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自己肯定感は関係ない!他人は自分のことを気にしていないとわかっていても「人目が気になる」理由

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

いい恋愛をしようと思えば過剰に人目を気にする性格では無理だということくらい、おそらく誰だってわかっているでしょう。しかし人目が気になる……。

そういう人に対して世間はしばしば「他人はそれほどあなたのことを気にしてないから」などと言いますね。

それを聞いた人は「そんなことくらいわかっている」と思います。「そんなことくらいわかってる。でもなぜか、人目が気になってしまうのよ」

おっしゃるとおりです。人目が気になる人は「わかっているけど気にしてしまう」んですね。

では、どうすれば人目を気にしなくなるのでしょうか?

「この自分」と「なりたい自分」

今の「この自分」と「こうなりたい自分」とのギャップが大きければ大きいほど、人目が気になります。

たとえば、私のもとにカウンセリングに来たある女性は、キャビンアテンダントになりたかったと言います。しかし、就職活動に失敗し、とある建設会社で派遣社員として働いています。

言うまでもなく、彼女にとっての「この自分」とは、派遣社員である自分です。他方、「なりたい自分」とはキャビンアテンダントとして、尊敬できる同僚や先輩たちに囲まれ、明るく元気に働く自分です。

彼女にとって両者のギャップはものすごく大きいようで、したがって彼女は絶えず人目を気にしていました。

つまり、「こうなりたいのに、そうなれていない自分」を世間から隠そうとしていました。あるいは別の言い方をするなら、なれなさを前に卑屈になっている自分を世間から隠そうとしていました。

どうせ私は・・・

そのような彼女には1つの特徴がありました。「どうせ」と思っている点です。「どうせ私はダメな人間だ」「どうせ私はおちこぼれだから」。

つまり、人目を過剰に気にする彼女は常に、自分のことを見下すクセがあったのです。

その視点はじつは、そのまま他者を見る視点になります。すなわち自分のことを見下している人は、じつは他人のことも心の中で見下しているのです。そのことは彼女の次の発言に見てとれます。

「私に言い寄ってくる男たちはどうせ私の身体目当てなのであって、私の人間性なんか見てない」

「どうせ職場のおじさんたちだって、人生つまらないと思ってるんでしょ?」

つまり、人目が過剰に気になる人というのは、自分と他者を見下している気持ちが世間にバレないかビクビクしているので、人目が気になるということです。

ではどうすればいい?

ではどうすればいいのかといえば、対処法はおそらく1つしかありません。自分の生まれ持ったよさを知り、それを生かすことです。

先のキャビンアテンダントになりたかったという彼女なら、彼女にとってキャビンアテンダントは「じつは何を意味するのか」を考えてみるといいのです。

単に華やかな職業に見えるからキャビンアテンダントを志望したということであったとしても、その奥にあるのは例えば、誰かのお世話をすることが、彼女の生まれ持ったよさかもしれません。

もしそうであるなら、誰かのお世話ができる仕事に即座に鞍替えした方がいいのかもしれません。そのことによって、生きがいややりがいを感じられ、その結果、人目を気にすることを忘れるかもしれません。

生まれ持ったよさと同時に、生まれ持った弱さを活かすことも重要です。

たとえば、どんくさい人は、そのどんくささを活かすことです。それにはたとえば、会社勤めという「決められたハイペース」で生きるのではなく、マイナーな世界で自分のペースで生きることです。ちょうど私が哲学というマイナーな世界の末席をおおいに汚しつつ、おちこぼれの哲学者としてどうにか生きているように。

自己肯定感について

ちなみに、自己肯定感が低いから人目が過剰に気になる、というのは、じつはなにも言えていない言い方です。

自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定すること」と世間では言われていますが、ありのままの自分が何なのかよくわからない以上、自己肯定感という言葉を使って考えても答えは出ません。

自己肯定感という言葉は、ちょうどアダルトチルドレンという言葉のように、マーケティング用語でもあり、マーケティング用語とはふわっとした「雰囲気言葉」なので、それをもとに考えても「出口がない」のです。自己肯定感とは本来、「私が私でよかったと思える気持ち」というほどの意味でしかありません。

あなたは自他のことを見下していませんか? 今一度、自問自答してみてはいかがでしょうか。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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