諸大名をバカにし、傲慢だった豊臣秀吉の態度。その一例を探る
人は偉くなるほど謙虚であるべきだが、傲慢な人は決して珍しくない。実は豊臣秀吉もその1人で、諸大名を馬鹿にし傲慢な態度を取った。その一例を挙げることにしよう。
宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、秀吉の人格について、次のように記されている。
彼(秀吉)は尋常ならぬ野心家であり、それ(野望)が諸悪の根源となって、彼をして、残酷で嫉妬深く、不誠実な人物、また欺瞞者、虚言者、横着者たらしめたのである。
彼は日々数々の不義、横暴をほしいままにし、万人を驚愕せしめた。彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。
まさか秀吉は、フロイスからこんな風に思われていたとは考えていなかったかもしれないが、最低最悪の評価としか言いようがない。しかし、このように感じていたのは、フロイスだけではなかった。
朝鮮から日本に連行された姜沆の『看羊録』には、慶長3年(1598)における日本と朝鮮との講和に際し、秀吉が諸大名を厳しく叱責している姿について、「(秀吉の)容貌や言辞の、思い上がった傲慢さは、想見するに思わず心が痛み、骨が削られるようである」と書いている。
続けて姜沆が指摘するのは、家臣らを愚弄する秀吉の姿であった。次に、関係部分を掲出することにしよう。
(秀吉の)性質は、実に悪賢い。専ら下らぬおどけごとで部下をもてあそび、家康らを侮弄するのは、まるで赤子を弄ぶような具合であった。
また、喜んで水売りや餅売りのまねをし、徳川家康らを通行人に仕立てて何か買わせる様子をさせたり、一文一鐺の下らないいたずらごときの腕くらべをさせたりした。
秀吉は自らが権力者であることをかさに着て、家康ら名だたる諸大名をコケにして、「○○ごっこ」のような遊びに興じていた。また、自らも商売人を演じて見せ、諸大名に客を演じさせていた。
残念ながら、「一文一鐺」の意味は不明である。それにしても、秀吉からこうした下らない遊びに付き合わされた諸大名は、相当な迷惑だったに違いない。
このように秀吉が自分のくだらない遊びに諸大名を巻き込んだ例は、いくつか知られている。たとえば、秀吉が能好きだったことは、有名な話である。
彼は能を鑑賞するに止まらず、諸大名に命じて演じさせていた。お茶といい、能といい、秀吉は自身の趣味を諸大名に押し付ける性癖があった。諸大名の心中がいかばかりのものか察するところである。