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センバツ、初の中止。各地で招待試合をやったらどう?

楊順行スポーツライター
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 残念ながら、19日に開幕が予定されていた第92回選抜高校野球は中止となった。新型コロナウィルス感染拡大の影響で、4日には無観客で開催する方向性が示されたが、11日の臨時運営委員会では、収束が見通せず、選手や関係者の健康を担保できないとして中止という苦渋の決断に至ったという。1924年に第1回が始まった大会は42〜46年に戦争の影響で中断したが、開催決定後の中止は大会史上初めてのことになる。なにしろ明日13日は、本来ならば組み合わせ抽選会が予定されていたのだ。

 センバツは過去にも何度か、開催が危ぶまれたことがある。27年には、大正天皇の崩御により、規模を縮小して例年の1カ月遅れで開催。戦後の47年には、「全国大会が春と夏の2回あるのはおかしい」(夏の選手権は、前年すでに再開)というGHQの意向を受けて、文部省から中止を勧告された。だが、それまでの「全国選抜中等学校野球大会」という大会名から「全国」をはずし、選抜中等学校野球大会とする方便で「全国大会ではありません」という体裁にして説得。再開にこぎ着けた。だからいまでも、大会名には全国の文字がない。

 95年には阪神淡路大震災、2011年には東日本大震災の影響で開催の可否が検討されたが、いずれも開会式の簡素化などによってなんとか行われた。だが、ウィルスという目に見えない敵は4日以降、大阪や兵庫にも拡大。プロ野球は開幕を延期し、全国高校体育連盟も3月に予定されていた25の全国大会をすべて中止にしたとあっては、高校野球だけ強行というわけにはいかなかっただろう。

 いまウィルスが「大阪や兵庫に拡大」と書いて、思い出したことがある。夏の甲子園も過去に2回中止になっており、そのうちの1回が18年の第4回全国中等学校優勝野球大会だ。このときは全国の14代表が決まり、それぞれが試合に備えて関西入りしたものの、大会は中止(当時の会場は鳴尾球場)。全国に広がった米騒動のためだ。14年に始まった第1次世界大戦の好景気がインフレを招き、なかでも米の価格は半年間で倍という暴騰ぶりで、これは庶民の財布を直撃する。18年の7月には、富山県魚津市の主婦が県外に輸送する米の詰め込み作業を不満もあらわに拒否。これをきっかけに、市民が米商人や町役場などに米価の引き下げを要求すると、アッという間に全国に飛び火。深刻化した暴動の鎮圧のために、政府は軍隊まで導入した。

 そういう騒動の渦中でも、中等学校野球の各地方大会はなんとか行われ、8月9日には14代表が決定。全国大会は14日に開幕予定だったが、11日には神戸市で騒動が起き、大会会場の西宮市・鳴尾球場そばの鈴木商店でも焼き打ち事件が発生。開催地周辺の治安が大きく悪化した事情が、今回の感染拡大とだぶるのだ。このときは、主催の朝日新聞社がいったん延期を告知したが、その後も騒動は収まらない。ついに16日には、各校の監督・主将に大会の中止を伝えることになった。また41年の第27回大会も、一部地区では代表校が決まりながら、太平洋戦争開戦間近で軍事色が濃く、甲子園大会は中止。この2回は、全国優勝校こそないものの、地方大会は行われたため、大会の回数としてカウントされている。

また来いよ! 初出場校

 中止となった今回のセンバツ。出場が決まっていた32校の選手、関係者の心情を想像するとかける言葉もない。とりわけ、春夏を通じて初めての甲子園になるはずだった加藤学園(静岡)、平田(島根)、鹿児島城西。実際には試合をしないながら、出場回数としてカウントされるといっても、なんの慰めにもなりはしない。参考までに、中止になった18年夏の代表も、出場回数として数えている。四国代表だった今治中(現今治西、愛媛)は、63年夏に甲子園に出場したとき「45年ぶり2度目」とされたが、18年には試合をしていないから、実質は初出場のようなものだった。ただ、それ以後は強豪に成長し、春夏通算34回の出場を数えている。もっとも18年の14の代表のうち、中学明善(現明善、福岡)のようにたった1校だけ、その18年以降、甲子園の土を踏んでいないチームもあるのだが……。願わくは、今治西のようにならんことを。

 報道を見ていると、「センバツに出場できなかった32校も含め、夏の選手権を合同で」という江川卓氏の提言が目に止まった。これ、実現可能性は別として、なかなかいいですよね。あるいは、春季大会も各地で中止になっているいま。事態が落ち着いていたら、残念センバツ招待試合をやったらどうだろう。あらかじめ、招待試合を行ってくれる都道府県を募っておく。そして出場予定だった32校で模擬抽選会を行い、割り振られた各地で模擬1回戦を行うのだ。こちらのほうが、現実味はありそう。またセンバツはそもそも招待試合なのだから、今回選ばれていた21世紀枠の3チームを、来年以降順繰りに再選考しては……?

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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