介護事業者に「大規模化・協働化」を求める国の圧力へのソリューション。実例・中小介護事業者の好M&A
「大規模化・協働化」しないと介護事業者は生き残れない?
従業員数20人未満の事業者が約3割、100人未満が約7割(*)と、中小事業者が多数を占める介護業界。健全運営でも、後継者不在で事業継続が危ぶまれる法人は少なくない。
さらにコロナ禍が追い打ちをかけた。クラスター発生により営業停止になったデイサービス(通って利用する介護施設)など、業績不振によって事業譲渡を望む中小事業者は増え、M&A(企業の買収・合併)市場は活況だ。
介護業界に対しては、国からの「大規模化・協働化」の圧力もある。
2022年4月に、財務省財政制度等審議会財政制度分科会が示した介護分野の改革案では、小規模事業者が多い現状に対する厳しい指摘が相次いだ。
サービスの質の向上が十分に図られていない。
業務効率化が進まない。
規模の大きい事業者ほどスケールメリットにより平均収支率が高い。
だから「大規模化・協働化」を進めよ、というのだ。
さらには、効率的に運営する事業者を指標として介護報酬を設定することで、「大規模化・協働化」を推進するという案まで示された(詳しくはこちらの記事を参照)。
これは、小規模事業者が生き残りにくい報酬設定が導入される可能性を示唆する。
中小介護事業者が生き残っていくには、「大規模化・協働化」を進めるしかないのだろうか?
* 介護労働安定センター 令和2年度 事業所調査「事業所における介護労働実態調査 結果報告書」
優良介護事業者の解体は地域の損失
事務作業など、介護周辺業務の効率化は図られるべきだ。そのために、「大規模化・協働化」が役立つ面はあるだろう。しかし、そもそも対人援助である「介護」そのものに「業務の効率化」はなじまない。そこにスケールメリットが働くとも思えない。
介護現場ではそうした反発は強い。
M&Aにしても、きめ細やかなサービス提供で地域での信頼を得てきた中小の介護事業者には拒否感が強い。経営トップの交代で運営方針が一変し、利用者の信頼を失ったり、従業員がごっそりと退職したりするケースがあるからだ。
優良事業者がそうして解体してしまうのは、地域の介護インフラにとっても大きな損失になる。
しかし、「業務の効率化」を主目的とせず、それまでの運営形態を維持できるM&Aもある。
ここで、その実例を紹介したい。
わずか4ヶ月で決まった事業譲渡
【譲渡側】有限会社ステップコーポレーション
2000年から神奈川県横浜市で居宅介護支援(ケアマネジメント)と訪問介護を提供。創業社長でプレイングマネジャーでもある日髙淳さんを中心に、地域の利用者、介護事業者、開業医等からの絶大な信頼を誇る。従業員数25名。売上高約8000万円。無借金経営。
【譲渡先】株式会社ミストラルサービス
1998年設立。居宅介護支援、訪問介護、通所介護(デイサービス)、訪問看護などを提供。積極的なM&Aにより事業を拡大し、フランチャイズを含めた拠点数は全国50箇所(2022年4月現在)。従業員数約500名。売上高約20億円(グループ全体)。
M&Aのきっかけは、後継者のいないステップコーポレーション(以下、ステップ)創業者の日髙淳さんが、従業員や利用者が困らないように事業を継続できる方策を求めたことだ。
2020年11月末に、M&AアドバイザーであるジャパンM&Aソリューション(以下、JMA)と契約し、2021年4月にはミストラルサービス(以下、ミストラル)への事業譲渡が決まった。この間、わずか4ヶ月あまり。
なぜそんなにスピーディーに事業譲渡が決まったのだろうか?
手を挙げた24社から譲渡先候補を4社に絞る
今回、JMAによるステップのM&Aは以下のような流れで行われた。
JMA第一営業部副部長の柴田桂介さんは、ステップのM&Aがスムーズに進んだ要因として、柴田さんは、まず日髙さんの決断力を挙げる。
「初回面談で、譲渡条件を聞き取った上で、M&Aの流れや手数料について説明すると、多くの場合、いったん持ち帰って検討したいと言われます。譲渡するかどうか悩んでしまうのです。しかし、日髙さんはその場でM&Aによる事業譲渡を決断されました。これがスピーディーにM&Aが進んだ1つの要因だったと思います」(柴田さん)
日髙さんはまた、譲渡の条件も明快に示した。
「私がお願いしたのは、20年かけてつくってきたこの会社をいじらないで欲しいということ。従業員もそのまま。給与体系もそのまま。外からは人を入れないで欲しい。私は社長を降りたいけれど、ケアマネジャーとして現場には残りたい。この条件を受け入れてくれる企業があれば、譲渡したいと伝えました」と、日髙さんは語る。
この条件をもとに、JMAで譲渡先候補をリストアップ。社名を伏せて事業内容、営業地域、従業員数、売上高などを記した匿名情報を示し、50~60社に打診した。すると、さらに詳しい情報が欲しいと、大手事業者を含む24社が手を挙げた。
24社が手を挙げたことについて、JMA第一営業部の妹尾一弥さんは、ステップはプラス要因が多かったのでこの件数は予想通りだと語る。
「まず、無借金経営で財務状況が非常に良かったこと。また、従業員の定着率が高く人材採用費が不要だったこと。それに、横浜という高齢者が多く介護需要が高いエリアの事業者だったこと。こうした点が評価のポイントになりました」(妹尾さん)
この24社のうち、日髙さんが承諾した十数社に守秘契約を結んだ上で、社名を明かした企業概要書、譲渡希望額を提示。最終的に、4社とトップミーティングを行うことになった。
介護への思いと事業譲渡後について話し合う
トップミーティングは、会社のこれまでの歩み、M&A後の事業展望などについて、1時間ほどかけて話し合う。互いに、相手の人となり、事業に対する考え方などを知ることが目的だ。
「一般に、介護事業者のトップミーティングでポイントになるのは、介護に対する“思い”と、従業員をどう見ているか、ということです。日髙さんの場合、譲渡後も残って働くと決めていらしたので、特に働く自分自身、従業員、譲渡後の会社のことをしっかりと考えながらミーティングに臨んでいると感じました」(妹尾さん)
日髙さんはミーティングの場で、前述の譲渡の条件と共に、訪問看護を立ち上げたい、いずれ介護サービス併設のシニア住宅を開設したいという、2つの希望を伝えた。
「譲渡の条件をすべて受け入れた上で、2つの希望についても『一緒に考えていきましょう』と言ってくれたのが、ミストラル社長の渡辺哲也さんでした。M&Aには期待も不安もありましたが、いいパートナーが見つかったと思います」(日髙さん)
ここで渡辺さんが独占交渉権を獲得。ステップのさらに詳しい企業情報を譲渡先の税理士等が精査する「買収監査」を行い、2021年4月、譲渡契約が成立した。
JMA柴田さんはステップのM&Aについて、これまで担当した案件の中でも非常にスムーズに契約に至ったケースだったと語る。
「日髙さんは高収益な会社を作り上げながら、それを実態以上の高値で売ろうとしなかった。そして、社長を降りるという人生のシフトチェンジのために、きっぱりと譲渡を決断された。これが大きかったと思います。
渡辺さんも、日髙さんの人柄と能力を買って、この金額で譲渡を受けようと、投資の判断をされた。
お二人とも“ビジネスマン”として優秀だと感じました」(柴田さん)
M&Aとは結婚のようなもの
渡辺さんは日髙さんとのトップミーティングを振り返り、こう語る。
「日髙さんに会ってみて、“介護に熱い”方だな、と。自社だけでなく、介護業界全体が良くなるように考えて行動してきた方なんですね。話を聞けば聞くほど、この方と一緒にやっていきたい、この方からもっと学びたいと強く感じました。
譲渡の条件や2つの希望も、はっきり言ってくれたことで齟齬が生じなくて良かったと思います。話を伺い、できることとできないことを伝え、実現するために2人でどうしていくかについて話し合うことができました」(渡辺さん)
「できること」として渡辺さんが伝えた訪問看護は、実際、譲渡契約を結んだ2021年4月から7ヶ月後の同年11月に事業所を開設している。
2020年にミストラルの社長に就任した渡辺さんは、実は自身が設立した株式会社Vivantグループを率いて、2018年にミストラルの傘下に入った人だ。M&Aをする側とされる側の両方を経験し、M&Aの功罪を十分理解している。
「M&Aとは結婚のようなものです。事業を譲渡されたからと言って、ズカズカと土足で踏み込み、こちらの思い通りに変えていくようなやり方ではうまくいきません。
地域に根ざしたサービス提供をしてきた事業者の背景には、様々な努力の結晶があり、その地域なりの特色や特性があります。私はそうした“新しい文化”を受け入れながら、共に成長していきたいと考えています」と渡辺さん。
渡辺さんは創業企業であるVivantグループで定めた、企業理念とクレド(理念・行動指針)を大切にしている。「これを社内外に広め、介護業界のレベルアップにつなげていきたい」と、渡辺さんは語る。
理念を頭ごなしに押しつけない
多くの企業が突き当たる壁だが、企業規模を拡大してもなお企業理念を全従業員に浸透させ、それを実践できるようにするのは実に難しい。
特に、介護事業者においては、“きめ細やかなサービス提供”と“企業規模の拡大”はベクトルが一致しにくい。“きめ細やかなサービス提供”という理念を掲げていても、企業規模が大きくなれば、どうしてもそれは浸透しにくくなる。
また、大きな組織を動かしていくために効率化やマニュアル化が必要となり、利用者一人ひとりへのきめ細かな対応が難しくなる場合もある。結果、それが従業員の離職につながることも多い。
渡辺さんは社長に就任してからの2年間で、企業理念とクレドの浸透、実践に時間を要することを痛感したという。
「新しい文化を受け入れるには時間がかかります。だからこそ、従業員に対して頭ごなしに押しつけるようなことをせず、対話を繰り返し、時間をかけて理解を促すよう努めてきました。2年たってようやく理解が進んだと感じています」(渡辺さん)
「外から見たら何も変わっていない」
事業譲渡を受けたステップに対しても、渡辺さんは同じ姿勢で臨んでいる。
ステップの社名を残し、従業員、給与体系はそのまま維持している。経営権を手放した日髙さんは、事業統括部長として譲渡前とほとんど変わらず仕事に取り組んでいる。お金の心配をしなくて良くなったことで、肩の力が抜けた。
変わったことと言えば、ミストラルのグループ企業での教育研修の講師等を担うようになったことだ。これまでの仕事にプラスされ、日髙さんは以前より忙しくなった。
「M&Aといえば、外から人が入って会社の体制が変わり、気がついたら元の従業員は誰もいなくなる、というイメージでした。でも、ミストラルに譲渡して、私の仕事は増えたけれど、中は何も変わっていません。私が出した条件はきちんと守られているので、外から見たら何も変わっていないように見えると思います」と日髙さんはいう。
渡辺さんは今、日髙さんに「ナンバー2、ナンバー3を育てよう」と働きかけている。譲渡契約の際、日髙さんには最低4年、このまま残って欲しいと求めた。さらにその後のことを考えた対応である。
いずれは新しい文化を受け入れ、ステップも少しずつミストラルとの融合が進んでいくのかもしれない。しかし、それは「すぐに」ではない。
「大規模化」は効率化だけを目指して行うものではない。渡辺さんは言う。
「企業規模の拡大は“膨張”ではなく、成長のための理念に基づいたものであるべきです。M&Aを活用しながら地域ごとに強い拠点をつくり、その拠点を育てていけば、巨大企業にもその地域では勝つことができるのではないかと思います」
こうした形でのM&Aであれば、地域密着の優良介護事業者が、後継者不在でも従前通り事業を継続していくことができる。そしてこれは、国が進める「大規模化・協働化」への、事業者側から示された1つのソリューションとも言えるのではないか。
M&Aを考えているならすぐに動こう
M&Aに対しては、日髙さんが考えていたように、「企業を飲み込み、全く変えてしまうもの」というイメージが今も強い。それが、M&Aを考える経営者に二の足を踏ませている。
前出のJMA柴田さんは、誤った先入観でM&Aはできないと考えているケースは、意外に多いという。例えば、事業を手放したら自分の生活の糧を失うから売却できない、借入金があるから売却できない、といった思い込みだ。
事業を売却しても、日髙さんのように残って働くという選択肢もある。
「これは譲渡を受ける側にとっても、それまで同様、従業員のマネジメントを任せられるので歓迎されることが多いですね。
借入金については、会社単体で返済できるなら基本的には売却できます。よく、黒字化させてから売却したいという方がいますが、そこで時間を使うより早く売却する方が得策です。
高齢の経営者の方には、初回面接のあと、半年ぐらい考えてから結論を出すという方もいます。しかし、半年後はさらに年齢を重ね、体力も低下しています。早く決断するべきです。
売却の依頼を受けてから譲渡契約が完了するまでには、半年以上かかります。M&Aを考えているなら、先延ばしせず早く決断して動く方が良いと思います」(柴田さん)
後継者不在や経営不振で悩んでいる介護事業者は、M&Aも選択肢に入れて、事業の継続、国からの「大規模化・協働化」圧力への対応を考えてみてはどうだろうか。