村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』
『シン・ゴジラ』を監督した庵野秀明は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物の名(トウジとケンスケ)を村上龍の『愛と幻想のファシズム』から拝借し、『ラブ&ポップ』を実写映画化したことがある。
そして庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』は村上龍以上に、2000年代以降の村上龍の問題意識を体現した作品だった。そして描かれるべき「震災後文学」をついに世に投じた作品でもあった。
どういうことだろうか?
それを捉えるために、まずは村上龍の辿った道を見ていこう。
■サラリーマンになれない
「おまえはぜったいにサラリーマンになれない」
村上龍は幼少期から親や教師たち(両親も教師である)にくりかえし、そう言われてそだった。
彼は集団作業にむいておらず、他人の指示に従うということを嫌った。
だからはじめ、医者になろうと思った。自営業者として開業医になれば、組織の論理をふりかざす「上司」のような人間にしたがう必要はない。
しかし高校時分に全共闘運動に参加し、学校をバリケード封鎖し(その様子は八七年に刊行された自伝的小説『69』に戯画的に書かれている)、勉強などプチブルのすることだと見限ったあとは、医大に行く学力など見込むべくもなくなった。
だが「サラリーマンになれない」――つまり企業に入らず、公務員にもならず、上下関係が苦手なのだから職人として丁稚奉公に出るという選択肢もない。
だれからも指図をうけないことと、寝たい時間に寝て起きたい時間に起きたいということにプライオリティに置く人間にできる仕事はかぎられている。
二年浪人したすえに、美大に通うことにした。武蔵野美術大学である。
卒業できなくても絵描きかデザイナーとして生計をたてられればいい。そう思っていた。
しかしけっきょく、さしたる目的も希望もなく、福生でヒッピーとして退廃した生活を送ることになった。
「ヒッピーになって、友だちが狂ったり死んだりしたでしょう。そういうの目のあたりに見て、それまで頭でしかわからなかったセリーヌやジュネの世界を、はじめて見てるんだって、気になったんですよ。それで、なんかこう、書いてみようかな、っていう気になって」(『ウォーク・ドント・ラン 村上龍VS村上春樹』17頁)。
23歳の村上龍は「クリトリスにバターを」と題した小説を書き、講談社に投稿した。
のちに『限りなく透明に近いブルー』と改題され、刊行されることになる作品である。
村上龍は群像新人賞を受賞し、同作で芥川賞を受賞した。
黒人兵士やヒッピーの仲間たちとのドラッグや暴力にまみれた乱交をえがいたセンセーショナルな内容が、わかき美大生に手によるもの――表紙に描かれたヒロイン・リリィの絵もまた、著者が描いたものだった――とあって世間の注目を浴び、『限りなく透明に近いブルー』はベストセラーになった。
銀行の通帳にはみたこともないような額が振り込まれ、村上は「これで自由になった」と思った。
とうぶん暮らしていくのに困らないカネが手に入った。
結婚し、多摩プラーザに家を買い、遊びまくった。
――がゆえにあっというまにカネは尽きた。彼はカネがあると、仕事をしなかった。
小説家が一生の仕事なのだ、とはまだ思っていなかった。
たとえば村上は『限りなく透明に近いブルー』のメガホンをじぶんで取った。
文学より映画に関心がある、とさえ言っていた。
出来は満足のいくものではなかったが、映画を撮ることをやめようとは思わなかった。
村上が小説を一生の仕事にしようと思う瞬間は、山小屋にこもって『コインロッカー・ベイビーズ』を執筆するときまで、訪れなかった。
そしてその天啓のあとも、村上はカネが尽きかけるまで小説を書くようなことはしなかった。
小説を書くことは、向いている、とは思ったが、好きではなかった。
なにより、肉体が快楽をもとめていた。そして快楽を優先させても、食っていけた。景気がいい、時代だった。
■『テニスボーイの憂鬱』――「世間」から脱出する手段としてのセックスとスポーツ
「だからさっき言ったでしょ? 醜い人間は怒れないし世の中を憎むこと多いでしょ? すると暗くなるよね、だからそういう人間は戦争になってみんな死んじゃえなんて思うのよ」
――『テニスボーイの憂鬱』
日銭をかせぐ「仕事」や家庭などさしおいて快楽に身を投じる生活を描いた典型的な作品が、83年から「ブルータス」に連載された『テニスボーイの憂鬱』(85年)である。
主人公は二代目社長のボンボン。不動産をもち、ステーキハウスを経営している――といっても企業努力らしいことはあまりしない。
現在の村上龍ならこうは描かなかっただろうという経営者である。
経営者に対する視点が変わってるし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された八〇年代の日本という時代がかもしだす空気が、現在の日本社会のそれとはちがいすぎる。
彼はふたりの女と不倫する。そして家庭を放置する。
彼が息子に対して父親としてすることは、たまに帰って本を読みきかせたり、戦隊もののおもちゃを買ってあげることだけだ(にもかかわらず、「今、俺は家族と離れて寂しい」と言う)。
息子と女には共通する点がある。あきっぽいこと、終わったことには目も向けないことだ。
バイオマンに熱中する息子にはついこのまえまで放映されていたダイナマンのダイナロボのおもちゃはもういらないと言われ、吉野愛子には肉体関係の終わりをさらりと宣告される。
ある一瞬にしか沸騰しない欲望に身をまかせること。
こうした衝動は、『ラブ&ポップ』で主人公の裕美が宝石店でみたトパーズをどうしてもほしいと思って援助交際するときにも、イタリアのサッカー選手たちがわずか90分のゲームのために、いやゴールをめぐる瞬間の攻防のためなら悪魔に魂を売ることも辞さないさまを描いた『天使のパス、悪魔のゴール』にも登場する。
そしてその衝動が消えさったあとの空白も、刻印されている。
村上作品においてセックスやスポーツは、肉体の快楽は、日常や「世間」からぬけだす(ための)ものである。
退屈な日常を生きている人間がそこから脱出する手段はほとんど、暴力行動(『昭和歌謡大全集』)か、スポーツをするかセックスをするか(『テニスボーイの憂鬱』)、そのバリエーションとしての自意識を抹消する手段=SMという選択肢しかない(『トパーズ』)。
村上作品ではセックスはながく最大級の快楽という地位をあたえられてきた。
90年代に書かれた『トパーズ』3部作がその頂点であり――そして2002年刊行の『2days 4girls』をもって、村上龍はセックスやSMを主題にすえた作品をあまり書かなくなる。
性にかわって二一世紀に村上龍がとりくんできた仕事、それは日本の経済と教育にかんするものだった。
なぜ性は後退してしまったのか?
理由のひとつは、またも彼が「飽きた」からだ。
テニスやF1に一時期熱中し、しかし飽きてしまったように、性の問題も飽きたのだろう。
もうひとつの理由は、『すべての男は消耗品である』(八七年)から一貫してもちつづけてきた、彼の女性論からの必然だろう。
『すべての男は消耗品である』は日本における「父権」の失効を指摘するものだった。
以降、90年代にSMや風俗、援助交際をあつかうときも、あるいはオバサンをとりあげるときも(『昭和歌謡大全集』)つねに、「男」が感じられる父親の不在を、家庭の崩壊を問題にしてきた。
社会のひずみが個人の自意識のひずみを、性のひずみをつくりあげると村上は考える。
ゆえにSMのようなかたちでひずみを爆発させ、発散させるのは対症療法でしかない。
SMではけっきょくのところ「世間」から脱出しきれない。
必要なのはまっとうな自意識をもって「自立」すること、社会のひずみを正すこと――こうして彼の矛先は個人の性愛からいっきょに、マクロ環境の問題を向くことになる。
■『愛と幻想のファシズム』――システムへの抵抗とその特徴
要するに、才能のない連中が戦争をしたがるのである。
――『すべての男は消耗品である』
アメリカと戦争、そのイメージはとても曖昧だ。アメリカも曖昧だし、戦争も曖昧だ。
――『愛と幻想のファシズム 下』
自決にはエネルギーが必要なのだ。そのエネルギーは恐らく日本の近代をつらぬくエネルギーと同質のものである。(中略)
太平洋戦争はそのエネルギーの最大の爆発だったはずなのに、どの戦争小説にもそのことは描かれていない。
日本の戦争小説に描かれているのは、戦闘状態、またはそれに準ずる特殊状況下における自我の危機、それだけだ。
――『村上龍全エッセイ1982-1986』
日本人は農耕民族だが、俺は違う。狩猟民族である。強い「男」なのだ。村上龍はそう思おうとしていた。
日本社会に、あるいは世界資本主義の支配層に抵抗しうるのは力への意志――ファシズムだけであると信じた。
日本をとりまく経済環境から20世紀の日本の来歴と現況を分析し、閉塞感を打破する方法論を模索したのが83年12月から「週刊現代」に連載された『愛と幻想のファシズム』である。
しかしこの小説のプロットは、狩猟社という政治結社を牽引し、権力を手中にしようと画策するトウジとゼロの方法論は、目的と手段がアンバランスである。
「失業者や浮浪者はたった今全部死んだ方がいいに決まっている」(『愛と幻想のファシズム 上』110頁)。弱者は死ね! と叫ぶ狩猟社の主張は、だが、空転している。
石油を支配し、世界を支配する多国籍企業を最大の敵としているにもかかわらず、つまり国際経済の情勢を相手取らねばならないとしているにもかかわらず、一貫して主人公たちは国内の党派に対する政治的闘争におもだって取り組む。
アメリカやイスラエルやスイスといった国名が飛びかい、外国人たちと接触をもっても、トウジやゼロの狩猟社は外国へ進出することがない。
日本国内の政権党や左右翼の各党派とのゲバルトをいくら行っても、日本を覆い、世界経済を規定している(と村上が考える)「システム」にダメージなどあたえられるはずがない。
結果、ゼロの焦燥とトウジのしかけるテロの連鎖による日本国内の権力奪取だけがめだつ作品となった。
この作品で村上龍は、日本におけるテロ(内戦)は描いても、戦争は描いていない。
この失敗にこそ、村上龍の問題意識があらわれている。
彼は世界経済自体には本質的には興味がない。
世界の政治経済のなかで、日本が、日本人がどうふるまえるのかが村上にとっては問題なのだ。
あるいは、自分でメガホンをとった映画『だいじょうぶ、マイフレンド』の大失敗――「世界」=アメリカにはけっしてかなわないというトラウマが、世界ではなく日本に目を向けさせたのかもしれない。
この「日本」への突出した関心の高さにこそ村上龍の限界があるのだが、それはのちに述べる。
■『五分後の世界』シリーズ――本土決戦をしなかった国・日本
『愛と幻想のファシズム』の問題意識を受けつぐ作品は、日本がポツダム宣言を受諾せず、連合国軍相手にゲリラ戦を各地で続けているという並行世界を舞台にした『五分後の世界』シリーズだろう。
村上龍は日本が太平洋戦争時に本土決戦を行わなかったこと、肉親や恋人を目の前で敵に虐殺されるような事態に出会わなかったこと、そうした危機ととなりあわせの環境にならなかったという過去に執拗にこだわる。
それこそが日本を閉鎖的な共同体のままにし、意見の対立を忌避し、文脈のちがう他人にメッセージをつたえる能力を欠くこととなった原因だと考えている(この立論には飛躍があるが、さておく)。
本土決戦の忌避は、彼の日本人論において、70年代なかばにおける近代化の終わりへの不適応と双璧をなすトピックである。
『愛と幻想のファシズム』でも、『五分後の世界』やその続篇『ヒュウガウィルス』でも、『希望の国のエクソダス』でも、『半島を出よ』でも、日本人は先の戦争で身内を眼前で虐殺されなかったがゆえに危機意識をもてないのだと言い、小説では危機感をもった人間や危機ととなりあわせにある状況をえがいてきた。
そうして村上は軍隊を、戦争を書くことにとりくむようになったのだ。
では危機感をもち、それをエネルギーに変える人間とは何をする(しうる)存在なのか?
四点ほど特徴がある。
一、志――現状のままでは不可能であるが、やるしかないという認識をもつ
かれらは実現困難な高い目標、ヴィジョン、ミッション、「志」を持っている。
二、思考力――優先順位が策定でき、すばやい意思決定ができる
「UG兵士はシンプルな原則で生きている。最優先事項を決め、すぐにできることから始め、厳密に作業を行い、終えると次の優先事項にとりかかる」(『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界II』237頁)。設定された目標をクリアするために何をなすべきかを考える「思考力」をもつ。かれらの形成する集団は、総花的な、八方美人な行動や意見の形成はしない。
三、持続的な行動力――目的を達成するための「科学的な努力」をつづける
不可能に思えるようなミッションを遂行するために必要な能力を獲得すべく、厳密さ、正確さをともなった訓練を継続的に行う。ある目的を達成するために必死に、全力になるがムダな努力はしない。
「努力というのは、本来その内部にある矛盾を抱えている。『最終的には何とかなるはずだが現状ではまったく不可能だ』というような矛盾だ」(『ハバナ・モード』)。
四、奇跡(幸運)――科学的な努力のすえに出会う
主観的には「奇跡」としか思えないような達成の瞬間や偶然と出会う。ただし「奇跡」と言っても超自然現象ではない。能力だけでも運だけでも到達できない地点に至る。偶然のみならず、継続的かつ科学的な努力によって獲得した能力があってこその成果である。それによって目標を達成する、または近づく。
こうした、危機感をもつ人間の特徴は『愛と幻想のファシズム』からはじまり、「中学生の反乱を通して、現在の日本社会の適応力のなさを示したかった」という『希望の国のエクソダス』(文春文庫あとがき、430頁)などにも引きつがれている。
これらとちかしいものが『カンブリア宮殿』での発言でもみてとれる。
「アメリカの穀物を扱っていた時には(引用者中、伊藤忠商事の丹羽宇一郎が)、自分の足で畑を歩いてメモをとり商売につなげていったそうです。そういう方だからこそのダイナミックな話をうかがえたわけですが、語り口は淡々として物静かな印象が残ります。改革というのは体からエネルギーを発しているような人が「よーし、やってやるぞ」と叫んではじめるものではないのでしょう」(『村上龍×経済人 カンブリア宮殿3 そして「消費者」だけが残った』97頁)だとか、「決定的に重要なのは、科学的な努力を長期にわたって傾注する何かと出会えるかという一点なのだ」(『日経スペシャル カンブリア宮殿 村上龍×経済人2』106頁)といった具合である。
また「この巻に収められたすべての企業・会社・学校は、例外なく、まず「生きのびよう」とした」(『村上龍×経済人 カンブリア宮殿4 新時代の経営:景気回復に依存しない』3頁)とか、「ただ、何がおこるかわからないが、これをやらなければ生き残れないという姿勢が、これらの数少ない製造業の優等生にはあったのではないでしょうか」(同書102頁)といった「生きのこる」「生きのびる」という単語の多用は、かつて村上が求めてやまなかった「危機感」が現前している状況を意味している。
つまり、村上は自分が小説で書いてきた本土決戦をした日本人たちに通ずるものを「カンブリア宮殿」に出演する経営者たちにみいだしているのだ。
■狩猟社と日産
村上が日本を舞台に軍を、戦争を書かねばならないと思った理由は、戦時中に本土決戦を実行しなかったころより日本人のふがいなさがはじまっていたと考えたからだった。
第二次大戦の記憶がうんだものであるという点では、初期の経営戦略論と村上龍の思考法とは、兄弟のようなものだ。
戦争の不在が危機感の不在を、カリスマ的なリーダーの不在をうんだ――という考えの延長に、村上が『カンブリア宮殿』を仕事にしている理由がある。
日本が高度成長を終え、競争が激化し、戦略を必要とする時代になったからこそ、彼はビジネスの世界に自分がもとめる「匂い」をかぎつけてやってきたのだ。
村上龍は、初期の小説では退屈な日常を破砕してくれる寓話的な題材として戦争を書き、『五分後の世界』以降は危機意識の象徴として軍を、つよい組織とはいかなるものかを描き、非常時における資源配分と必要な行動を書いてきた。
くりかえすが、彼は、戦後の日本人にはほとんどそうした戦争体験=危機の経験がないと信じていた。
危機意識をもたない人間たちの生きる日常は退屈で窮屈で視線が内向きなのであり、それゆえ村上は小説に戦争を導入しなければいけなかった。
だが2000年代以降はちがう。
不可能ともおもえる目標をうちたて、組織に危機感を浸透させ意識改革をはかり、リーダーシップをもって施策を断行し、ミッションを達成するカルロス・ゴーンのような経営者にみいだしたものは、彼が望んでやまなかったトウジとゼロの、狩猟社が本来めざすべきだったありかた――内戦に興じるのではなく世界と対峙すること――そのものだと考えるべきだろう。
つまり村上が、フィクションとして(「設定」として)「戦争」を導入しなければ描けないと信じていた、強いリーダーが率いる、強い個人から成る強い組織というものが、ゴーンが率いる日産や、柳井正が牽引するユニクロというかたちで現代日本にあらわれたからこそ、彼は企業経営に経緯と関心をはらうようになったのだ。
「失われた一〇年」を経て、日本人はようやく村上がもとめていた「危機感」を常態的にかかえるようになった(ように、彼には見えた)。
そして気づけば金融や経営の世界には、自分がもとめていた「戦争」があった。
『最後の家族』では、リストラされることになる中年男性の口を借り、失業者は戦死者と同じだ――新聞では数字として扱われるが、当人たちにとっては地獄である――と語らせている。
かつて村上龍は日本の企業組織は、意志決定ができず、建前ばかりを重んじ、危機感に由来するスリルや快楽を追うことのない、唾棄すべき存在と信じていた。
「オレ達は、すべてが均一化に向かう、これまでで最も変化の少ない時代を生きているのである。/大企業の社長にしても同じようなものだ。/ほとんどが雇われ社長で、経営は集団指導型となっている」(『すべての男は消耗品である』171頁)と。
だが日本はバブル期までのなあなあでのっぺりとした「世間」をほころびさせる「格差をともなった多様性」(JMMのキーワードのひとつ)を感じさせる社会へと変わりつつある。
2000年代以降の日本には、戦争を描かず、戦争を引き合いに出さずとも、村上龍が欲していた「危機感」はころがっており、それに適応する組織やリーダーが実在している。
彼はそれに気づいたのだ。
そして危機に敏感な一部の経営者たちのなかには、ヤマト運輸の小倉昌男のように運輸省(当時)の規制と、行政と戦いながら宅急便事業を築きあげた者がいた。
ゴーンは系列会社間で取引するという日本的な商慣習を排除し、コスト競争力を高めた。
彼らはあたかも抗戦ゲリラのように支配的な体制への「カウンター」やアウトサイダーとして存在し、しかし、それこそを本道とせんとするトップリーダーたらんとしていた。
■中田英寿――早すぎる引退が村上龍の教育論に与えたもの
日本経済が再生しなくても別にいいじゃないか、と別れ際にアメリカ人のファンドマネージャーは言った。
「ぼくはアメリカ経済がクラッシュしてもファンドマネージャーとしてやっていけるし、君は日本経済がダメになっても、作家として生きていけばいい」
正論だと思った。実際にたとえば中田英寿はそういう生き方をしている。
――『奇跡的なカタルシス フィジカル・インテンシティII』
ここからは2000年代以降の村上龍の仕事でおおきな位置を占める教育論を、その主張を用意したものを挙げておきたい。
キューバと中田英寿である。
村上の主張では、「成功」とは代表作がひとつあることや一発でかいヤマを当てることではなく、コンスタントにクオリティのたかいものを提供しつづけることであり、コミュニティをもっていること、である。
瞬間の爆発よりも持続をより重視する、などという主張は、初期の、たとえば東京を破壊したいと思っていたキクとは、『コインロッカー・ベイビーズ』の村上龍とはことなっている。
瞬間の享楽の獲得から、持続へ。
「個」であるだけでなく、信頼できる共同体をもつこと。
おそらく映画『KYOKO』から、村上は変わりはじめた。
――だがまずは中田英寿の存在が村上龍になにをもたらしたのかから検討しよう。
97年の夏の終わりに、村上龍と中田英寿は出会った。中田は20歳だった。ふたりはすぐに意気投合する。
日本が初のW杯出場を手にした頃、僕は猛烈にある男に憧れていた。というよりなりたかった。あらゆる災難をはねのけ、何もかも自分で判断し解決できる男。龍さんの小説『愛と幻想のファシズム』に登場する主人公は、当時、僕が欲しかったすべての力を備えているように思えた。(中田英寿による『悪魔のパス 天使のゴール』文庫解説、444頁)
村上は、逆に中田をこう評している。
「世界」は遠いのだという閉塞感がわたしにはずっとあった。(中略)だが、あのジョホールバルの試合で、延長の後半、ダエイがボレーシュートを外したあと、中田がイランゴールにドリブルで斬り込んでいく姿を見ているとき、世界に混じり合っていく若い日本人をはっきりとイメージできた。(『フィジカル・インテンシティ』31頁)
中田はペルージャで禁欲的で過酷な現実を生きていて、それを奇跡につなげている。その奇跡は、繰り返されることによって、充実した現実に変っていく。彼はそのために誰よりも努力している。そういう科学的な努力が続けられる限り、中田英寿は21世紀の日本人のひとつのモデルになりうると思う。(『寂しい国から遙かなるワールドカップへ』212頁)
一対一の局面では、サッカーは個人競技になる。個人は集団に優先されなくてはいけない。そういった「集団病」から自由なのはやはり中田だ。彼は日本的なメンタリティからなぜか自由だ。それが技術によるものか、中田の生き方によるものかはわからない。おそらく両方だろう。(『奇跡的なカタルシス』21頁)
対して監督をつとめた岡田武史の采配については「すべてに優先してまずシステムがある、という日本的な考え方の象徴」(同書34頁)とされ、否定的に語られる。
「システム」は『愛と幻想のファシズム』のキーワードのひとつであり、トウジたちが戦う、茫漠とした日本的なるものおよび世界経済を支配する権力のことだった。
村上は日本のサッカーチームや選手に日本社会を見、中田にはトウジを見た。中田はトウジに自分の理想を見た。
そして村上龍は中田と自分をモデルに、トウジとケンスケという名前を冠した人物を主人公にした小説『悪魔のパス 天使のゴール』を書いた――おそらく、後述する『KYOKO』で獲得しアップデートされてきた自身の集団観を踏まえて。
ところが、である。中田英寿は引退してしまった。
しかし、サッカー選手は、引退しても人生はつづく。ではどう生きるべきか。
「アンダーグラウンド」のゲリラのように――すなわちキューバの音楽家にように、だろう。
■キューバ――好きをつづける、仲間たちと
それまでは、小説を書くということは、それでお金を稼いだり、俗っぽく言えば、名誉を得たり、自分のアイデンティティを確保するためのもので、他にもっと面白い遊びというのがあって、その遊びをする時間やお金を確保するために、小説を書いてるような感じがあったんです。肉体は絶対快楽についていけない、快楽を追ってると肉体は死んじゃうというのがわかった時に、小説に向かう態度が変わって、非常に憂鬱だけども、ひょっとしたらこれしかないなというような思いになった時に、小説というカテゴリーに対して妙な敵意でもないですが、もちろん無茶苦茶にやるというのではなくて、小説という容器が悲鳴を上げるようなことをやってみたいという気になったんですよ。
それで最初に書いたのが「五分後の世界」で、それからずっと「ピアッシング」、「ヒュウガ・ウイルス」と来ているんです。それ以来全く変わってしまったんですよ。
――「残酷な視線を獲得するために」(蓮實重彦との対談での村上龍の発言)
はじめて彼がキューバを訪れたのは91年だが、『KYOKO』の企画スタート前後から村上のキューバ熱は本格的にはじまり――差別のない国キューバを差別のない「アンダーグラウンド」にかさねるなど『五分後の世界』にも反映しつつ――現在もつづいている。
『KYOKO』は映画『トパーズ』(外国では『TOKYO DECADANCE』と題された)撮影時に着想したことにはじまる。
幼少期にラテンダンスをおしえてくれたGIホセに会いにキューバへ向かうKYOKO。
しかしゲイのホセはHIVの末期状態にあり、記憶が混濁していた。
KYOKOはホセを故郷へ帰そうとクルマを走らせる――短篇『シボネイ 遙かなるキューバ』をふくらませ、アレンジした『KYOKO』。
『KYOKO』で村上龍は、はじめて「共同作業」のすぐれた点を知った。
映画や小説にくらべて制作にかかわる人数が多く、役者、スタッフ、カメラワークや音楽ど構成要素が、情報量が圧倒的に多い。
しかし彼は『KYOKO』を撮るまで、ひとに任せる、ということを知らなかった。
『KYOKO』以前はすべて自分で統御しようとし、しかしうまくいかなければ妥協し、そして失敗作をのこした。
一九九五年、村上龍はマネジメントを、エンパワーメントの重要性を、集団で作業するときに必要なことを身をもって学んだ。
表現においてさえ、他人にまかせたほうがうまくいく、ということがあるのだと知った。
自立した個人が形成する、信頼をともなった集団――サッカーチームやキューバのオルケスタ、「カンブリア宮殿」でとりあげる企業、あるいは村上が小説『最後の家族』で描いた家族像は、みな、こうしたものである。
『愛と幻想のファシズム』では、トウジはみずからがひきいる狩猟社のメンバーを軽蔑していた。
自分とゼロだけが違うのだと信じていた。
しかし『KYOKO』以降の村上は、そうした傲慢を捨て去った。この経験がなければ、「カンブリア宮殿」で企業のリーダーに、たくさんの人間をたばねる(すなわちたくさんのひとに仕事をゆだねる)その手腕と思想へ着目することはなかっただろう。
キューバとサッカーに共通する点がある。
貧しい国の民がやったものでも、アウトプットはけっして貧しくない、ということだ。
テニスや小説『368Y Par4第2打』(93年)で書かれたゴルフはヨーロッパの貴族のスポーツである。
村上龍はそこに劣等感を、疎外感をいだいた。
そのことがふたつのスポーツに関心をうしなった理由に影響しているかもしれない(「BRUTUS」08年6月1日号では、設備や道具にカネがかからず、空き地さえあればできるサッカーは、自然環境を人工的に変えねばならないゴルフとくらべてエコロジーにフィットする、と肯定的に書いてもいる)。
キューバ人は物質的にはゆたかではないが、音楽はゆたかである。
サッカーがさかんな国、度をこして熱中している国民が多い国は、南米にしろイタリアにしろ経済的には二流三流国である。
だがそんなことは関係ない。
彼のもとめる「力」とは、かならずしも物質的な豊かさを意味しないことに、バブルが崩壊し、景気が冷え込んだ「失われた一〇年」が進行する過程で気づいたのだ。
ゆえに2000年代には村上龍の目線は、『テニスボーイの憂鬱』のように豪遊する特権階級のそれではなく(「世間」からアッパーに逸脱するのではなく)、ドロップアウトし、フラフラしたかつての自分に似た、等身大の個人に回帰する。
『半島を出よ』のどうしようもない若者のあつまりであるイシハラグループに、『最後の家族』や『盾』のひきこもり青年に焦点が合うことになる。
また、ポップミュージックのカリスマたちがヒット曲を飛ばせるのはほとんどの場合、ある一時期だけだ、とも村上龍は書いていた。
「バート・バカラックにしても、エルトン・ジョンにしても、ブルース・スプリングスティーンにしても、ビリー・ジョエルにしても、ヒット曲を連発していた時期は本当に短かった」(『恋愛の格差』120頁)。
だがキューバの音楽はちがう。
若いミュージシャンだけが重宝され、特権的にわずかな期間、スポットライトを浴びるわけではない。
老若男女をとわず、すぐれた音楽家は何年も何十年も第一線で活躍しつづける。
ヴィム・ヴェンダース監督のキューバ音楽ドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に出演したイブライム・フェレールなどは七〇代になってなお、死の直前まで現役で活動をつづけていた。
「カンブリア宮殿」200回スペシャルに際する記者会見で、出演した経営者の平均年齢が高いことを村上龍は危惧するような発言をしていたが、本心ではないように思える。
若くてすぐれた経営者をセレクトすることはおそらくむずかしくないからだ。
ではなぜか。
キューバの老音楽家のすがたを知っていたから、わかさを失っても好奇心をもち、すきなことをつづけていればかがやきつづけることができることを知っていたから、いや、若者の瞬間のかがやきよりも老いてなお現役というすがたに惹かれたからこそ、「カンブリア宮殿」の出演者の平均年齢は高いのだ。
老いを肯定したいのではない。
村上龍は、たとえば2010年で80歳になるスズキの鈴木修会長兼社長の表情に、「アンダーグラウンド」のゲリラたちのように半世紀にもわたる戦いをつづけるすがたを見たのだ。
「カンブリア宮殿」がはじまったのは2006年4月。中田が引退を発表したのは、同年7月。
中田は圧倒的な「個」だった。
しかし、「個」のあつまる集団を形成し、生涯にわたる長期戦をたたかうことはなかった。
瞬間の享楽の獲得から、持続へ。
「個」であるだけでなく、信頼できる共同体をもつこと。
こうした変化は、中田とキューバによってもたらされた。
■「カンブリア宮殿」で村上龍は誰に向けて語っているのか?――村上龍教育論の視線
小説家になる前の自分を思いだすと、本当に無力だった。
――『恋愛の格差』
村上龍は「カンブリア宮殿」を若い人や子どもに、とくにニートやフリーターやその予備軍たちに観てほしいのだと言う。
かねてより、村上龍は戦後日本の公教育システムの機能不全を指摘してきた。
酒鬼薔薇聖斗事件を受けて執筆したエッセイ『寂しい国の殺人』を経て書いた、激増した不登校児童が大挙して日本から脱出し、独立国家を建設する小説『希望の国のエクソダス』が典型だろう。
彼は経済学者・吉川洋の著作などを手がかりに、彼は言う。
日本の近代化、工業社会化は70年代のどこかで完成し、終わった。
追いつき追いこすべきものを個人から国家レベルまで共有していた時代は終わり、個人が自立し、自分で考え、早くから興味と適性に応じて仕事を選択していけるよう教育の制度を変えるべきだった。
だが、日本はそれを先送りにしつづけてきたツケがまわってきている、と。
偏差値の高い学校に行けば大会社に入れて終身雇用で安泰、というわかりやすい幻想が機能しなくなった時代になったいまだから、「こうなりたい」とか「ああいう仕事もある」と思わせる成功者たちの姿を知らしめ、どうすれば成功できるのかという道筋を示す必要がある。
これが『13歳のハローワーク』や「カンブリア宮殿」で村上龍がしている仕事のベースにある考えだ。
彼のキャリアは戦後日本のレールから外れたところからはじまっている。
つまり「おまえはサラリーマンになれない」と言われ、しかし自分にどんな仕事ができるかもわからずドロップアウトし、ヒッピーとしてドラッグとセックスにおぼれてしまったかつての自分とかさねあわせて「若い人や子ども」をとらえている。
今の若者や子どもの多くは、そのむかしドロップアウトした自分とおなじく「何をして食っていくべきかわからない」という状態になりかねない、というわけだ。
村上龍作品において、主人公はたいがい社会規範や「世間」からのアウトサイダーである。
たとえば『トパーズ』ならSM嬢、『希望の国のエクソダス』なら不登校児童、『共生虫』や『最後の家族』ならひきこもり、『半島を出よ』ならイシハラグループにしろ北朝鮮のコマンダーたちにしろ共同体の規律を逸脱した存在である。
『五分後の世界』の主人公・小田桐は犯罪者だった。村上は社会からはみでる者にばかり焦点をあててきた。
彼の描く犯罪者像も決まっている。
やりたいことがない人間だ。また、女性であれば父親がふがいない場合だ。
スポーツやセックスといった圧倒的な快楽を知っていれば、あるいは打ち込める仕事をもっていれば犯罪に手を染めることはない――これは85年の落合恵子との対談(『村上龍全エッセイ1982-1986』所収)のころ、つまり『テニスボーイの憂鬱』のころから近年の『無趣味のすすめ』にいたるまで一貫した考えである。
既存の社会システムのなかで「やりたいこと」をもたない(もてなかった)人間がドロップアウトし、アウトサイダーになる。あるいは『昭和歌謡大全集』の殺人事件に出会う以前の主婦たちのように、他人の話をほとんど聞かないおしゃべりに費やすだけの人生を送ることになる。
村上龍にとって、生活のなかにちいさな幸せをみいだす――などということは、ありえない。
問題は「やりたいこと」をもてない人間の資質や、「やりたいこと」を用意せず、その必要性をアナウンスしない(とかれが考える)教育やメディアに向くこととなる。
だから村上は「やりたいこと」に没頭し、成功している「モデル」を提示しようと、『13歳のハローワーク』をつくり、『カンブリア宮殿』に出演する。
日本社会を批判ばかりしてきた男が、還暦ちかくなってようやく良いところをみつけようとしはじめたのである。
だが、限界もあった。
■半身だけ「外部」という限界――真の可能性の中心はどこか?
80年代後半に書かれた『愛と幻想のファシズム』が世界経済を「敵」と名指しているにもかかわらず、闘争は日本国内の政治勢力とばかり行っていることを先に指摘した。
90年代の終わりに書きはじめられた『希望の国のエクソダス』でもおなじような問題がある。
主人公のポンちゃんを中心とする不登校児は日本から脱出し、ITを駆使して金銭を獲得し、北海道に独立国家を建設する。
「技術は、集団や共同体を「横断」する。技術はある集団から他の集団への個人の移動を可能にするものだ」(『フィジカル・インテンシティ』35頁)。
「技術」を持っている人間は日本的共同体にとらわれずに済む、というのが村上龍の一時期の口癖だったが、しかし、アメリカでもフィンランドでもシンガポールでも子どもたちには自分たちの技術を活かせる場所はいくらでもあったはずだ。
だが彼らは外国に移住するという選択肢を考えない。
莫大なコストをかけて日本から独立し、「国家」をつくる(企業をつくる、ではなく)。
ポンちゃんが「日本の」不登校児を特権的にあつかった理由もわからない。
村上龍にとって「日本から」抜け出ることが重要だったから、としか思えない。
ここには日本に向けられた、日本以外では通用しない、日本をある意味で特権化したメッセージが織りこまれている。
問題は、ずっとかれが海外と日本の落差を、対日本向けに利用してきたことにある。
村上龍は半身を日本の外側に置き、しかし日本の内側に向けて書く。
村上作品を説教くさいと言う人間がいる。
ひとは、どういうときに「説教くさい」と思うのだろうか?
あるメッセージが自分のものとして受けいれられないときだ。
上から、あるいは外から言われていると感じるときだ。
村上龍は自分のことを「日本社会の外部にいる人間」と位置づけている。
先にも見たように、彼の小説の主人公たちは日本社会の規律から外れた――しかし日本のなかにいる者である。
この立場には限界がある。
中にいる人間がなにかをしようとしているとき、危機感をもってなにかを成そうとしているが苦戦しているとき、外側から意見を言われるのは不愉快だ。
責任を負うわけでもない人間がすきに言うことなど、正論であっても「だまっていろ」と思うだけだ。
上からでも外からでもなく、中から働きかける、あるいは当事者として働くことそのものによってなさねばならないことがある。
カルロス・ゴーンは日産の外部ではなく内部の人間となったからあの仕事をなしえたのであり、それを紹介する村上龍は外側の人間である。
「カンブリア宮殿」の村上龍の限界はそこにある――そして『シン・ゴジラ』は、それを乗り越えた。
■村上龍最良の後継者にして震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』
ということでやっと『シン・ゴジラ』の話に入る。
この作品は、「本来、震災後に描かれるべき日本文学」であり、本来、村上龍が書くべき作品だった。
庵野秀明はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物の名(鈴原トウジと間ケンスケ)を村上龍の『愛と幻想のファシズム』から拝借し、『ラブ&ポップ』を実写映画化したことがある。村上龍の最良の後継者である。
そしてまた、震災後に書かれた無数の小説が描きえなかったもの、震災後文学の到達点を示したのも『シン・ゴジラ』だった。
『シン・ゴジラ』は、3・11によって起こった津波、原発事故(放射能汚染の恐怖)、政局の混乱、米国の介入、デモの台頭といったもろもろの事象を、巨大不明生物ゴジラの東京上陸という設定を用いて辿り直し、現実にもありえたかもしれないがそうはならなかった日本のありようを描いていく。
主役となるのは若き政治家であり、政治家が指揮する専門家集団であり、自衛隊である(福島第一原発の事故に際しても災害救助活動にしても、あれほど身を挺して活動した自衛隊という存在を、震災後文学はほとんどまともに描いてこなかったが、『シン・ゴジラ』はやった)。
ほとんどすべての震災後文学と決定的に異なる点は、状況のキャスティングをする側、戦う側を描き切った点だ。
田中慎弥『宰相A』や3・11以降の島田雅彦の諸作などにも政治家たちは登場していたが、個人の内面やプライベートな出来事や心理を描くにとどまり、政治の本丸に斬り込むことはまったくなかった。
政治家を登場させて身辺雑記やセックスを描く、あるいは作家の自意識を扱うのであれば、登場させるのが政治家である理由はない。また、安倍晋三政権を皮相に批判する作品もあったが、それで何になるというのか。
震災後文学で政治家たちを真正面から「政治家」として、組織を動かし物事を変革していく力として描こうとした作品は、石原慎太郎『天才』くらいだろう。
関東大震災直後に後藤新平が復興のヴィジョンをただちに示し、プランを策定したように、3・11以後にも「これから」を見せる人間が必要だった。文学においても、である。
石原が取り上げた田中角栄は、「日本列島改造論」をぶちあげ国民に夢を見せ、また石原史観ではアメリカの石油利権および防衛力への依存から離れ、日本がエネルギー政策において自立すべく原子力発電およびその先の核武装を見越して画策したがためにロッキード事件で刺されて失脚した、志高き人物である。石原のイデオロギーやその陰謀論めいた見立ての正しさはさておけば、震災後の状況に参照するには悪くない選択だったかもしれない。
しかし石原はなぜか政治家・角栄の物語を、妾の子との和解という卑小な結末に落とし込んでしまう。それではだめなのだ。『シン・ゴジラ』のように、貫かなければならなかったのだ。
震災後文学の多くは、いとうせいこう『想像ラジオ』のように死者と通信する小説にしろ、吉村萬壱『ボラード病』をはじめとするディストピアSFにしろ、「自分たちが置かれたのはひどい状況だ」「悲しい、つらい」という以上のことを描いていない。
戦争文学と接続したタイプの震災後文学も同様である。
そこでの戦争のイメージは空襲であり、逃げ惑わざるをえないものであり、愚鈍な軍部がもたらした事態の被害者としての「私」なのだ。登場人物たちは戦争や復興の主体にはならず、事態を掌握し打開する側には立たない。これは戦後七〇年になり、戦中に将校、政治家だった人たち、作戦を指揮し、大局を見て判断せねばならなかった世代はすでに亡く、いま存命しているのは当時、子どもだった世代しかいないこともあるだろう。
人が死に、故郷が失われ、帰還困難になり、放射線の恐怖にさらされ、真偽不明の情報に呑まれて人間関係がギスギスし、言いたいことも言えなくなる。それを作家が無視していいとは言わない。しかし科学技術に対して、政治に対して、決定的に受け身だった。被るだけの存在ばかりを描いてきたことは偏りではなかったか。
震災後文学は被災者・被害者を描くだけでなく、その先を示さなければならなかった。道を自らきりひらき、対話のなかで、歩まねばならなかったのだ。受け身の精神のみならず、状況全体を担う覚悟も示すべきだった――少なくともひとりは、そうした作家がいるべきだった。
死を悼むだけでなく、犠牲を伴うものであっても優先順位を見失わずに決断をし、他者との面倒なネゴシエーションをやりぬき、当事者意識をもって事態に臨む。
それを描くには、作り手自身がいきあたりばったりではない高い構築性を志し、ヴィジョンを示し、またその理想を実現する手管を持たねばならなかった。
村上龍こそ、その可能性を持っていた数少ない純文学の作家だった。
村上龍はずっと「希望」にこだわってきたが、3・11以降には「どこを探しても希望のかけらもない」(『ラストワルツ』)などと書き、小説では「希望」を示しきれていない。
村上が震災後に書いたのは老人がテロを起こす『オールド・テロリスト』という、『半島を出よ』の自己模倣のような作品だ。老練な者たちを主人公にしたことが問題なのではない。
テロリストではなく、彼が「カンブリア宮殿」で接しているような、組織のリーダーたちを描くことこそが、震災後の2010年代日本という状況では必要だった。だが、彼は書かなかった。
庵野秀明は、村上龍本人よりも大きなスケールで、明確に、正しく村上龍的なモチーフを、本人以上にやり抜いた。
3・11の重要な本丸であったがしかし純文学の作家たちは誰ひとりまともに切り込むことのできなかったことをやりきった。
国の未来を示し、意思決定とネゴにまみれながらも実行しきること――政治を描き切った。
『シン・ゴジラ』の主役たちには被害者根性がない。ほとんどすべての震災後文学が「現実に対する後退戦」でしかなかったのと対照的に、『シン・ゴジラ』は「現実を乗り越えて、仕掛けていく」。
目線の高さが違う。
手近にいる人間を攻撃し、政治家や役所が、誰かがなんでもやってくれるという前提で文句を垂れるだけの醜さがない。
そこにあるのは高潔さと責任を取る覚悟である。
『シン・ゴジラ』の主役である矢口蘭堂は、役柄では官房副長官だが、有事に対して果たした役割で言えば、3・11において最前線で指揮を執った吉田昌郎福島第一原発所長に相当する。
船橋洋一が官邸や東電周辺に取材した『カウントダウン・メルトダウン』などの震災ノンフィクションには、東電中枢からの圧力をはねのけながら、最悪の事態を想定し、しかしそれを阻止すべく福一の現場を指揮した吉田所長と「指示があればわれわれはどこへでも行く」と決然とした態度を貫く自衛隊の姿が描かれている。
責任を逃れ、情報を隠蔽しようとする東電幹部、意味もなく現場に入りたがり、母校である東工大の専門家だけを信頼し、人の話に聞く耳をもたない総理大臣・菅直人、死の恐怖と責任問題を回避したいという気持ちから及び腰になる複数の勢力が跋扈するなか、彼らの尽力がなければ原発事故は現状のような程度では済まず、おそらく東日本は大規模に壊滅していた。あのときふんばった人間たちを『シン・ゴジラ』はあきらかにモデルにしている。
村上龍は「希望」にこだわり、「個」の強さにこだわり、その個がつくりだすプロフェッショナルな集団に、組織があらたな価値をうみだし、世界を動かしていくことに焦がれた作家だった。
庵野秀明『シン・ゴジラ』はそのすべてを引き継ぎ、昇華させた。『シン・ゴジラ』に登場する専門家集団「巨災対」がそれでなくてなんだろうか。あの作品において、責任を背負い、日本の荒廃を食い止めんとする大人たちの姿は、今を生きるわれわれに、そして次世代に「希望」を示す。