上質の稲庭うどんを世界に届ける/稲庭うどん小川 小川選子さん
秋田県湯沢市。稲庭うどんの生産地として知られるこの町で、創業1982年、地域最後発の稲庭うどんメーカーとして誕生した「株式会社稲庭うどん小川」(以下、「稲庭うどん小川」)。
専務の小川選子さんのお父様・信夫さんがタクシー会社を経営しながら、稲庭うどんメーカーを創業しました。創業のきっかけは、タクシー送迎中に東京から来たバイヤーから「稲庭うどんの品質の良いものを仕入れるのに苦労している」という話を聞いたこと。「それならば、自身の手で質の良い稲庭うどんをつくりたい」という熱意が信夫さんに湧き上がってきたのです。
「当時のことは、子供ながら記憶に残っています。父はタクシー経営のかたわら、稲庭うどんの開発に夢中になり、とても忙しい日々を送っていました。毎日食卓に稲庭うどんが並び、『どれがおいしい?』と聞かれました。さすがに稲庭うどん漬けの日々には嫌気がさしました(笑)」
家業を継ぐ気はなかったという選子さん。その気持ちが変わったのは、お姉さんのご結婚でした。「姉が継ぐと思っていたのですが、急にお嫁に行くことになってしまって……。父が情熱を注いだ『小川の稲庭うどんを次世代へ繋いでいきたい』と考えるようになり、当時お付き合いしていた彼に相談したんです。それが今の主人で、二人三脚で父の目指した品質の良い稲庭うどんを守っています」
とにかく丁寧に稲庭うどんをつくることが「稲庭うどん小川」の志となっているそう。
職人さんが小麦粉に一昼夜寝かせた塩水を加えて混ぜ合わせて手練り。大きな団子のような形になるまで練り合わせ、1時間ほど置いてからさらに練り返します。
「うちの社員は朝4時に出勤しているんです。本当にがんばって、この品質を守ってくれている。だから、私は彼らの思いを裏切れない。少しでも多くの方に召し上がっていただけるようにするのが私の仕事」
現在はアジアやヨーロッパなどにも販路を持ち、選子さんも海外を飛び回る生活。
「継いだ時は、こんな風になるとは思っていませんでした。海外に販路を求めたのは、日本でのお中元・お歳暮市場がどんどん小さくなっていったからなんです。日本だけで販売していたときは、決算時期になると不安で。日曜日に事務所に来て、日が暮れるまでボーっとしているようなこともありましたね。でも父が『始めたことは、投げ出さない』という強い気持ちを持っていたので、私もそれを守りたくて」
さらに、マーケット開拓のため、選子さんは「稲庭うどん小川」のリブランディングを決意。
「父のつくったものを変えることには葛藤もあったのですが、思い切りました。東京のブランディング会社さんにお願いすることになったのですが、最初はカタカナ語の専門用語が理解できなくて『ん?』ってなりました(笑)。でも、『単に大きく広告を出して注目を集めるのではなく、今後も長く続けていくためのブランドを一緒につくっていく』と言ってくれて、私も一緒に船に乗って舵を切ってみたいと思いました」
このリブランディングは大成功。メディアへの露出も増え、コロナ禍でも注文が増え続けました。
「ある番組で『アナウンサーが試食して、本当においしいもののランキングをつける』というコーナーでも取り上げていただいて。その放送後は注文が殺到しました。最初お話をいただいたときは懐疑的だったんです。秋田では放送されていない全国放送番組でしたから(笑)」
これからの目標を伺いました。
「海外50カ国に輸出することです。日本食レストランなどはもちろんですが、どの国にいっても麺の文化はありますよね。その国のみなさんの食べ方で楽しんでもらえたらいいなと思います」
従業員のみなさんが一生懸命つくった上質の稲庭うどんを世界に届けるべく、今日も選子さんは地球を飛び回っています。
「稲庭うどん小川」が、地元ビールメーカーである羽後麦酒とコラボして生まれた「稲庭うどんから生まれたエール 小川」の開発ものがたりは、「暮らす仙台」(仙台市産業振興事業団)でご紹介しています。ぜひご覧ください。
秋田県湯沢市稲庭町字大森沢144
0183-43-2803
写真:堀田祐介