしたのがアーモンドアイだった。
そのデビュー戦では2着に敗れたものの、翌2018年には牝馬3冠レースを全て優勝してみせた。更に翌年となる昨年は春に海の向こうでドバイターフ(ドバイ、G1)を制覇すると、秋には天皇賞(秋)(G1)も勝利してみせた。そして、今春は、安田記念こそ敗れてしまったが、その直前に走ったヴィクトリアマイル(G1)を圧勝。その前にはドバイまで遠征しながらも競馬が中止になってしまい、レースに出走する事なく帰国していた。そんなアクシデントも感じさせない強い勝ち方を披露していた。
ヴィクトリアマイルが終わって2~3時間ほどした頃、私は1人のジョッキーに電話をした。時はコロナ禍の真っ最中。東京競馬場までは自車で行っているとしたら、ちょうど運転中で電話に出られないか?と私は思っていたが、彼はあっさりと応答した。
「競馬場には運転して行っているんじゃないの?」と聞くと「自分の運転で、1人で往復していますよ」との答え。「では、今、運転中?」と続けると「もう家に着いています」。すでに茨城の美浦トレセン近郊の家にいた。そこで「少し話せます?」と聞くと「すみませんけど、明日でも良いですか?」と言われた。
声の主は三浦皇成。
競馬を終えた彼がすぐに帰宅したのも、電話を翌日にしたのにも理由があった。それはアーモンドアイのヴィクトリアマイル優勝にも関係していた。今回はそんなエピソードを、紹介しよう。
調教騎乗の経緯と実際の追い切り
5月18日。ヴィクトリアマイルの翌日、改めて三浦に電話をし直した。「昨日はすみませんでした」と口を開いた彼は、そのまま電話による取材に応じてくれた。
ヴィクトリアマイルを制したアーモンドアイの主戦はご存知クリストフ・ルメールだ。この女王がレースに出る際、ルメールは栗東から美浦に駆けつけて追い切りに騎乗するのがルーティーンになっていた。しかし、先述した通りこの時は正にコロナ禍の直中。騎手の移動にも制限がかかり、ルメールは美浦へ行けなかった。
話は更に3週間前に遡る。その日、開催されていた東京競馬場にルメールと三浦の姿があった。普段から仲の良い2人が何とはなしに会話をしていると、自然と新型コロナウィルス騒動の話題になった。当時の2人の会話は次のようだった。会話はクリストフから始まる。
「移動制限でアーモンドアイの追い切りに乗れません」
三浦が「どうするの?」と聞くとクリストフから思わぬ答えが返ってきた。
「代わりに乗っておいてください」
この言葉に対し、三浦は次のように思った。
「アーモンドアイが追い切る際、併せ馬の相手馬には何度も乗っていました。そういう時はいつもクリストフがどういうコンタクトをするのか?と注意して見ていました」
だから、もし自分が任されたら、それなりに考えて乗る事は出来ると思ったと言う。
一方、そう頼んだ真意をアーモンドアイの主戦騎手は次のように言う。
「僕の直感だけど、皇成はアーモンドアイにフィットすると感じました。それに彼は経験も豊富で、調教もいつも真剣に乗っているのを知っていました。だからお願いしました」
当時、ジョッキー間でこのような会話があった事を、アーモンドアイを管理する国枝栄は知らなかった。指揮官は言う。
「クリストフが乗れないなら(担当厩務員の)根岸(真彦)に追い切ってもらおうと考えていました。そんな矢先、皇成から連絡がありクリストフとの間でそういう話があったと聞きました」
三浦が言うには「その連絡をしてから、実際に調教の依頼があるまで、タイムラグがあった」らしい。「だから『厩舎側で乗るのかな?』と思ったところに正式な依頼が来た」そうだが、国枝は次のように考えていた。
「皇成から話があった時にすぐ『じゃあ、頼もう』と思いました」
こうして三浦は1週前、当該週と2度にわたりアーモンドアイの追い切りに跨った。
「ある程度、負荷をかけようと考えて乗りました。1週前はモタれたけど、最終追い切りでは乗った瞬間に素軽くなっているのが分かりました」
テレビ画面越しにこの追い切りを見たルメールは次のように感じた。
「朝のアーモンドアイは大人しいけど、それにしても皇成が上手に乗ってくれていました」
良い調教だった事を数字で裏付けたのが国枝だ。
「どのくらいの負荷がかかったのか、うちの厩舎では指標として乳酸値を計測しています。この時のアーモンドアイは1週前が20、当該週は14でした。数値が高いほど身体がキツいと感じているので、皇成の追い切りで順調に仕上がって来たのが分かりました」
レース中、そしてレース直後のエピソード
ヴィクトリアマイル当日はこの時期としては高温の28度。それでもアーモンドアイはイレ込む事なく「むしろいつもより大人しかった」(ルメール)。時々出遅れ気味となる事のある彼女だが、この時は驚くほどの好スタートを切った。ルメールは言う。
「ゲートの中でいつも前後に動くような素振りをします。この時は前へスライドしたタイミングでちょうどゲートが開きました」
上から見れば丸いコップも横から見ると四角いように、同じ事象でも立ち位置が変われば違って見えるのが競馬だ。好スタートを切ったアーモンドアイを見た2人の男の心境は全く違った。
「よし! 良いぞ」
このスタートなら好勝負必至と思い、そう感じたのは国枝だ。一方、調教ではアーモンドアイに騎乗した三浦だが、レースで手綱を取ったのはトロワゼトワルだった。一転して打倒アーモンドアイの役割を与えられた彼は次のように感じた。
「アーモンドアイは隣の枠だったから好発を切ったのがよく見えました。その瞬間、彼女を負かすとすれば、前で競馬をする以外にないと思い、逃げる事にしました。ノリさん(横山典弘)が乗り、レコードで逃げ切り勝ちをした京成杯AHのような走りをさせようと考えたんです」
ハナを行く鞍上で、三浦は「考えた通りの騎乗が出来ている」と感じた。1000メートルを56秒台で通過しながらも“鞍下の相棒は終始気分良く走っている”と思えたのだ。
「直線に向いてもまだ手応えがあって『これは一発大仕事を出来るかも……』って、一瞬、夢を見ました」
しかし、次の刹那、そんな思いを一陣の風が吹き飛ばした。
「アッと言う間にかわされました。あんなかわし方をしていく馬はアーモンドアイしかないと思ったので、どの馬か確認する必要はありませんでした」
トロワゼトワルも善戦した。自分で作った時計で東京マイルを1分31秒4で走り切った。しかし、相手が悪かった。その約5馬身も前で、アーモンドアイとルメールが悠々ゴールを駆け抜けた。
「競馬に行けば自分の馬でアーモンドアイを負かしたいと考えて乗っていたので、負けた事は残念でした」
そう語った三浦は「でも……」と言い、更に続けた。
「アーモンドアイがしっかり仕上がっていて、ちゃんと力を出して走ってくれた事に対しては、かかわった者としてホッとした気持ちになりました」
それが本音である事は、レースが終わってすぐに帰宅した事実や、電話での会話を翌日にした事象からもうかがい知れた。彼は彼なりに誰にも分からない大きなプレッシャーを感じていた。だから早く家で癒されたかったし、その晩は競馬の話を拒んだのだ。
最後に、レース翌日に教えてくれた面白い逸話を一つ、記そう。受話器越しにも苦笑しているのが分かる声音で三浦は言った。
「ゴール直後、アーモンドアイに並走してクリストフを祝福しようと思ったのですが、ただ流しているだけのアーモンドアイになかなか追いつけませんでした。改めて凄い馬だと思いました」
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)