男子20km競歩、メダル2つの快挙。池田は歓喜の銀、山西は悔しさ残る銅
今大会、陸上競技でメダルが最も有力視されていた種目が男子20km競歩だった。
男子50km競歩は前回のリオ五輪で荒井広宙(自衛隊体育学校)が銅メダルを獲得しているが、20km競歩は松永大介(東洋大)の7位が最高で、これまでオリンピックでのメダルはない。
だが、2019年10月のドーハ世界選手権で山西利和(愛知製鋼)が日本人初の金メダルに輝き、池田向希(旭化成)が6位入賞、高橋英輝(富士通)も10位と上位に入り、東京オリンピックに向けて大きな期待を抱かせた。
また、今回は札幌開催となったにもかかわらず、この日の札幌は最高気温が33度と高く、スタート時刻の16時30分でも30度を超える暑さだった。だが、気温32度、湿度77%と蒸し暑い気象条件下となったドーハ世界選手権でも、日本競歩チームの暑さ対策は成果をあげており、酷暑にも、ドーハの時以上にしっかりと対策をして臨んでいた。
3選手のメダル争い。山西が17km過ぎに仕掛けるが…
レースは、序盤は山西を中心に進んだが、4kmを前に王凱華(中国)が飛び出した。王は、世界歴代3位の1時間16分54秒を今年3月にマークしており、自己記録で日本の3選手を上回っている実力者で、ドーハ世界選手権でも序盤から飛び出した(この時は7.3kmで山西につかまえられた)。1km4分前後のペースまで上げて山西らの第2集団を引き離し、一時は13秒差にまで広げた。
中間点を過ぎると、山西、池田らの集団が1km4分を切るペースにペースアップ。じわりじわりと王との差を詰めていった。そして、12.5kmで王を吸収し、先頭争いは7人になった。
レースが動いたのは17km過ぎ。山西が一気にピッチを上げ、勝負に出た。
「本当はあそこで後ろを払って、最後まで逃げきるところまでをイメージしていた」
しかし、イタリアのマッシモ・スタノ、池田も食らいつき、山西は勝負を決めきれなかった。
メダル争いは3選手に絞られたが、まず山西が脱落。優勝争いはスタノと池田の一騎討ちに。最後はスタノの地力が勝り、池田は2位、山西は3位でレースを終えた。
高橋は、コンディションが合わず序盤から苦戦したが、32位で歩ききった。
陸上競技で同一種目複数メダルは戦後初
「2位ではあったが、メダルを1つの目標にして、ここまでずっとやってきたので、達成できてうれしい気持ち」
池田にとっては悲願のメダル獲得だった。
一方で、金メダルを狙っていた山西にとっては、銅メダルでも、悔しい結果になった。
「ここで金を取るためにやってきたし、日本陸連のゴールドターゲットとして、さまざまな強化や支援をしていただいていたので、個人としても、日本競歩チームとしても、ここで金を取れなかったことを残念に思う」と悔やんでいた。
優勝は逃したものの、メダルが期待されていた種目で、きっちりと、しかも2つもメダルを獲得したのは、かなり評価すべきことだろう。陸上競技で日本勢が同一種目でメダルを獲得するのは、戦前には複数回(1932年ロサンゼルス大会の男子三段跳、1936年ベルリン大会の男子三段跳、男子棒高跳、男子マラソン)あったが、戦後は初めてのことだった。
また、日本競歩チームの強化の賜物でもある。山西は高校3年時に2013年世界ユース選手権(10000m競歩)、大学4年時に17年ユニバーシアード(20km競歩)と、共に金メダルを獲得。池田も、19年ユニバーシアードで金メダルに輝いており、共に世代別の世界大会でも頂点に立った経験があった。
山西は25歳、池田は23歳と、ともに若いが、国内では大学生ら勢いのある若手も多く、来年、再来年の世界選手権、そして、3年後のパリ五輪と、今後も日本勢の世界大会での活躍が期待される。今や、日本の”お家芸”と呼ばれる種目と言っていいだろう。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】