戦国大名に「義」の精神はあったのか? その虚実を探る
ロシアとウクライナの戦争が長期化しているが、早く収束してほしいものである。
かつて我が国においても、戦国武将は「義」を標榜し、戦いに臨んでいたという。はたして、戦国大名の「義」とは、本当に存在したのか考えてみることにしよう。
戦国武将のなかには、戦いに「義」の精神を求める者もあった。戦うのは決して私利私欲のためではなく、「義」の精神に基づいていたというのである。
「義」には多様な意味があるが、「他人に対して守るべき正しい道。物事の道理にかなっていること」ということになろう(『精選版 日本国語大辞典』)。
具体的に例を見ておこう。小田原北条氏五代を中心に記された『北条記』には、「昔は義の為に命を失ひ名を揚しに、今又欲の為に義をうし(失)なひ名をけか(汚)す。是をも少も思はす。唯人の国をと(取)らんとのみはか(謀)る。浅ましきとも愚かなり」と書かれている。
「昔は義の為に命を失い、名を上げたものだが、今は欲の為に義を失い名を汚すありさまだ。こういうことを少しも考えず、ただ人の国を奪おうと謀略を練る。浅ましく愚かなことである」という意になろう。
まさしく戦国武将の美学である。北条氏は関東8ヵ国に覇を唱えたが、それは決して私利私欲ではなかったというのだ。
一方で、戦国武将は「戦いに勝つことがすべてである」とされてきたのは事実である。しかし、ここでは「義」が尊重され、「義」なくして国を奪おうとすることは愚かであると断じる。つまり、「利」を求めて戦うことと、一線を画していることに注意すべきであろう。
「義」を重んじた武将としては、上杉謙信が有名であろう。『謙信家記』では、盛んに義の重要性が説かれている。その中で重要なのは、「義」のために戦ったのであれば勝敗は二の次で、武士の面目は保持されるという考え方である。戦いは国を奪う「利」では測ることができず、「義」が重んじられたのだ。
では、実際はどうなのかといえば、決してそうではないだろう。他国への侵攻は理屈抜きに領土拡大が目的であり、「義」の精神があったのか疑問である。そもそも戦国武将は、親子や兄弟で殺し合い、当主の座を争うことが珍しくなかった。非常に打算的だったのである。
戦国武将の「義」の精神を説く書物は、おおむね儒教の精神が浸透した江戸時代に成立したものが多い。そこでは、剥き出しの権力闘争を覆い隠すべく、戦国武将の「義」の精神が主張された。
つまり、ここまで取り上げた話は、実際の戦国武将の思いが投影されているとは考えにくいのである。戦国武将に「義」の精神があったのかについては、極めて疑問である。