プレミア12銀メダルの韓国代表、ジェフンの思い出…キヨシロー、そしてあの名曲
4年ぶりに開催されたWBSCプレミア12は、日本の初優勝で幕を閉じた。11月17日に行われた決勝戦、2点をリードした日本の8回裏の攻撃、2死走者なしとなったところで韓国がマウンドに送り込んだのは、2016年に東京ヤクルトスワローズでプレーしたハ・ジェフン(29歳)だった。
米マイナーで投手を経験、独立リーグでは二刀流
ジェフンはもともと、高校卒業後にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んで外野手としてプレーした選手。だが、2015年にマイナーA級(ショートシーズン)で投手に転向すると、16試合の登板で3勝0敗、防御率2.33の好成績を残した。
翌2016年は四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団し、外野手として5月下旬までリーグトップの6本塁打、同2位の打率.364をマークする一方で、投手としても1試合に投げて1回を無失点。そこにヤクルトが獲得に乗り出し、シーズン終了までの条件で契約を結んだ。
当時、ジェフンは25歳。5月30日にヤクルトの球団事務所で行われた記者会見で、編成部門トップの小川淳司シニアディレクター(当時)は「一番大きな理由として、年齢的にも(若く)、非常に能力が高く、将来性を買っての獲得」とその意図を話し、「ピッチャーをやってたということもあって、ゼロではないと思います」と、ヤクルトでも“二刀流”の可能性を否定はしなかった。
ジェフン自身もアメリカでは最速95マイル(約153キロ)を計測し、自信のある変化球はカットボールと話していたが、投手の経験について聞かれると「バッターとして、もっと成長するためのいいきっかけになったのではないかと考えています」と答えるなど、ピッチャーに関してはあまり乗り気でない印象を受けた。
実際、ヤクルトでは一軍で17試合に出場して打率.225、2打点、二軍では49試合の出場で打率.293、7本塁打、25打点の成績を残したが、投手としてマウンドに上がることはなく、この年限りで退団した。
神宮での登場曲が忌野清志郎だったワケ
個人的に強く印象に残っているのは、その登場曲だ。ジェフン本人はこだわりがなく、当初はあるコーチの発案で、まだ人々の記憶にも新しかった人気ドラマ『あまちゃん』のオープニングテーマが使われていたが、オールスターが明けてしばらく経つとそれが忌野清志郎(2009年死去)の『JUMP』に変ったのだ。
“キヨシロー”といえば、RCサクセション時代の『雨上がりの夜空に』を中日ドラゴンズの英智(現中日二軍コーチ)が登場曲に使っていたことがあるが、ソロ時代の曲が出囃子になったというのはあまり印象にない。実はこの選曲は、キヨシローファンを自認する当時の通訳氏のアイディア。ジェフンは7月の終わりには二軍に落ちてしまったので期間としては短かったが、キヨシローの生前は何度もライブに足を運んだ筆者も、神宮球場のスピーカーから「ジャーンプ!」という歌声が流れるたびに、テンションが上がっていたのを思い出す。
ちなみにその頃、ジェフンにどんな音楽が好きなのかを尋ねたことがある。その問いに答える代わりに、彼は即座に「♪Welcome to the Hotel California」と歌ってみせた。そう、1970年代に絶大な人気を博した米国のロックバンド、イーグルスの名曲『ホテル・カリフォルニア』である。これから試合が始まろうというグラウンドで、思わず聞き入ってしまうようなきれいな歌声だった。
そのジェフンはヤクルト退団後、アイランドリーグの徳島に復帰。2017年は投打の二刀流で活躍し、2018年は指名打者部門でベストナインに選ばれた後、韓国プロ野球のドラフトでSKワイバーンズに指名されて入団した。
母国のプロ1年目は投手に専念して36セーブをマークし、代表メンバーとしてプレミア12に出場。韓国は決勝戦で日本に敗れて銅メダルとなったが、来年のオリンピック出場を決めている。ジェフンは4試合に救援登板し、計4イニングで被安打1、無失点。来年の東京五輪でも、その雄姿を見ることができるかもしれない。