月曜ジャズ通信:異文化の“肌触り”の違いを教えてくれるビッグバンド(スタンダード総集編vol.6)
<月曜ジャズ通信>は9月からリニューアル予定。手始めに「今週の気になる1枚」を無料で読めるようにしました。後半の<総集編>は、月曜ジャズ通信で連載した「今週のスタンダード」の再録です。
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♪今週の気になる1枚〜京都コンポーザーズジャズオーケストラ・ディレクテッドバイ谷口知巳『Anatomy of a band』
京都コンポーザーズジャズオーケストラ(KCJO)は、関西で活躍する最前線のミュージシャンを集めて2006年に結成したビッグバンド。これまでに2枚のアルバムを発表している。
2013年には東京公演も実現させ、これにはボクも駆けつけて“生KCJO”を堪能させてもらった。
さて、KCJOのニューアルバム『Anatomy of a band』に触れる前に、ジャズのビッグバンドについて少し話をしてみたい。
ジャズのビッグバンドを楽しむには“肌触り”の違いがわかるようにならないとダメなんじゃないかと、思うようになったのは最近のこと。そしてボクは、この“肌触り”の違いがわからなかったものだから、ビッグバンドを苦手としてきた。
スウィングからジャズを聴くようになった先輩リスナーたちは、ビッグバンドを自然に受け入れることができていたようだ。そもそもスウィングの再生装置としてビッグバンドが存在していたのだから当然のことだろう。しかし、“コルトレーン命!”などと粋がってジャズを聴き始めるようになったボクらの世代以降(つまり“ジャズのメインストリーム”は1960年代以降だと思っている世代)は、なかなかこのビッグバンドになじむ機会が少なかったし、ビッグバンドの姿勢も保守的だったように思う。もちろん例外的なサウンドを生み出したビッグバンドは少なくないということは言っておかなければいけないんだけど。
要するに、アンサンブルという協調行為を主体としたビッグバンドと、メンバーそれぞれのソロ演奏の違いを際立たせることが主体のコンボ=小編成という異なるコンセプションの表現が並立していたのがジャズというジャンルだったのに、バンドごとの協調行為の差異を聴き分ける耳が育っていないとビッグバンドの醍醐味は味わうの難しいというカベをボクが乗り越えられなかっただけーーという話だったような気がする。
協調行為の差異について気づくようになったのは、たとえばベルリン・フィルハーモニー・オーケストラとウィーン・フィルハーモニー・オーケストラの評価がドイツ国内で異なることを知ったり、だいぶ前から菊地成孔が「音楽は訛りだ」と言っていたことが頭の片隅にこびりついていたことが関係しているのだろうけれど、その視点をデューク・エリントン・オーケストラやカウント・ベイシー・オーケストラ、ウディ・ハーマン・オーケストラ、ギル・エヴァンス・オーケストラなどのサウンドにどうやって当てはめればいいのかが思いつかなかったし、差異がわかったところでビッグバンドがおもしろく感じられるのかどうか自信がもてなかったというのが正直なところ。
しかし、“肌触り”というキーワードでビッグバンドを聴くようになって、なんとなくではあるけれどバンドごとのリーダーの意図が汲めるようになってきた気がしてきたことが、ボクのビッグバンドへの興味を高めるきっかけになったんじゃないかと思っている。たぶんそれまでは、ビッグバンドをコンボのソリスト、つまり大きなひとつの人格のようにとらえすぎて、焦点がぶれてしまっていたのだろう。
実はこのKCJO、日本で活動しているビッグバンドにいろいろな“肌触り”のサウンドが存在していることをボクに教えてくれてくれたバンドでもあるのだ。“ジャズの醍醐味はアドリブだ”と言われるけれど、構築性の高いビッグバンドのサウンドはそれ以上の偶発的な起爆力と柔軟性を備えていて、ソリストの演奏=アドリブに頼らなければ差異を出しにくいコンボとは一線を画するキャンバスが与えられているのではないかということが、彼らのおかげで薄らながら見えるようになってきた。
3作目となる『Anatomy of a band』でも、山本翔太、李祥太、蒼樹れいこという作曲家たち=コンポーザーズをフィーチャーして、KCJOならではの“肌触り”を醸し出している。
たとえば1曲目の「Blue reflection」は資料によればスティーヴ・ライヒ的な解釈を取り入れた作品とあるが、確かに冒頭からリフレインでミニマルな雰囲気を演出するものの、発音が増えるに従ってオリバー・ネルソン的な風合いが濃くなり、ハードなスウィングへと場面展開するという多重的な構造で、とても“ミニマルなビッグバンド・サウンド”とは呼べない遊び心にあふれた内容になっている。
こうしたバンドの方向性はディレクターであるトロンボーン奏者の谷口知巳の判断によるものだろうが、彼自身がビッグバンドを過去の基準に収めず、かといってアヴァンギャルド的な過去否定もせず、21世紀の日本の関西という軸でサウンドを発信していくときに“オーソドックスとなるものはなんなのか”というような視点をもっているから、KCJOはKCJOにしか出せないサウンドをもつことになっているのだと思う。
それがボクの感じる“肌触り”ということなのだが。
♪【Trailer】Anatomy of a band / 京都コンポーザーズジャズオーケストラ
▼今週のラインナップ
♪ブルー・イン・グリーン
♪ブルー・モンク
♪ブルー・ムーン
執筆後記〜穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンド「ロング・イエロー・ロード」
月曜ジャズ通信で連載している「今週のスタンダード」<総集編>シリーズの第6回です。
※<月曜ジャズ通信>アップ以降にリンク切れなどで読み込めなくなった動画は差し替えるようにしています。
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●ブルー・イン・グリーン
マイルス・デイヴィスが6人編成のバンドで1959年に制作したモダン・ジャズの名盤中の名盤『カインド・オブ・ブルー』収録の珠玉のバラード。
クレジットは“マイルス・デイヴィス作曲”となっていますが、これについてはリリース当時から異論が噴出。マイルス自身は「俺が作った」と言い続けていたようですが、後にビル・エヴァンスが「私の作品」と言及していることを含めて、研究者のあいだではビル・エヴァンス作曲説が有力。
もともとミュージシャンのあいだでは、バンマス(=バンドマスター。バンドの指揮者および運営者のこと)がメンバーの作った曲を管理するという習慣があったようです。1950年代後半になってくると権利意識が確立し、こうした習慣は廃れて厳密に著作権が管理されるようになりました。
1960年代後半にマイルス・バンドに加わったジョー・ザヴィヌルは、曲の著作権についてマイルスと言い争ったことがあると自叙伝に記していますので、「ブルー・イン・グリーン」の作者の真相は“言わずもがな”かもしれません。
うがった見方をすれば、マイルスが自分のものと考えたかったのはそれだけ曲がすばらしく、エポック・メイキングであることがわかっていたから。
つまりこの「ブルー・イン・グリーン」は、最前線のトップ・アーティストが“歴史を塗り替える”であろうと認識していた曲だということなのです。
♪Blue in Green by. Miles Davis
1950年代に主流となっていたハード・バップでは、コード進行という最低限の制約のなかでいかに自由なアドリブを展開できるかを競い合っていましたが、半面、その最低限の制約自体がマンネリを招くというジレンマに陥ってしまいます。
これを打開しようとしたマイルス・デイヴィスは、古い教会音楽に使われていたモードという方法論を用いることを思いつき、アルバム『カインド・オブ・ブルー』にまとめました。
そういう経緯を考えれば、マイルスがアイデアを出して、ビル・エヴァンスが実質的に曲を完成させたーーというあたりが、この曲の出生にまつわる真相なのかもしれません。
♪Bill Evans Blue in Green
ビル・エヴァンスは『カインド・オブ・ブルー』と同じ1959年に、リーダー作『ポートレート・イン・ジャズ』を制作し、そこに「ブルー・イン・グリーン」を収録しています。共作というクレジットにマイルスへの配慮を感じますが、そもそもダブってまでこの曲を収録しているところに、「自分こそが作曲者である!」という主張を感じてしまうのですが……。
さて、聴き比べてみて、皆さんはどう感じるでしょうか?
♪Blue In Green : Naruyoshi Kikuchi + Hiroshi Minami
菊地成孔(ソプラノ・サックス)と南博(ピアノ)のデュオ・ヴァージョン。
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●ブルー・モンク
セロニアス・モンクが作曲した、ジャズを代表するブルース・ナンバーのひとつ。
初出は、1954年リリースの『セロニアス・モンク・トリオ』という作者自身のトリオによるアルバムです。
セロニアス・モンクは、ビバップ黎明期から大きな影響力をもっていたミュージシャン。
いち早くメジャー・レーベルと契約した点では、マイルス・デイヴィスと肩を並べる実力とカリスマ性を備えていたと言っていいでしょう。
ピアノ・スタイルは独特で、わざと音を飛ばしたり、リズムを崩したような弾き方が印象に残ります。これは“自分のめざすジャズは流行音楽とは一線を画するものであるべき”という彼の主張に基づいたもので、そのこだわりに共感したジャズ・ミュージシャンたちがモダン・ジャズと呼ばれる芸術性の高い音楽を生み出すときの“指標”としていたようです。
♪Blue Monk, Thelonius Monk
テナー・サックスを加えたクァルテットでの演奏。セロニアス・モンクの手のアップに注目してください。大きな指輪はわざと演奏をぎこちなくするためのもので、これもまた彼独特のジャズに対するこだわりだったと伝えられています。
♪ABBY LINCOLN- Blue Monk
ビリー・ホリデイの後継者として注目され、1950年代後半から60年代にかけてラディカルな活動を展開した女性ヴォーカリスト、アビー・リンカーンによる1961年のパフォーマンス。詞はアビーが書いています。この曲のブルース・フィーリングを表現しながら、ジャズ・ミュージシャンとして“ジャズとしての現代性”をどう構築するのかというモンクが残した命題に対して彼女の出したひとつの答えが、この歌に込められていると言えるでしょう。
♪Karin Krog & Dexter Gordon- Blue Monk
“ノルウェーの歌姫”カーリン・クローグと“サックスの巨人”デクスター・ゴードンによるアルバム『サム・アザー・スプリング』(1970年)に収録されているヴァージョン。
ノルウェーのシンガーが、自分にもジャズが表現できることをアメリカで認めてもらうためにこの「ブルー・モンク」を選んだということもまた、この曲のエピソードのひとつとして記しておきたいと思います。
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●ブルー・ムーン
ブロードウェイ=ミュージカル界からハリウッド=映画界までを席巻した名コンビ、ロレンツ・ハート(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)が1934年に完成させた曲です。
“完成させた”というビミョーな表現をしたのは、この曲がすんなりとは世に出なかったため。
最初は「The Prayer」というタイトルで映画用に作られましたが、どうやらボツになったらしい。そこで、手を入れてタイトルも「The bad in every man」に変えられたものがクラーク・ゲーブル主演の映画「Manhattan melodrama(男の世界)」(米公開1934年、日本公開1935年)に挿入されたものの不発だったため、再び手が加えられて「ブルー・ムーン」というタイトルで送り出されたのでした。
出自はグダグダしてましたが、結局はこのコンビの最も売れた楽譜になったという逸話つきの曲です。
“ブルー・ムーン”という言葉は、この曲の場合は文字どおり“青い月”と解釈したほうがよさそうです。通常は月が青く見えるなんてことはないのですが、非常に稀に大気中の塵の影響でそのように見えることもあるとか。そこから、“滅多にないこと”をたとえる言葉として用いられるようになりました。
この曲では、“私”の心の寂しい気分を色で表現するために、月に“青く”なってもらった、というところなのではないでしょうか。
♪Frank Sinatra- Blue Moon
フランク・シナトラが歌う「ブルー・ムーン」。アレンジやコーラスなど、比較的オリジナルに近い雰囲気が残っていると思います。
♪JULIE LONDON BLUE MOON
グッとアンニュイな感じで歌っているのはジュリー・ロンドン。
♪Art Blakey & The Jazz Messengers- Blue Moon
1960年代初期のメンバーによるジャズ・メッセンジャーズ・ヴァージョン。情感たっぷりのスロー・バラードに仕立ててあります。
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●執筆後記
ビッグバンドでボクが最初に買ったアルバムは、おそらく穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンドの『すみ絵』だったんじゃないかな。1979年制作のアルバム。ライヴを観る機会があって感動して、抽象画のジャケットが印象的なこのアルバムを買った記憶がある。
穐吉敏子がディレクションしようとしたビッグバンドのサウンドは、アメリカの伝統音楽としてのジャズのなかに、自分の日本人としての“血”を混入させようとした結果生まれたものだったんじゃないだろうか。そういう“肌触り”がアメリカではエキゾチックなものとして評価され、彼女を“ジャズ・ミュージシャン”として認めたという経緯があるんだと思う。
♪秋吉敏子-LouTabakin Band: Long Yellow Road/ Lady Liberty; JUST JAZZ1986
「ロング・イエロー・ロード」は穐吉敏子の代表作。彼女の自伝的インプレッションをサウンドにしたものと言われている。独特の哀愁が漂う曲調はジャズのブルース・テイストとも異なり、それが彼女の自己表現として評価された。
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/