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13年後、再びアジアの秘境へ。400年続く伝統のクジラ漁が消えてしまうかもしれない危機感

水上賢治映画ライター
「くじらびと」より

 現在公開中のドキュメンタリー映画「くじらびと」は、そのタイトルから察しがつくように、クジラとともに生きる人々の記録だ。

 カメラが分け入ったのは、ガスも水道もないインドネシアの辺境にあるラマレラ村。

 約1500人の村人が暮らすこの地は、火山岩に覆われ農作物はほとんど育たない。

 ゆえに太古からクジラ漁が村の生活を支え、年間10頭も獲れれば村人全員が生きていけるといわれている。

 鯨漁といっても、大型船で魚群探知機でといった近代化された漁法ではない。

 伝統漁法といっていい、手造りの舟にのって、ラマファと呼ばれる銛(もり)打ちが銛(もり)1本でマッコウクジラに挑む。

 なので、常に命がけ。実際、クジラに大けがを負わされた者もいれば、海に引きずり込まれて命を落とした者もいる。

 ゆえにラマファは村の英雄で、子どもたちの憧れだ。

 作品は、この危険と隣り合わせの400年に及び続く伝統捕鯨を続ける「くじらびと」たちの日常と壮絶なクジラとの闘いを記録している。

 はじめてこの島を訪れたときから数えると30年の月日をかけて本作を完成させた写真家で「世界でいちばんうつくしい村」で映画監督デビューを果たした石川梵監督に訊くインタビューの第二回へ。(全四回)

13年後の再訪、揺れ動いていた鯨漁

 前回のインタビューでは、映画の前段となった写真集までの経緯を語ってもらったが、そこから13年ほど、石川監督はラマレラ村からは離れることになる。

「しばらく離れたんですけど、この貴重な体験を今度は本にしたいと思って、2010年に再訪したんです。

 すると、ちょっと状況が変わりつつあった。

 鯨漁をやめさせるように、反捕鯨団体とかが活動をし始めていたりした。

 たとえば魚を獲れるよう刺し網を与えたりと。

 それで、村全体がすごく動揺していた。

 ただ、刺し網で漁をして魚を獲れる人はそれで生活が成り立つので、その人たちにとってはいい。

 でも、村全体としてはけっこう困るんです。というのも、先で触れたようにこの村は、クジラを獲ることで村の人々全員が困らないシステムが確立されている。

 鯨漁は誰かひとりが儲かるとかではなくて、村全体に恩恵がいき届くシステムになっている。

 映画の中でも少し触れていますけど、たとえばシングルマザーとかそういう貧しい人にまでいき届いて、彼らが最低限の生活に困らない状態にしているところがある。

 その構造が崩れてしまうと、当然立ちいかなくなってしまう人が出てしまうわけです。

 そういうことがあって、村がすごく揺れ動いていた。

「くじらびと」の石川梵監督 筆者撮影
「くじらびと」の石川梵監督 筆者撮影

 そのとき、ラマファから言われたんですよ。『梵が昔、撮った写真とか映像を若い者に見せてくれ』と。『昔の、村人がひとつになってみんなのために鯨を獲っていたあの頃の姿を見せてくれと』と。

 おそらく、伝統の鯨漁が消えてしまうかもしれないという危機感が彼らの中にあったのでしょう。それは僕にとってとても衝撃的な出来事でした。というのも、これまでラマレラのことを日本に紹介するために作品を撮ってきた。ところが、ジェネレーションを超えて、取材先のラマレラで自分の作品がなにか貢献できることを知ったから。

 それで、映画の道に進み始めたとき、この伝統の鯨漁を後世に遺して伝えたいと、という気持ちが芽生えました。それは長年通っている僕にしかできない仕事です。

 それは、村の人々への恩返しになるような気もしました。

 そこがこの映画の出発点だった気がします」

鯨漁を空から撮影してみたかった

 もうひとつ、きっかけになったのはドローンの撮影だったという。

「写真で撮影していたときから、ずっと思っていたんです。『この漁の様子を、空のアングルから撮れたらすごいだろうな』と。

 当時も考えていたんですよ、空撮は。飛行機をチャーターしようか考えていた。

 『ライフ』とかに写真がまだ残っていると思うんだけど、僕は空撮もけっこうやっていて、ヒマラヤとか撮っているんですよ。

 でも、実際問題として、秘境ですから、そもそもどこから飛行機をチャーターするんだと。さらにどこか近くに飛行場があるわけでもない

 あるテレビ局がパラグライダーで撮影を試みたことがあったみたいなんですけど、撮れる時間が限られる。

 それで諦めたんですけど、それから月日が流れ、再訪したころには、ドローンによって鯨漁をいろいろな角度から撮影することもできる環境が整った。

 それで、村にもう一度行って改めて鯨漁を取材しようと思いました」

「くじらびと」より
「くじらびと」より

 そういう間にも、村は刻々と変化しつつあったという。

「変わったといっても、道路ができたとか、そういうレベル。

 沖縄ぐらいの大きさの島なんですけど、以前は道路なかったんですよ。

 だから、ラマレラ村にいくには以前は、船で直接行くしかなかった。

 それがラマレラ村から反対側に大きな港があって、そこから道路が通って、港から車で来れるようになった。

 あと、僕が通い始めたときは夜の間、だいたい18:00~24:00ぐらいまで電気がつくところがあった。つかないところもいっぱいあるんですけど。

 それこそクジラの脂で火を灯して、明りにしていた。

 でも、2年前ぐらいに電気が24時間つくようになったと言っていました」

「くじらびと」より
「くじらびと」より

物には恵まれてないかもしれないけど、心は豊か

 こうした現実を知っていく中でも、映像に残しておきたい気持ちが募っていったという。

「僕からすると、昔の日本の古き良き漁村のような雰囲気があるんですよ。

 それは単に風景だけじゃない。村の人々が困っていたらお互い様でそれぞれに助け合う。

 傍から見たら、貧しい村に見えるかもしれないけど、住んでいる人たちの心は穏やか。物には恵まれてないかもしれないんですけど、心は豊かなんですよね。

 小さな村だから噂話が絶えなかったりと、小さなコミュニティならではの問題もあるんだけど、そういう悪いところもいいところも含めて、古き良き日本の原風景に重なるようなところがあった。

 それから、伝統の鯨漁を、みんな誇りに思っていて大切にしている。

 男たちは命がけでクジラと闘い、それを女たちが支えて、クジラ漁の男になることを夢見る子どもたちがいる。

 いや、実際に生活している村の人々は大変だと思います。

 特に女性は。鯨漁のときは、男たちは朝から晩まで船で出ていきますけど、それ以外はほとんど何もしていない(苦笑)。

 クジラが獲れたって、実際にクジラの肉を山の民と物々交換に行くのは女性たち。

 重いクジラの肉を頭にのせて、何十キロと歩いて、物々交換の場所へいって交換して、農作物とかえて持って帰ってくるわけです。重労働ですよ。

 普段は機織りしたり、食事を作ったりとなにかと忙しい。ほんとうに村の女性には頭が下がる。

 しかも、男たちの仕事である漁は、クジラがいつ獲れるかわからない。

 たぶん東京に住んでいたらこんな暮らし不安で仕方ないですよね。

 でも、こういうスタイルでこの村は成り立っている。

 僕の中では、まだこんな世界が実在するのかと驚きで。

 人間も暮らしも汚されていない、余計なものがない、なんだかおとぎ話の世界に紛れ込んだような気分になったんです。

 それで、この村を映像で残したいと思ったんですよね。

 変な話、ラマレラ村で取材が終わって、隣の村に行くと、もう別世界なんですよ。

 バスが普通に走っていて、車が往来している。物には恵まれて便利なモノがあるんですけど、なんか人間関係はギスギスしている。傍から見るとどちらの村も田舎に違いないんだけど、ラマレラ村の雰囲気は全然違う。

 世界各地を回った僕の経験上、1990年代ってわりとラマレラ村のようなところがけっこうあったんですよ。

 ところがね、2010年代とか入ってくると、ほぼ壊滅している。ほぼお目にかかったことがない。

 どこにいってもみんなスマホをもっているし、昔ながらの伝統漁をやっているところも稀。物々交換なんてやっているところないですよ。

 こうした村の暮らしを残したい思いもあって、映像作品への気持ちが高まっていきましたね」

(※第三回に続く)

「くじらびと」より
「くじらびと」より

「くじらびと」

監督:石川梵

新宿ピカデリーほか全国公開中

公式サイト:https://lastwhaler.com/

場面写真はすべて(C)Bon Ishikawa

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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