【終戦記念日】誰よりも「平和」を望んだ政治家・故藤井裕久氏を偲ぶ
赤坂の料亭・佳境亭が結んだご縁
8月10日正午から、都内ホテルで故・藤井裕久元大蔵大臣の「お別れ会」が開かれた。藤井氏は参議院選の投開票が行われた7月10日に死去。その2日前に奈良市の近鉄・大和西大寺駅前で選挙応援中を射殺された安倍晋三元首相の訃報に続き、永田町は悲しみにくれた。
藤井氏は旧大蔵省を経て、1977年の参議院選で自民党から全国区に出馬し当選。衆議院議員に転じた後、93年には小沢一郎氏らとともに政治改革の旗を掲げて自民党を離党し、非自民党政権の細川内閣、羽田内閣で大蔵大臣を務めた。民主党政権では鳩山内閣で財務大臣を務めたが、その後の菅直人内閣で大臣就任を求められるも固辞。代わりに野田佳彦元首相を推し、野田政権への道筋を作ったといえる。
藤井氏はおよそ権力欲とは無縁の人だった。そんな藤井氏と筆者が会ったのは、菅(かん)政権時のこと。赤坂にあった料亭・佳境亭の女将の山上磨智子さんに、電話で呼び出されたのだ。
「安積ちゃん、いま藤井先生がいらっしゃるから、こっちに来ない?」
佳境亭は戦後の永田町政治の夜の舞台として知られており、女将である山上さんのきさくな人柄から旧大蔵省の官僚が集まって政策論議をする「大蔵省の家」でもあった。藤井氏が参議院選に初出馬した時、山上さんは故・田中角栄元首相の依頼を受け、藤井氏の当選のために動いている。
藤井氏とはその後も、何度か佳境亭でご一緒した。2014年に山上さんが亡くなった後、「偲ぶ会」にもご参加いただいた。ちなみに2011年8月の民主党代表選で、出馬意欲を持つ野田氏と前原誠司氏の間で候補の1本化について話し合われたのが佳境亭だ。実は佳境亭には「入れば総理になれる」と言われた座敷があり、候補1本化の話が決裂した後、藤井氏が山上さんに野田氏をその部屋に案内してくれるように依頼。そのおかげなのか、代表選では野田氏が勝利して総理大臣の地位を得た。
藤井氏の政界引退後は、白金にあった個人事務所に何度か伺ったことがある。「酒はたくさんあるから、何も持ってこなくていい」と言われ、お寿司をご馳走していただいた。
2015年8月 白金の事務所で筆者撮影
目に焼き付いた赤いマニキュアの手
グラスを片手ににこやかに話す藤井氏は、まさに好々爺という風情だった。しかし戦争の話になると、その表情は真剣になった。忘れられないのは、「戦争を体験した世代が政治にいる限りは大丈夫だが、そうでなくなった時が心配だと田中(角栄)先生が言っていた」との言葉だ。
昭和7年生まれの藤井氏は、まさに戦争を直に体験し、その生々しい記憶を脳裏に刻んだ世代だ。小平市に学童疎開していた時には、アメリカのB29と日本の戦闘機が激突したのを目撃し、「墜落する戦闘機のパイロットと目が合ったことが、今も忘れられない」と語っている。
悲劇を無情にも日常化するのが戦争だ。この時、藤井氏ら学童は乗員の死体が散乱する墜落現場に駆け付けた。目当てはアメリカ軍が機内に持ち込んだチョコレートなど食べ物だ。極度の空腹は死の恐怖すら麻痺させた。そして藤井氏は、残骸の中に赤いマニュキュアの付いた1本の手を発見する。
「米軍機には女性も乗っていたのだろう」と藤井氏は淡々と述べたが、死体のそばで子供が食べ物を漁るという地獄絵図を背景に見たマニキュアの赤い色は、何年たっても藤井氏の目に焼き付いたまま消えなかったに違いない。
人生を分けた東京大空襲
藤井氏は戦争のもうひとつの赤色についても語ってくれた。疎開先の小平市から自宅に帰る前夜に見た、東京大空襲で空が焼ける色だった。しかし誰も藤井氏らに、空襲があったことを教えてくれなかった。その意味がわかるのは、翌日に高田馬場駅に到着してからになる。
「駅には家族が迎えに来てくれるはずだった。私には母が来てくれたけど、誰も来てくれなくて途方にくれた様子の同級生が数人いた」(藤井氏)
それは大空襲で家族が全員亡くなったということかと尋ねると、藤井氏は無言で頷いた。その子供たちはその後、どうしたのだろうか。誰もが自分が生きていくのに精いっぱいで、他人を同情する余裕すらなかった時代だ。
空襲の被害は凄まじく、藤井氏の自宅から湯島の坂を挟んで下町側は、戦火で命を落とした人の遺体が重なりあっていたという。この時、命の重さと平和の尊さが13歳の少年の心にしっかりと刻み込まれたに違いない。
8月10日の藤井氏のお別れ会では祭壇の中央に、「平和」の文字が掲げられていた。その重みを知る歴史の証言者がまたひとりこの世から去ってしまったが、我々はその重さを忘れてはならない。
第二次世界大戦が終わって77年。世界ではウクライナ問題の解決がいまだ遠く、台湾近海でもきな臭さが漂いつつある。いったいいつになったら、全ての人々が平和と繁栄を享受できるのだろうか。藤井氏がいない初めての終戦記念日に、改めて平和の尊さを噛みしめている。