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本人、親族、職員それぞれの思いを尊重して施設で看取るには――終末期認知症の人の意思決定支援・その3

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
病院ではなく、長年暮らした施設で最期を迎えたいという人は増えている(写真:イメージマート)

2023年12月、筆者は社会福祉士の成年後見人として、重い認知症がある被後見人の看取りに関わった。その際、多くの専門職と共に「意思決定支援」と向き合った。これは、このケースについて振り返る記事の第3部である。

入院した急性期病院、川崎市立多摩病院(以下、多摩病院)で、延命を望まない親族、後見人である筆者の思いとは反対に、一度は経鼻経管栄養(鼻からの管で栄養剤を注入する処置)が開始されたAさん。<第1部はこちら

院内倫理カンファレンスでの2回の検討を経て、経管栄養は中止に。最期までの時を8年間暮らしてきた特別養護老人ホーム菅の里(以下、「菅の里」)で過ごすべく、病院、「菅の里」、後見人で退院カンファレンスを開くことになった。<第2部はこちら

しかし… 

食べられないのは、老衰かパーキンソン病進行か

多摩病院では、最期の時は住み慣れた施設で、という方針が決まり、Aさんの経鼻経管栄養を中止。退院し、「菅の里」に戻る方向で動き始めた。

「菅の里」はきめ細かなケア、こまめな連絡で情報を共有してくれる施設だ。Aさんの歩行が難しくなっても、可能な限り手引き歩行でトイレに連れて行ってくれるなど、本人の持つ能力をできるだけ維持しようと努めてくれていた。そして、Aさんに何か異変があったときには、すぐに連絡をくれた。

筆者は後見人として、8年間、「菅の里」のそんな親身な介護を見てきた。だからこそAさんには、「菅の里」で最期までの日々を過ごしてほしいと考えた。そして、何とか看取りで受け入れてもらえるよう、Aさんの入院以来、「菅の里」の小島千晴生活相談員(以下、小島生活相談員)と何度もやりとりを繰り返した。

しかし残念ながら、12月5日に多摩病院で開かれた退院に向けたカンファレンスの時点でも、「受け入れる」という明快な回答をもらうことはできなかった。

と言うのも、「菅の里」での看取りの受け入れは、2018年頃に定めた「看取りマニュアル」に従って、非常に慎重に行われているからだ。

「菅の里」での看取りの主な受入れの条件は下記のとおりだ。

・嘱託医が「老衰である」と認めたこと

・投薬治療はすべて中止していること

・気管内の痰の吸引は不要であること

・苦痛を伴わないこと

まず問題になったのは、「老衰」かどうかだ。

当時84歳のAさんは入院前から食事の摂取が困難になり、介助しても30分以上かかっていた。入院後、多摩病院では口からの摂取は困難とされた。これが、パーキンソン病の進行によるものか、老衰によるものかが問題となった。パーキンソン病によるものである場合、老衰ではないため、「菅の里」では「看取り」で受け入れることはできない。

Aさんの状態については、多摩病院でも入院以来、段階を追って確認していた。

まず、入院時から経管栄誉を実施しながら、パーキンソン病の治療薬も併用。栄養状態を整えることで、意識レベルや嚥下機能が回復するかどうかを確認した。しかし、改善が見られず、老衰の状態と判断して良いと結論した。ただ、パーキンソン病の治療薬は、急に中止すると副作用がでやすい。そのため、状態を見ながら徐々に薬の量を減らしていった。

入院前、Aさんは認知症の進行で食事を認識できなくなり、口をなかなか開けなかった。しかし、「菅の里」のケアスタッフは根気よく30分以上かけて食べさせてくれていた(写真は本文とは関係ありません)
入院前、Aさんは認知症の進行で食事を認識できなくなり、口をなかなか開けなかった。しかし、「菅の里」のケアスタッフは根気よく30分以上かけて食べさせてくれていた(写真は本文とは関係ありません)写真:イメージマート

飲水中止し2週間。退院まで命が持つか

次に問題になったのは、痰の吸引だ。

入院中、筆者は何度か病棟看護師や医療ソーシャルワーカーに痰吸引の状況について確認をしていた。

「食事時間帯の口腔ケアの時だけで、日中はほとんど必要ない」「体位交換の際に予防的に吸引している程度」「経管栄養を中止すればもっと減っていくはず」と聞いており、それを何度か、「菅の里」の小島生活相談員に伝えていた。小島生活相談員は、「実際、経管栄養を中止して、どの程度痰の吸引が減るかを確認したい」とのこと。

これについては、12月5日の退院カンファレンスの際、まず病棟看護師から「経管栄養中止後、相当に回数は減っている」との話があった。さらに、Aさんに面会した際、「菅の里」の須藤達也看護係長(以下、須藤看護係長)が状態を確認し、大丈夫だろうと判断。痰の吸引の問題もクリアされた。

最後に問題になったのは、糖尿病治療のためのインスリン注射だ。

退院カンファレンスの際、多摩病院の担当医から、「Aさんは1型糖尿病なので、緩和ケアとして退院後もインスリン注射が必要。中止すると、吐き気や呼吸困難、意識障害などを引き起こす可能性がある」との説明があった。

しかし、「菅の里」の「看取り」受け入れ条件には、治療薬の中止がある。

この注射を治療と見なすのか、必要な緩和ケアと見なすのか。

退院カンファレンス後、「菅の里」から参加した小島生活相談員、須藤看護係長に尋ねたが、「1型糖尿病の方の看取りの経験がなく、嘱託医がどう考えるかわからない」との回答だった。

「菅の里」の看取りでの受け入れは、嘱託医が施設への往診で診察。その後、親族が嘱託医と会って看取り介護についての説明を聞き、契約書を交わす、という手順になっている。

嘱託医には、退院カンファレンス後直近の訪問診療日である8日に報告し、判断を仰ぐことになった。看取りでの受け入れが可能な場合、退院と、親族の代理人としての後見人への看取り介護の説明は、早くてもその次の訪問診療日である12日と告げられた。

Aさんは、11月29日に経管栄養を中止。口腔ケアの際に口の中を湿らせる程度で、栄養分はもちろん、水分も摂っていない。

12月12日の退院まで命が持つだろうか――。そんな不安に駆られた。

人は食事も水分も摂らずに、いったいどのくらい命を保てるのだろうか。Aさんには、何とか「菅の里」に戻るまで頑張ってほしいという気持ちでいっぱいだった
人は食事も水分も摂らずに、いったいどのくらい命を保てるのだろうか。Aさんには、何とか「菅の里」に戻るまで頑張ってほしいという気持ちでいっぱいだった写真:アフロ

「菅の里」に無事戻った時のAさんは

結果として、8日、インスリン注射は嘱託医に「必要な緩和ケア」として認められ、「菅の里」への「看取り」での受け入れが正式に決まった。

12日午前に退院。同日夕方、看取り介護の契約も済ませた。

いくつものハードルを越え、Aさんが無事「菅の里」に戻ることができて、筆者は本当にうれしく思った。

Aさんは入院前から認知症、パーキンソン病の進行で表情が硬く、意思疎通も困難だった。しかし入院中、病棟看護師がベッド上で洗髪したときや、「菅の里」の小島生活相談員、須藤看護係長が面会して声をかけたときなどは、わずかに表情が緩むことがあった。

そんなAさんが大きく表情を動かしたのが、「菅の里」に戻ったときだ。

そのときのAさんの様子を振り返り、「菅の里」の岡田知恵相談係長(以下、岡田相談係長)はこう語る。

「車いすで送迎車から降り、玄関で介護職員たちが迎えたとき、Aさんはしっかりと目を見開いた。そして、首を動かしてキョロキョロと周りを見回し、施設長が『お帰りなさい』と声をかけると、ニコッと笑ってくれた。あの表情は、後見人さんにも見せたかった」

重度認知症の人は、多くの人に「もう何もわからない」と思われがちだ。しかし、豊かな感性は生きている。Aさんはやはり「菅の里」に帰りたかったのだ。

この話を聞き、筆者は後見人として考えた「Aさんにとっての最善」が、独りよがりではなかったことに密かに安堵した。

「菅の里」に戻ってきたとき、Aさんの表情が大きく動いたことは、その表情を目にした多くのスタッフが、亡くなった後も話題にしていたという(写真は本文とは関係ありません)
「菅の里」に戻ってきたとき、Aさんの表情が大きく動いたことは、その表情を目にした多くのスタッフが、亡くなった後も話題にしていたという(写真は本文とは関係ありません)写真:アフロ

Aさんをよく知る職員が夜勤の日に

「菅の里」ではAさんの入院後、入院先の多摩病院や後見人と連絡を取りながら、何度も施設内でカンファレンスを開いていた。

「最初のカンファレンスは11月30日。施設長、介護係長、看護師、管理栄養士、生活相談員、相談係長の私で、そのときのAさんの状態について情報共有する目的で開催した。この時点で、看取りで戻ってきてもらうことについて、気持ちの上では全員が賛成だった。ただ、まだ投薬が続いているようだったので、そのあたりについて、嘱託医に上申しようと話していた」(岡田相談係長)

この時点で「全員が気持ちの上では看取りの受け入れ賛成」と考えていたと聞いて、筆者は驚いた。ギリギリまで、「菅の里」が受け入れてくれるかどうかわからず不安に思っていたからだ。

「そこは、もっとわかりやすく説明しなくてはいけなかったと反省した。ただ、気持ちの上で賛成でも、看取りに関する最終判断は嘱託医。私たちは、看取りで受け入れることができたらどういうケアをしていきたいかを話し合っていた」(岡田相談係長)

これが施設での看取りの実態でもある。

施設での看取り受け入れを最終判断するのは、施設ではなく嘱託医なのだ。

そのことを、筆者も認識できていなかった。

そして認識した今、果たしてそれでいいのだろうかという思いが拭えない。

医療と介護が対等な立場で話し合い、双方が納得できる看取り受け入れの判断はできないのだろうか?

その後のカンファレンスでは、褥瘡をつくらないこと、室内環境の整備、声かけなど、ケアについて様々な意見がかわされたと、岡田相談係長は語る。

「Aさんが菅の里に戻ってからは、より具体的にケアの上で気をつけるべきことについて、様々な意見が出た。何より、戻ったときのAさんの笑顔を見て、皆やはり戻ってきてくれて良かったと口々に言っていた」(岡田相談係長)

12月12日夕方、「菅の里」に戻ってナースステーション横の静養室に入ったAさんに筆者が面会したときには、顔色も良く、とても穏やかな表情をしていた。

そして、その4日後の16日深夜、Aさんは静かに息を引き取った。不思議なもので、その日の夜勤担当は、Aさんのことを入所した頃からよく知る介護職員だった。その職員がAさんを気にかけ、何度も見回る中で最期を看取ってくれた。

Aさんはその日を選んだかのように、自分をよく知るケアスタッフが夜勤の日に息を引き取った。実は「本人がその日を選んだかのよう」とケアスタッフが感じる最期は多いのだという(写真は本文とは関係ありません)
Aさんはその日を選んだかのように、自分をよく知るケアスタッフが夜勤の日に息を引き取った。実は「本人がその日を選んだかのよう」とケアスタッフが感じる最期は多いのだという(写真は本文とは関係ありません)写真:イメージマート

看取り受け入れ条件「苦痛を伴わない」の意味

Aさんの他界後、改めて「菅の里」で藤谷敬一郎施設長、岡田相談係長、小島生活相談員、須藤看護係長に、Aさんの看取りを振り返り、話を聞いた。特に気になっていたのが、「老衰であること」「苦痛を伴わないこと」などの「菅の里」の看取り介護受け入れ条件だ。

「菅の里」では、医療が必要な場合は看取り介護としての受け入れはできないという。

これについて、藤谷施設長は、「まず、当施設が医療施設ではなく生活の場だからだ。介護にできることには限界があり、医療が必要な方を受け入れるのは難しい。そのため、嘱託医が老衰と判断することが大前提となる」と説明する。

今後、高齢人口は爆発的に増えていく。そうなれば、施設ヘの看取り介護の要請はさらに高まっていくだろう。それでも、「老衰」「痰吸引なし」「苦痛なし」などの条件をこれからも保つのだろうか。本人や親族が、「苦痛があっても、ここで最期を迎えたい」と望んだとしても、「菅の里」では受け入れてもらえないのだろうか。

岡田相談係長は、「一番には“穏やかな死”を迎えてほしいのだ」と言う。

「菅の里で暮らしてきた方には、どなたにも最期までいていただきたい。しかしそれ以上に穏やかな最期であってほしいと考えている。

最期の迎え方については、入所後、対話の中で確認できる方については確認するようにしている。しかし、状況によって変わりゆく意思をどう汲み取っていくかを考え続ける必要がある。そんな中で、『苦痛がない』というのは一つの線引きとして必要だと考えている。多くの家族が、やはり最期まで穏やかに笑っていてほしいと望んでいるからだ」(岡田相談係長)

小島生活相談員は、苦痛を伴わない最期という条件は、職員を守るためにも必要だと語る。

「本人が『ここにいたい』と明確に望んだとしても、最後の最後、苦しんで亡くなる姿を見た職員はショックを受ける。そして、『もっとできることがあったのではないか』と心に傷を負うかもしれない。そうした職員を出さないためにも、苦痛を伴わない最期を迎えることは大事ではないかと思っている」(小島生活相談員)

それは家族にとっても、同じかもしれない。本人が望んだ選択であっても、苦しむさまを見たら、本人の意思を尊重したことを後に悔やむ家族もいるだろう。

亡くなっていく本人の意思を尊重し、その決定を支援していくのは、やはりとても難しい。

医療にも介護にも、できることには限界がある。立場や大切にするものの違いから、意見が異なることもある。どの意見が正しく、どの意見が間違っているというものではない。本人の意思さえ尊重されれば、親族や医療職、介護職の気持ちが置き去りにされていいわけでもない。

本人の意思決定をどう支援していくかに、正解はないのだ。

特に本人の意思が確認できない場合は、関係する多くの人たちで丁寧に話し合い、皆が納得できる着地点を見つけていくしかない。

自らの人生の最期に、関わった私たち一人ひとりにそのことを改めて考えさせ、気づかせてくれたAさんに感謝したい。

Aさん、ありがとうございました。合掌。

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士として神経内科クリニックの心理士も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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