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地獄の炎の神、降臨。ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンが語るロックの半世紀【前編】

山崎智之音楽ライター
The Crazy World Of Arthur Brown cleorecs

「I am the God Of Hellfire and I bring you... FIRE!(我は地獄の炎の神。我はもたらす...FIRE!)」

ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの1968年のヒット曲「ファイアー」は、こんな一節から始まる。

1968年、イギリスのサイケデリック・ムーヴメントとオカルト/神秘主義ブームを背景に全英ヒット・チャートの1位を獲得。ホラーとロックを融合させた世界観は熱狂的な支持を得ている。KISSやアリス・クーパー、マリリン・マンソンらに影響を与え、イアン・ギラン(ディープ・パープル)のシャウトへのヒントともなったアーサーは1942年生まれ。80歳を迎えたが、その勢いは止まることを知らない。2022年には豪華ゲスト陣を迎えたモンスター・アルバム『Monster's Ball』とリック・パッテンとのコラボレーション作『Long Long Road』という2枚のアルバムを海外で発表、ツアー活動も精力的に行っている。

「ファイアー」のヒットから55年を経て、生ける伝説として世界に多くの信奉者がいるアーサーだが、未だ日本を訪れていない。悲願の初来日公演への祈りを込めて、彼にインタビューを行った。

全2回のインタビュー、まず前編記事では新作、ロンドンのサイケ・シーンの盟友だったピンク・フロイドやホークウィンドとの交流、そして「ファイアー」 秘話を語ってもらおう。

Arthur Brown『Monster's Ball』(Purple Pyramid Records / 現在発売中)
Arthur Brown『Monster's Ball』(Purple Pyramid Records / 現在発売中)

<日本向けのインタビューは今回が初めてかも知れない>

●日本にもあなたのファンは大勢いますが、未だ来日ライヴが実現していないのが残念です!

私の音楽を愛してくれるリスナーが日本にいるというのは、とても嬉しいね。アルバム『ジャーニー』(1973)は当時の日本の総理大臣がお気に入りに挙げていたというし、私もずっと日本の文化からインスピレーションを受けてきた。ただ残念ながら、日本のメディアと話す機会がきわめて少なかったことも事実だ。私が記憶する限り、日本向けのインタビューは一度もしたことがない筈だよ。もしかして覚えていないだけかも知れないけど、デビューしてから50年以上経って、今回が初めてだと思う。プライベートでも日本は訪れたことがないんだ。

●2022年には『Monster's Ball』と『Long Long Road』という2枚のアルバムを発表するなど、非常にクリエイティヴな時期でしたが、現在“地獄の炎の神”はどんな境地にあるのでしょうか?

私の頭蓋骨の中には24インチぐらいのスペースがあって、その中にアイディアを溜め込んでいるんだ(笑)。たまに棚卸しをしないと溢れてしまうし、整頓も出来ないから、アルバムを出す必要があるんだよ。音楽をやるのは楽しいし、飽きることはない。言いたいことはいくらでもある。周囲を見回してみればいい。現代の世界は混乱に溢れているんだ。『Long Long Road』はリック・パッテンと2人で作ったものだ。彼とは古い友達で、『The Magic Hat』(2012)というアルバムを作ったこともある。マルチ・インストゥルメンタリストでさまざまなアイディアに満ちたアーティストで、ブックレットもヴィジュアル的に興味深いものだ。1960年代から一貫しているけど、私は音楽だけでなく、アートワークやステージ・パフォーマンスを含めたトータルな作品を志してきたんだ。『Long Long Road』は2022年にそれをやったアルバムだよ。

Arthur Brown with Rick Patten『Long Long Road』(Prophecy Productions / 現在発売中)
Arthur Brown with Rick Patten『Long Long Road』(Prophecy Productions / 現在発売中)

<シド・バレットはバカ騒ぎをするようなタイプではなかった>

●『Monster's Ball』も同時期に作ったのですか?

『Monster's Ball』はそれより後、コロナ禍のロックダウン中に作ったんだ。“モンスターの饗宴”というタイトルの通り、異なったフィールドの優れたミュージシャン達が大勢ゲスト参加してくれて、有名な曲やレア曲、新曲などをプレイしている。「Zombie Yelp」は新たに書いた曲だった。“クレオパトラ・レコーズ”のブライアン・ペレラはさまざまなミュージシャンとの人脈ネットワークがあるから、いろんな人を紹介してくれたよ。元ホークウィンドのアラン・デイヴィも彼が連れてきたけど、私はホークウィンドのシンガーとして6ヶ月ぐらいツアーしたことがあったんで、知り合いだった。彼は今カリフォルニア州のデス・ヴァレイに住んでいるんだ。ロックダウン中だったし、音源をネット経由でやり取りして作ったんだよ。例外として1曲だけ、2016年の初めに録った曲もあった。ブライアン・オーガー、カーマイン・アピスと録った「ファイアー」のニュー・ヴァージョンだよ。すごくパワフルで気に入っている。

●ピンク・フロイドの「ルシファー・サム」をカヴァーすることにしたのは?

アルバムの収録曲は私自身や“クレオパトラ”の人々など、いろんな人の意見を取り入れながら選んだんだ。「ルシファー・サム」はブライアン・ペレラだったかPRをやってくれるジョン・ラッペンだったかが提案してきた。昔から好きな曲だったし、モンスターや悪魔が登場するアルバムだからピッタリだと考えたんだ。

●「ルシファー・サム」を書いたシド・バレットとは1960年代に交流がありましたか?

1966〜7年頃のロンドン“UFOクラブ”にはレギュラー出演していた4大アーティストがいた。それがソフト・マシーン、ピンク・フロイド、Tレックスでロック・スターになる前のマーク・ボラン、そしてザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンだったんだ。音楽はもちろん、ヴィジュアル面のスペクタクルなどを含め、当時のロンドンのシーンを象徴する存在だった。だからもちろんお互いの音楽は聴いていたし、話すようになった。同じような人間と出くわすから、だいたい顔見知りになったよ。全員が友達という訳ではなかったけど、少なくとも殴り合いとかは見かけなかったね。一緒にハイになったりもしたし、同時代を生きる仲間たちだったよ。ただそんな状況だったから、シドとの会話の具体的な内容なんかは覚えていないんだよ。決してバカ騒ぎをするようなタイプではなく、ちょっと距離を置いたタイプだったね。

●“UFOクラブ”はどんなクラブでしたか?

“UFOクラブ”はきわめて短い時期しか存在しなかった(1966年12月〜1967年9月)けど、新しい音楽、新しい詩、新しいダンスがここから生まれるなど、影響力のあるクラブだった。ヒッピーやボヘミアン、政治家や警察官も訪れて、人生に対する新しい価値観や新しいアプローチを共有したんだ。ザ・ナイス時代のキース・エマースンが出入りしていたのも覚えているよ。ピンク・フロイドのライヴを見たり、シーン全体から何らかのインスピレーションを得ていたと思う。私たちみんなが刺激を与えあって、エキサイティングな時期だった。そして小さなクラブであっても、世界への扉だった。“UFOクラブ”での私たちのショーをアメリカのプロモーターのビル・グレアムが見て、初のアメリカ・ツアーが決まったんだ。

●あなたはホークウィンドとツアーしたり、『Monster's Ball』に元メンバーのニック・ターナーやアラン・デイヴィがゲスト参加していますが、彼らが出自とするのは異なったシーンでしたか?

うん、ホークウィンドは少し後の世代だし、ロンドンでも西寄りのノッティングヒル・ゲイトを本拠地にしていた。彼らが登場してきたとき、誰もが驚いたね。自分のやっている音楽が“実験的”だと思っていた連中がホークウィンドを聴いてたまげていたよ。私は彼らの音楽は聴いていて、ロバート・カルヴァートのアルバムに参加したこともあったけど(『キャプテン・ロッキード・アンド・ザ・スターファイターズ』/1974)、彼らがビッグになった1970年代、アメリカに住んでいたこともあって、あまり接点がなかったんだ。1990年代にも私はアメリカに住んでいて、年に数回イギリスに戻ってきてツアーをやっていた。そんなときツアー・プロモーターがホークウィンドのリーダー、デイヴ・ブロックに紹介してくれたんだ。彼はバンドのシアトリカルな方向性を再び追求したいと言って、ツアーに誘ってきた。それで2000年頃から彼らと一緒にツアーするようになった。たくさんショーをやって、人間としても彼らのことを知ることが出来たよ。

●1970年代にホークウィンドを解雇されてモーターヘッドを結成したレミー・キルミスターとは交流がありましたか?

1970年代には私がアメリカにいたせいで知り合う機会がなかったけど、私がホークウィンドでツアーしていた時期、ロンドンの大会場でレミーがステージに上がってきて、「シルヴァー・マシーン」を一緒に歌ったんだ。事前に「2人のヴォーカルの配分はどうする?」と訊いたら、(レミーの声真似で)「バック・ヴォーカルを歌ってくれ」と言われたよ。当時デイヴは別のあるメンバーと法的な問題を抱えていて、両陣営がレミーを味方に引き入れようとしていたんだ(苦笑)。それから何年かして、レミーとはイタリアだかフランスだか忘れたけど、同じ飛行機に乗り合わせたこともあった。彼は直接的で裏がなくて、話しやすい人だったね。考えていることを迷いなく口に出すタイプで、時に“不適切”とされるようなことも話していたけど、愛すべき人間だったよ。

Arthur Brown at Psycho Las Vegas 2016 / photo by yamazaki666
Arthur Brown at Psycho Las Vegas 2016 / photo by yamazaki666

<火は風によって揺れ動くけど、軸の部分は不動だ>

●「ファイアー」は1968年に発表されて全英ナンバー1ヒットとなり、今回『Monster's Ball』でジェイムズ・ウィリアムスン、カーマイン・アピス、ブライアン・オーガーをゲストに迎えてリメイクされていますが、元々どんなところからインスピレーションを得たのですか?

私は常に“火”に強い関心を持ってきたんだ。火は風によって揺れ動くけど、軸の部分は不動だということに魅了されてきた。少年時代に書いた「ファイアー・ポエム」はそのまま、アルバム『ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン』(1968)で「ファイアー」の導入部として使っている。そうしてキーボード奏者のヴィンセント・クレインと一緒に書いたのが「ファイアー」だった。当初は「ファイアー組曲」の一部となる筈だったけど、プロデューサーのキット・ランバートの提案もあって、独立した曲としてレコーディングすることになったんだ。元々キットを紹介してくれたのはパブリシストのジョン・フェントンだった。キットがザ・フーのマネージャーだったことで、ピート・タウンゼントがアソシエイト・プロデューサーとしてクレジットされたんだ。ピートは「ファイアー」をすごく気に入ってくれて、後に自分のヴァージョンをレコーディングしているよ(『アイアン・マン』/1989)。キットは後にザ・フーと裁判になったり、若くして亡くなってしまったけど(1981年、45歳で死去)、私には良くしてくれたね。彼が亡くなったことで、誰が「ファイアー」でドラムスを叩いたか判らなくなってしまったんだ。元々のセッションではドレイケン・シーカーが叩いていたけど、どうしてもスタイルが合わなくて、セッション・ドラマーのジョン・マーシャルが数曲でプレイしている。さらにコロシアムのジョン・ハイズマンもセッションに参加していて、結局誰のテイクが使われたのか、知っているのはキットだけだったんだ。

●これまで「ファイアー」は何回ぐらいスタジオでレコーディングしてきましたか?

そう言うほど何度もレコーディングしていないよ(苦笑)。1975年に再リリースしたけど、音源自体はオリジナル・ヴァージョンだった。その後、1998年だか1999年にスタジオでザ・ダムドとレコーディングしたことがあった。プロデューサーはアラン・パーソンズだったけど発売されなかった。テープはどこかの倉庫にある筈だよ。『Monster's Ball』の「アイ・フィール・フリー」でザ・ダムドのラット・スケイビーズが参加しているのは、そのあたりの交流もあるんだ。

●私は1993年にロンドン、2016年にラスヴェガスであなたのライヴを見ることが出来ましたが、どちらも「ファイアー」は凄まじい声援で迎えられました。

うん、いつもライヴ会場全体がクレイジーになるよ。ピーター・ゲイブリエルに「羨ましい。こんな切り札があるなんて!」と言われたこともある。ただ一時期、ライヴで封印していたこともあるんだ。1970年代にキングダム・カムを結成して、より冒険的な音楽を志していた。過去を振り返るのではなく、自分たちのニュー・アンダーグラウンドを創り出す意欲に満ちていたんだ。過去のヒット曲にいつまでも縛られるのが嫌だったし、「『ファイアー』をやれ!」と野次を飛ばされても無視していたよ。でも大勢のファンに愛されてきた曲だし、若いリスナーにとっては新鮮な経験だ。私自身が誇りにしている曲だから、意地を張る理由はないと考えたんだ。今やっている“ザ・ヒューマン・パースペクティヴ”ショーでもハイライトのひとつだよ。炎のヘルメットは欠かせない。あれがないと、人間でない気がするんだ。

Arthur Brown's Kingdom Come 1972 / courtesy of Cherry Red Records
Arthur Brown's Kingdom Come 1972 / courtesy of Cherry Red Records

●“ザ・ヒューマン・パースペクティヴ”ツアーについて教えて下さい。

私のキャリアを網羅するマルチメディア・ショーだよ。私とクリエイティヴ・ディレクターでマネージャーのクレアはヨークシャーの美しい山々の中に住んでいる。だからコロナ禍のあいだも、世界で起こっていることを俯瞰して見ることが出来たんだ。それでストーリー仕立てで、人間の現実と虚構、正と負などを描いていくショーをやることにした。“ゴッド・オブ・ヘルファイアー=地獄の炎の王”がいかにして誕生したかも明かされるし、相対する“ザ・ゴッド・オブ・ピュア・ファイアー=清い炎の王”も描かれる。私の55年のキャリアを代表する音楽といくつかのサプライズを用意していくよ。初期のナンバーや「タイム・キャプティヴ」もやるし、『Long Long Road』と『Monster's Ball』からの曲もやる。ミュージシャンは実力者揃いで、ダン・スミスはキーボードやギターで多大な貢献をしてくれるよ。ヴィジュアル的にも興味深いものになる。スクリーンに映像を流したり、コスチュームも凝ったものにしたりね。

後編記事ではオカルト/神秘主義やジミ・ヘンドリックスとの新バンド結成の計画など、アーサーに導かれながら、さらにクレイジーな世界へと踏み込んでいこう。

The God Of Hellfire website

https://www.thegodofhellfire.com/

Arthur Brown bandcamp

https://arthurbrownfire.bandcamp.com/

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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