津軽の女性たちの愛情が生んだ、こぎん刺し/弘前こぎん研究所
本州の最北端に位置する、青森県津軽地方。冬の間、厳しい雪と寒さに閉ざされるこの土地で、津軽の女性の知恵と愛情から生まれたのが「こぎん刺し」です。こぎん刺しとは、この地方に古くから伝わる刺し子の技法。この技法が生まれた背景には、厳しい藩の懐事情がありました。
江戸時代の津軽藩。財政難に苦しむ藩は、厳しい倹約令を農民に課しました。綿花の栽培に適さないこの土地では、木綿はとても高価なもので、農民は麻しか着用できなかったのです。夏場の「リネン素材」として人気の麻ですが、厳しい冬を迎える津軽では、それがいかに心もとなかったのか、想像に難くありません。
麻の着物でも、なんとか寒さをしのげるように…と生み出されたのが、こぎん刺しでした。もともとは、ひざ丈くらいの着物を「こぎん」と呼んでいたそうなのですが、津軽の女性たちが着物の肩や肘を木綿糸で補強し、寒さをしのげるように刺したものを「刺しこぎん」と呼ぶようになりました。
江戸時代後期には、女性たちは藍で染めた麻布に木綿の糸で、競うように複雑な模様を刺すようになりますが、明治期に入るとこぎん刺しは廃れてしまいます。
その「こぎん刺し」に再び陽の目が当たったのは、昭和の民芸運動でした。民芸運動の父と呼ばれる柳宗理は「名も無い津軽の女達よ、良く是程のものを遺してくれた。麻と木綿とは絹の使用を禁じられた土地の布であった。だが、虐げられた禁制のなかで是程の美しいものを産んでくれた」と絶賛し、その技は再び地域で継承されることになったのです。
そんなこぎん刺しの技術を継承し、未来へと繋ぐべく活動しているのが、有限会社弘前こぎん研究所です。
自身も青森の出身で、幼いころからこぎん刺しに親しんできたという、スタッフの木村由利香さんは、「こぎん刺しは40種類ほどの『もどこ』と呼ばれる基礎的な模様を組み合わせて、何千通りもの美しい模様をつくりだします。今はそれほどでもないけれど、小学校や中学校の家庭科の時間に授業の一環としてこぎん刺しは学びますし、子どものうちから触れる機会があるんです。弊社でも、学校や市、県のワークショップで呼んでいただくことが近年増えています」と話します。
こぎん刺しは、まず製図から始まります。模様の真ん中に「目立て」という基本をつくり、目数を間違えないように刺していくのですが、一目でも間違えると、美しい幾何学模様はできなくなるので、慎重に慎重を重ねながら、ひと針ひと針丁寧に刺していきます。
弘前こぎん研究所でも、自社製品のほか、メーカーからの依頼を受けて「刺し」の依頼を受けることも。「“こういう柄をつりたい”というのを、技術的なことを考慮してできる形に寄せて完成させます。北欧雑貨店さんからのオーダーをいただいてつくったポーチでは、それぞれに『朝靄に咲く花』『夕暮れの蝶々』『夜の森』をモチーフにした北欧の風景を施しました。そうしたオリジナルのオーダーにもお応えしています」と教えてくれました。
自社製品では、新商品の「津軽こぎん刺し ぽち袋」が2021年に行われた「第8回新東北みやげコンテスト」で優秀賞を受賞。メディアなどに取り上げられたこともあり、問い合わせも多数あったのだとか。「初めての出品で、受賞できてよかったです。ちょうど、明るい話題がない時期だったので、励みになりました。出入りしてくださっている刺し子の方や加工の方に報告するとみなさん喜んでくれたので、うれしかったです。みなさんのモチベーションになりました」と、笑顔をのぞかせます。
かつて、大阪にあるハンドバッグのメーカーで企画の仕事をしていたという木村さん。「Uターンをきっかけに、2016年からここで働いています。仕事さえあれば、いずれは弘前に帰りたいという思いもあったので。それまでやってきたことが生かせたらさらにいいな、とは思っていたのですが、まさかここが製造をやっていると思っていなくて。またモノづくりができてうれしいです」。
津軽の女性たちが、家族を想い、ひと針ひと針刺した「こぎん刺し」。
現代では、素朴ながらその繊細な美しさから、さまざまなファッションアイテムにも採用され、注目を集めています。
伝統の技法を今に伝え、時代に合わせて柔軟に形を変えて世に送り出していく弘前こぎん研究所と木村さんの今後に、ますます期待です。
「津軽こぎん刺し ぽち袋」について詳しくは、ウェブメディア「暮らす仙台」でご紹介しています。
青森県弘前市在府町61
0172-32-0595
9:00~16:30
土日祝祭日休み
撮影:堀田祐介(blow-up)