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夏の甲子園/準決勝で敗退しても、明徳名物・馬淵節はおもしろい

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「1対0も100対0も負けは負け。あそこまで点差が開くと、むこうは伸び伸びできるし、こっちは打っていくしかなかったわ」

独特のだみ声と節回しは、馬淵節だ。

作新学院と明徳義塾が対戦した準決勝。作新の好投手・今井達也攻略には、2013年夏に2対1で競り勝った瀬戸内の好投手・山岡泰輔(現東京ガス・この秋のドラフト1位候補)をイメージし、ロースコアでのしのぎ合いを目論んだが、初回に2点、3、4回に3点ずつを奪われると、さすがに明徳・馬淵史郎監督も立ち往生だった。

だがこの夏の明徳は、相手暴投での1点しか奪えずに初戦で敗退し、「打撃がいっちゃんヘボ」と酷評されたセンバツに比べると、打線の活発さが際だった。境との初戦こそ9安打だったが、3回戦以降準決勝までの3試合はいずれも二ケタ安打。嘉手納戦では西浦颯大に満塁ホームランも飛び出して、4試合通算136打数50安打は、打率にして・368だ。

作新学院戦で、大会ナンバーワンの今井からホームランを放った西村舜はいう。

「新チームになってからずっと、打撃が課題といわれて、ソフトボールを打つ練習をしてきました。ロングティー、手で上げるティー……。それを1・2キロの重いバットや、88センチの長いバットで打つんです。ロングティーは、最初は全然飛ばない。ソフトボールは重いし、硬球を打ったときの半分以下の飛距離でした。それがだんだん飛ぶようになってきたのは、からだ全体を使って打つようになってきたからだと思います。春以降も、手で上げるティーはソフトボールを使ってきました。実際の打席で硬球を打つと、ボールをもう一押しでき、打球が伸びるようになった感覚です」

社会人野球時代に、苦肉の策で採用した練習を……

ソフトボールを使っての練習は、このチームから採り入れたのだという。馬淵監督にも聞いてみた。

「ソフト? ああ、やったよ。重いし、空気抵抗があるし、それを飛ばそうとすればパワーもつくからね。実は社会人(の監督)のころからやっとったんよ。というのも阿部企業のグラウンドは、校庭ぐらいの広さで、まともに硬球を打てんわけ。だから苦肉の策でソフトを使ったけど、なかなか効果があったんよ。サプリで筋肉をつけるようなもんや。明徳に来た当初も練習に取り入れていたけど、久々にそれを思い出してまたやってみたわけや」

なるほどねぇ。馬淵監督といえば、阿部企業を率いた1986年、日本選手権で準優勝を果たしている。そのときに採用した練習方法を、打撃が課題のチームに導入したわけだ。打撃復活で、4年ぶりにベスト4に進出した明徳。優勝した02年以来の決勝進出はならなかったが、新チームには西浦や今井涼介、そして1年生ながら準々決勝以降はスタメン五番にすわった大器・谷合悠斗が残る。

「(甲子園通算)50勝に達したら、やめてもええと思っとる」という馬淵監督。今大会で優勝すればちょうど50勝だったが、それは持ち越しとなった。それでも、通算30勝に達した夏の勝ち星は、高嶋仁(智弁和歌山)に続く歴代2位タイ。春夏通算では48勝(28敗)で、節目の50勝はすぐそこだ。ただ……甲子園名物の馬淵節が聞けなくなるのは、ちょっと寂しい気がするのだが。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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