2人の前世界チャンプの再起
昨年11月1日にWBA/WBC統一ライトフライ級タイトルマッチで敗れた京口紘人が5月20日の再起戦で勝利した。フライ級に階級を上げての復帰戦。10回判定勝ちだった。
京口と同門の谷口将隆は、大学卒業と同時に揃って上京し、ワタナベジムの寮に入った。2階級を制した京口を追いかけながら、自身もWBOミニマム級王者となった谷口。彼も今年の頭に行われた2度目の防衛戦で黒星を喫し、現在カムバック戦を見据えてトレーニング中だ。
親友でもあり、ライバルでもある彼らは、お互いの試合でセコンドも務める。谷口に、京口のフライ級第1戦を語ってもらった。
「京口にとっては、フライ級にアジャストする試合であり、再起をすることが大前提でした。ですから僕は『難しく考えずに、とりあえず勝つことを念頭に置こう。"倒す""倒さない"よりも、そちらを重視しよう』と話しました。
京口にしてみればプロで初めて味わう手痛い敗戦以来の試合でしたね。緊張もあったでしょうが、立ち上がりの動きは非常に良かったと思います。序盤は、『重心を浮かすな』『ブロックに頼り過ぎずに、相手のパンチを分散させて、受け流すようなディフェンスをしようぜ』と、話し合いました。躱してしまうのが理想ですが、受け方を意識しろと。
相手は京口の左ボディとワンツーを警戒していました。なので、連打の中で右のボディストレートが当たるよ! と伝えました。あとは、打ち終わりに右をもらわないように注意を促しましたね。
ただ、4~5回のインターバル中に、京口が『右の拳を痛めた』って言ってきたんです。結構、相手のフィリピン人選手も上体を振って、頭を低くしていましたから、京口の力を込めたパンチが頭に当たっていたんですね。だから一発だけで痛めたのではなく、何発も打っての負傷だったように感じます。
頭は6割の力でいいから、腕や胸を打とうと声を掛けました。陣営で立てた作戦通りに試合を運べているなとは感じました。拳を痛めていたわけですから、無理はしなくていいというのが僕の意見でした。京口が、体の他の部分を痛めることも避けたかったので。
終盤、京口は会場の空気を悟って手数で仕留めに行こうとしましたね。相手は途中から勝つことよりも、10ラウンド耐えることを目的としていましたから、やり難かったでしょう。
僕はどうしても京口の身内になってしまいますし、彼のセコンドに付く時って自分の試合以上に緊張します。拳を痛めながらもフライ級転向第一戦で、勝ち切ったことを良しとしたいですね。
正直な話、フレームを考えれば京口はライトフライ級の選手だと思うんです。でも、敢えてフライ級に上げた訳です。ライトフライ級でもう一度世界王座に返り咲くことよりも、3階級制覇を狙う選択をしたーーリングを降りる日が来た時、ボクシング人生を振り返って『あそこでチャレンジして良かった』と思えるように、ハードルを上げたんでしょう。
京口は、<自分のボクシング人生が最終章に入った>と口にしていますし、最後に己への挑戦を始めたんですよ。その気持ちが良く分かります。
本人と話した訳ではないのですが、寺地拳四朗選手に負けた折、引退するか、という思いも少しはあったと自分は思うんですね。階級をアップしての再起っていうのは、最大の挑戦ですよ。京口の姿は純粋に恰好いいな、と感じますし、物凄く刺激になります。
実は僕が世界タイトルを失った前回の試合は、いい感じで仕上げられたのです。が、いつミニマム級での限界が来るか分からないという状態でした。無理やり減量して、世界タイトルを獲ろうとしていましたから。
近い将来、ライトフライ級にいくだろうなと、漠然と考えていました。ライトフライ級の方が、いいパフォーマンスが出来ると確信しています。僕もそろそろ試合が決まりそうなので、『今度は俺の番だ。頑張らねば』と感じています」
同じ年の2人は、本当に最終章を迎えたのだろうか。今後のボクシングライフを、いかに彩るのか。