戦略原潜の韓国訪問は軍事的に無意味、目的は韓国の国民を安心させるため
4月26日(現地時間)、アメリカのバイデン大統領と韓国の尹錫悦大統領がワシントンD.C.のホワイトハウスで会談し、核抑止力の強化を目的とした核協議グループ(NCG)の創設を柱とする「ワシントン宣言」を発表しました。北朝鮮の核攻撃に対しアメリカの核兵器を含めて対応すると明言しています。
韓国はアメリカが核攻撃を行う作戦計画と訓練に関与することが協議によって可能となりますが、ただし最終的な核兵器の使用決定権はアメリカ大統領のままです。
そしてバイデン大統領は記者会見で「朝鮮半島への核兵器の再配置は行わない」と明言しており、在韓米軍への核兵器の配備や韓国軍との核兵器共有を否定した形です。この代わりとしてアメリカ軍の戦略資産の定期的な韓国への訪問を行うことで、拡大抑止の証明をしたいとしています。
戦略原潜の最前線への配置は軍事的には無意味
しかし戦略原潜を韓国のような最前線に配置することは軍事的に全く意味がありません。アメリカの戦略原潜「オハイオ」級に搭載されているSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の「トライデントD5」は最大射程1万2千kmを超える性能で、アメリカ本土近海に潜んでいても地球の裏側だろうと狙い撃つことが可能です。
確かに過去に1976年12月から1981年3月までの間に、アメリカの戦略原潜9隻が韓国に35回寄港した例はあります。参考:When the Boomers Went to South Korea | Hans Kristensen | October 4, 2011
ただし過去に韓国に寄港したこれらはトライデントより射程の短いSLBM「ポラリス」搭載の戦略原潜「ジョージ・ワシントン」級と「イーサン・アレン」級であり、ある程度は前線に近付く必要があったので、そこまで不自然な運用ではありませんでした。ポラリスの射程の都合上、普段からグアムや日本の近海まで進出することがあったのです。
アメリカ海軍のSLBMの射程
- ポラリス・・・射程2200~4600km ※退役
- ポセイドン・・・射程4600~5900km ※退役
- トライデント・・・射程7400~12000km ※現行型はトライデントD5
ポラリス搭載艦なら前線付近に進出してもさほど不自然ではありませんでしたが、トライデント搭載艦が前線付近に進出するのは軍事的な意味が全く無いのです。それは仮想敵国である北朝鮮も熟知しているでしょう。つまりトライデントを搭載した戦略原潜が韓国に寄港しても軍事的な威嚇には実質的にはなり得ません。
では一体何の為にトライデント搭載艦を最前線の韓国に寄港させるかというと、同盟国を安心させるためです。韓国政府は軍事的な無意味さを熟知しています。つまりこれは「韓国の国民を安心させるため」に行われるアメリカの戦略兵器の訪問なのです。
どうしてこのような真似を行うかというと、アメリカにはもうトマホーク巡航ミサイルの核攻撃型はもう無いからです。ブッシュ(父)政権時代にアメリカは核軍縮として海軍の核兵器を戦略原潜のSLBMのみとする方針を発表して、核トマホークを全廃しW80-0核弾頭の解体処分を決定(2012年までに全廃完了)、空母からも核爆弾を降ろしています。
現在のアメリカ軍の核戦力
- 大陸間弾道ミサイル・・・ミニットマンⅢ(固定サイロ)
- 潜水艦発射弾道ミサイル・・・トライデントD5(オハイオ級戦略原潜)
- 空中発射巡航ミサイル・・・ALCM(B-52戦略爆撃機)
- 自由落下核爆弾・・・B61、B83(B-2戦略爆撃機、F-15E戦闘爆撃機)
アメリカ軍の核兵器は現在この4系統5種類ですが、ミニットマンは固定配備式で動かせません。朝鮮半島への核兵器の再配置は否定したので核爆弾の配備予定はありません。すると朝鮮半島での戦略資産、ここでは狭義の意味の「核兵器」とすると、一時的な訪問を「見せる」ことが容易な兵器とは「戦略原潜」と「戦略爆撃機」の2種類に絞られます。
航続距離の短い戦闘機に核爆弾を搭載して韓国を訪問させるわけにはいきません。遠いアメリカ本国からでは飛んで来るだけで一苦労です。また運搬中の事故の可能性を考えると検討すら論外です。戦時ならともかく、平時には行うべきではありません。
その点、戦略原潜ならば核ミサイルを積みっ放しでも移動中の事故の可能性は極小です。しかも韓国訪問の為だけに核ミサイルを降ろすことは手間が面倒なので行わないことが確実で(仮に積み替え作業すると偵察衛星に捕捉されてバレる)、核ミサイルを積んでいることが間違いない戦略資産がやって来ることになります。
戦略爆撃機の場合もアメリカ本土からの韓国訪問は楽ですが、本当に核兵器を搭載しているか疑われる可能性があります。B-52戦略爆撃機の外装ステーションにALCM空中発射巡航ミサイルを搭載して見せても、模擬弾と疑われるかもしれません。
こうして韓国の国民を安心させるために核ミサイルを搭載していることが間違いない戦略原潜が釜山港にやって来ることになります。しかし釜山港の周辺から北朝鮮の平壌まで500kmほどしかありません。仮に戦略原潜が訪問中に戦争になったとしても、射程1万2000kmのトライデントD5をこの位置から撃つことは無いでしょう。もし撃つとしたらアメリカ本土近海で待機している戦略原潜の役目になります。
軍事的には全く意味の無い戦略原潜の最前線への訪問は、敵への威嚇目的ですらなく、味方の国民を安心させる目的で行われます。ただしオハイオ級戦略原潜は核軍縮の一環で4隻が巡航ミサイル原潜に改造されており核ミサイルのトライデントD5を外されて非核型のトマホーク巡航ミサイルに積み替えていて、この巡航ミサイル原潜は過去に何度か韓国の釜山港を訪問しています。すると今度新たに戦略原潜が訪問するといっても、形状は全く同じ見た目の潜水艦がやって来ることになるので、視覚的なインパクトは薄いかもしれません。
それでも大多数の一般の人々は潜水艦の形状などに特別な注意を払っていないので、新聞やテレビのニュース報道で「核ミサイル搭載の潜水艦が訪問」と伝えれば、情報としてのインパクトは十分であるという見立てなのだと思われます。
韓国の自主核武装の否定
なお米韓のワシントン宣言はアメリカの強い意向が記されています。韓国はアメリカの核抑止力に永続的に依存する=韓国は自主核武装の野望を持たない、そう約束させられています。永続的に依存とは非常に強い表現です。
これで韓国は自主核武装せず、NATO方式の核兵器共有もせず、核協議での話し合いでアメリカの核兵器の使用にある程度の関与はできるようになりましたが、韓国自身はかなり我慢させられた形になります。東アジアの安定という面から見れば、アメリカや日本にとっては歓迎すべきことですが、自主核武装の声が強い韓国の世論を抑えられるのか不透明です。
この韓国世論への対応としてアメリカの戦略資産の韓国への定期的な訪問、戦略原潜と戦略爆撃機の展開ということになるのですが、果たしてどこまで効果があるのでしょうか。もしまるで効果が無いということになれば、次の策を考えなければなりません。
それは例えば、バイデン政権が2022年4月に中止させた海洋配備型核巡航ミサイル(SLCM-N)の開発を再開させて韓国に定期配備するとか、あるいはNATO方式の核兵器共有を認めるといった方策が考えられますが、少なくともバイデン政権のままでは認められる可能性は低そうです。