Yae 土の上に生きる“半農半歌手”が紡ぐ、時代を生き切るための心を耕す歌
デビュー20周年で、初めて母・加藤登紀子にプロデュースを依頼
その声は、木々の間を抜ける風のようであり、木漏れ日の温もりを感じさせてくれるようであり、土の匂いと感触を思い出させてくれるようであり、心にスッと入ってきて、心地よく残る――Yae。2020年にデビュー20周年を迎えたシンガー・ソングライターは、千葉県・鴨川で自然と共生し農業を営む“半農半歌手”として、口にした時に体にいいものと、耳にした時に心に響く音楽を作り続けてきた。
20周年のタイミングでは初めて、母である加藤登紀子プロデュースでアルバム『On The Border』をリリース。パンデミックの中で制作されたこの作品にはオリジナル曲 2 曲と加藤登紀子の日本語訳で歌った、世界各地の名曲など13曲が収録されている。不安に苛まれたこの時代を生き切るための大きな祈りのようなこの作品について、音楽と向き合うその姿勢についてインタビューした。
「反抗期が長くて、昔は“歌手になんてなるものか”って言っていました」
『On The Border』はYaeにとっても加藤にとっても特別な一枚になった。しかしなぜこのタイミングだったのだろうか。それまでなぜ親娘タッグは実現しなかったのだろうか。
「反抗期だった時間が長くて(笑)、昔は『歌手になんてなるものか』ってよく言っていて、登紀子さんに対する反発も大きかったので、私の方から『プロデュースしてください』って言えるなんて、自分でも驚きました(笑)。
「20年歌ってきて、でもふと横を見ると55年歌い続けてきた母がいて。改めてどういう歌手なんだろうって知りたくなった」
その時デビュー20年。しかしすぐ近くにいる、55年以上歌い続けきた、母でありアーティストである加藤登紀子という大きな存在に、改めて刺激を受けた。
「自分も20年歌ってきて、年齢も重ね母親になって、本当に色々あった時間を過ごしてきて、少しは成長できたかなと思ってふと横を見ると、55年歌い続けてきたアーティストであり母親である人がいて。その時素直に、どうやったらそうなれるんだろうってじっくり観察してみたいというか、よりお近づきになりたいと思いました。母親として接してはいましたが『どういう歌手なんだろう』ということを、プロデュースをしてもらって音楽を一緒にやることで知りたいと思いました」。
「音楽は目に見えないからこそ、浸透していく力が強い気がする」
『On The Border』には表題曲の他オリジナル曲と今歌うべき、残すべき曲を二人で選んだ。
「制作を始めた2019年はすでにコロナ禍で、様々な分断が世界中に溢れ、身の回りにも精神的分断を感じることが増えてきて、それがとても嫌で。それぞれの言語、良さを認め合える“場所”があればいいのにという願いを込めて『On The Border』という曲を作りました。今まで人々の融和を願う色々な歌が生まれ、歌い継がれてきました。そういう歌も入れました。ロシアのウクライナ侵攻から一年が経ち、今歌うべき歌がどんどん出てきています。音楽は目に見えないからこそ浸透していく力が強い気がしていて。私は元々、モダンバレエや演劇、パントマイム、体を使う表現が好きなのですが、でも歌って伝わり方の速度が速いコミュニケーションだと思います。人類学者の山極壽一さんによると、人間のコミュニケーションツールとしては、言語より先に音楽は存在していて、それは吠えていたのかもしれないし、何かを叩いて音を出して、波動のようなもので“伝えて”いたのかもしれないけど、だから音楽は言葉を超えていくものなんだって思えます。今はSNSによって世界中の人々と簡単に繋がることができる時代。私の音楽を聴いてドイツから『大好きです』というメッセージが届いたり、エリアを限定しなくても、もっともっと広い世界を視野に、音楽を届けることができるいい時代になっていると感じています」。
「登紀子さんとはぶつかったり、そのディレクションに困惑することもありましたが、自分の新しい引き出しを開けてもらった感覚がありました」
プロデューサー加藤登紀子はアーティスト・Yaeにどんなプロデュースをし、二人の間にはどんなやり取りがあったのだろうか。
「ぶつかってばかりでした(笑)。曲を選ぶ時も、登紀子さんの曲で歌って欲しいものを出して来て、でも私が歌いたい曲ではなかったので『それは違う、今じゃない。50年後にやります」とか言って断っていました(笑)。ひとつひとつのディレクションが独特すぎて、例えば『暗いはしけ』という曲では『Yaeは“あなた”の伝え方が下手。“愛”も下手よ」って言うんです。『それは本当に苦しい愛を経験していないからだ。だから出せないんだ』って。こちらも『そんな苦しい経験を、今このスタジオの中でできるか』って思いながらやっていました(笑)。『歌手として歌わないで』って言われて、困惑したりぶつかったりしましたが、でも新しい引き出しを開けてもらった感覚もありました。最終的に曲をセレクトしたのは自分自身なので『これはこういうふうに歌いたいんだ』という気持ちはもちろんありました。でも例えば『見上げてごらん夜の星を』のカバーでは、『下から見上げてるんじゃなくて、上から見下ろしてちょうだい」って言われ、どういうことだろう?って葛藤しましたが、後で聞いてなるほどと思ったのは、『星が降り注ぐような声が欲しかった』と。作詞の永六輔さんと登紀子さんがすごく親しかったので、作品の時代背景を知った上で、アドバイスをしてくれたのだと思います。色々な人にカバーされている曲で、登紀子さん自身もカバーしているので、Yaeはそれをどう歌うのかということを改めて伝えてくれたのだと思います」。
「その国の言葉で歌うことで、理屈ではないものが伝わるはず」
アルバムでは日本語、スペイン語、カタルーニャ語、ヘブライ語、アラビア語、英語、中国語に挑戦。まさに境界線の上に立ち美しい言葉で歌い、音楽での共鳴を祈った。
「気づいたら結果的に7か国語で歌っていた感じなんです。しゃべれるわけではないので、音楽の中だけでしゃべることができるというか、伝わる言語になっていると思います。その国の伝わっている曲だからその国の言語で歌いたかった。理屈ではないものが伝わってくるんです。でも意味もきちんと伝えたいので、登紀子さんに訳詞を書いてもらいました」。
「農業を“やっている”という感覚はあまりない」
Yaeは現在、父親の故藤本敏夫さんが開いた千葉県の「鴨川自然王国」を引き継ぎ、夫と共に3人の子供を育てながら、農業と歌手を続けている。土に触れること、自然との共生することと歌が結びついている。
「父から勧められて農業を始めたのが18年前で、それまではチャラチャラと東京暮らしをしていました(笑)。東京で野菜を買いに行って料理をするなんてこともなかったし(笑)、でも自分で育てた野菜を食べて、野菜ってこんなに美味しんだって気づいて、エネルギーが違うということを実感しました。農業を“やっている”という感覚があまりなくて。農業って実は簡単な単純作業が結構多くて、別に資格も技術も必要ないし、誰でもできて、子供も老人もできて、みんなが共有できるアクティビティだなと思っています」。
「千葉・鴨川に移住して、土に触れる生活を始めたら、全てを脱ぎ捨てることができ、本来の自分に出会えた」
東京のど真ん中で育ち、29歳の時に千葉・鴨川に移住し農業を始めたが、すぐに自分に向いていると感じたという。
「最初は作ったものを売って、生業にするという気持ちはそんなになかったし、なんでも自分のペースでできて、草取りもすごく好きな作業なんです。それは集中できるから。草取りを1日中やっていても幸せな気持ちになれるというか。土に触れて生活するようになって、体もすごく元気になったし、声も太くなりました。もちろん年齢の影響もあると思いますが、『Yaeちゃんの歌は根っこが生えて、すごく土の匂いがする』って言っていただけたり。歌手って何を表現し、人に何を伝えていくのかだと思います。私は小さい時から登紀子さんのコンサートをずっと観てきて感じるのは、お客さんは登紀子さんの歌にその人の生き様のようなものを投影させて、それで感動してくださるのだと思います。だから歌っている人がどういう人生を歩んできたかがその歌に滲み出るし、どういう人生を自分が歩むのかがすごく重要だと思います。私はその生き方が180度変わって、でも“ここ”に知らなかった自分、本来の自分がいたような気がしていて。それまではYaeという人間を纏っていたというか、偽っていたというか。でも農業を始めて、全部脱がなくちゃいけない状態になって、余計なものをどんどん脱いでいって、素になったら本当のYaeだったという感覚です」。
「食べ物も音楽も素材そのものの良さが一番大切」
土に触ることで、長い人生を考えると比較的早い段階で、本来の自分と出会うことができた。気づけた。「そこで今生きていて、本当に楽しい、ワクワクすることが多い」と充実した日々の中で丁寧にオーガニックな音楽を紡ぎ、聴き手の心を潤している。
「何か一生懸命加工しようとしたけど、結局はあるがままの姿が一番美しいし、美味しいのだと思います。それは音楽も同じで、本来のシンプルな形で見せることが、魅力的でいいものに仕上がったと評価してもらえる気がしています。それでもみんなどうしてもそれに抗いたくなって、もっと美味しくしようと色々な添加物を入れて、旨味をアップさせようとします。でも結局素材そのものの良さが一番大事ということに気づくんです」。
「土の上に生きる」コンサートで感じて欲しいこと
Yaeのそんなスローライフの中から生まれてきた歌とメロディを“感じ”に、ファンはライヴに駆け付ける。3月12日には兵庫県立芸術文化センターで“土の上に生きる”と題したコンサートを行なう。
「私たちは本来あるものを削ってしまったり、捨ててしまったりして、実はもったいないことをたくさんしているのかもしれません。それに気づいてもらえるようなコンサートになったらいいなと思います。今大阪のFM COCOLOさんで『Yaeの土の上に生きる』(毎週土曜)という番組を担当させていただいていて、今回コンサートを行なう兵庫は父の故郷でもあります。今回、登紀子さんの『土に帰る』という曲もカバーしたり、劇団ひまわりとコラボレーションもあります。25年前、私が劇団ひまわりの公演『コルチャック先生』という、ホロコーストで孤児たちと運命を共にしたポーランド人教師の物語に出演して、そこでユダヤ音楽に出会い、大きな影響を受け歌手の道を選びました。今回は自分の原点ともいえる音楽に触れることで、また何か見えてくるものがあると思っているし、皆さんにも何かを感じて欲しいです」。