多摩美術大学 佐野研二郎葬式パフォーマンス 弔辞全文
多摩美術大学の学園祭で佐野研二郎氏の葬式パフォーマンスが行われた件、Twitterやエントリーでご紹介したところ、たくさんの反響があった。
多摩美術大学の佐野研二郎葬式ごっこ問題を考える(常見陽平) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsunemiyohei/20161107-00064160/
弁護士ドットコムやBuzzFeed、ハフィントンポストなども記事化しており、ヤフートピックスや、SmartNewsでも大きく紹介されていた。
この件について、正直、私は悪趣味で、不愉快で、いじめのような臭いを感じてしまった。私の感想に賛同する方も多数いた一方で、「これを取り上げて叩くのもいじめの論理」「芸術だから、それにいちいち文句を言うのはおかしい」「ちゃんと取材して記事にしろ」などのご批判の声を頂いた。「佐野研二郎ショックの美大生へのインパクトをわかっているのか」という意見もあった。
弔辞を書き起こしたデータや、その場にいた方が撮影した動画を入手した。動画をみて、書き起こしデータと相違ないことを確認した。
私は大学の教員であり、他大学・他大生について言及するのは、気を使わなくてはならないが、真実を知って欲しいという美大生たちの声を聞き、この問題について拡散してしまった責任というものもあるので、佐野研二郎葬式パフォーマンスでの弔辞、全文を掲載する。なお、動画も私の手元にあり、一度YouTubeに非公開で保存したが、観客なども映っていることなどから、いったん公開を見送ることにする(公開するべきかどうかについてはご意見を頂きたい)。
※2016年11月12日(日)11:50 追記:映像を見ていただいた方がこの弔辞の実態が分かると思うので、私のFacebook動画へのリンクをはっておく。
事実と解釈は明確に分けるべきなので、まずは全文を掲載した上で、私の見解を述べることにする。
佐野研二郎 葬式パフォーマンス 弔辞 全文
パフォーマンスは実行委員会が監視、制止する中、続けられたという。感動した、覚悟を感じたという声もあったそうだ。もっとも、頂いた動画では、笑い声なども聞こえたし、観客の戸惑う様子も映っていた。
ここからは私の解釈だ。
個人的に、不勉強だと反省したのが、佐野研二郎ショックの美大生に与えた影響である。私もわかっているつもりではあったが、想像以上だった。佐野研二郎に対する美大生の想いは一様ではない。彼に対して怒りを感じるもの、激しく同情する者など、様々だ。佐野研二郎氏問題に関して、デザインの勉強や、それを仕事にすることに絶望してしまった者だっている。
写真を見て、悪趣味だと思ったのだが、動画を見て、そしてこの文字起こしを見て、以前よりは彼らの問題意識や背景などは理解した。
佐野研二郎ショックが、美大生や、日本のデザインやアートの世界に与えた影響はまったく風化されておらず、根強く残っていることを我々は理解しなくてはならない。このインパクトは、今後、じわじわと美大を志望する者、デザインやアートの道に進む者の絶対数を減らす可能性だってあるし、少なくとも未だにこの件で、心を痛めている美大生や関係者がいるということは認識しておきたい。
ここで言う「死」とは社会的な死であるということも理解した。
ただ、この動画と、文字起こしを見て、印象は変わったものの、とはいえ、悪趣味であり、不愉快だという印象はまったく変わらなかった。
芸術だから、美大生だから何をしてもいいんだ、ここで大人が文句を言うと萎縮するというご意見も頂いたが、その論理の延長には、芸術がファシズムやプロパガンダに加担する危険性を孕んでいるといえる。本務校の同僚の先生からは「芸術は社会に与える影響を考え、それをコントロールできて初めて芸術たり得る」という言葉を頂いた。もともとはその先生が、以前いた学部の同僚に聞いた言葉だという。
率直に筋が悪いとも思った次第だ。ゲリラ的にやらざるを得なかった事情もあるだろう。ただ、どうやったら真意が届くのかということを考えなくてはならない。彼らにとっては「真意が誤解された」ということになるのだろうが、誤解を招くような伝え方をしていたのもまた問題ではないか。
結局、ここで、佐野研二郎ショックを払拭するようなものには今のところなっておらず、誤解の連鎖というか、残念なというか、しょっぱいというか、そんな展開になっていないか。
そして、芸術だからという理由で、勝手に生前葬を行うという行為はやはり看過すべきものではないと考える。「葬式ごっこ」などの教訓を忘れてはいけない。これで佐野氏に何かあったらどうするのだろうか。
もっとも、このようにこの事件を紹介する私のような者こそ、いじめに加担しているのではないかというご批判も頂いた。この一連の騒動が、現代の教養や倫理の問題を可視化しているというのは私のブレない主張である。
なお、これは公式に届け出たパフォーマンスではなく、タマビの学生であるかどうかも分からない。実行委員会は制止しようとしたという。ただ、同大学の学園祭で起こってしまった問題ということは全く動かないということも指摘しておく。
皆さんはどう思っただろうか?
私はひたすら悲しくなった。
こうやって感情論でしめるのはよくないのだが、偽らざる私の心の叫びである。