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ロバート・ベリー/キース・エマーソンの魂に捧ぐ【前編】

山崎智之音楽ライター
Robert Berry / courtesy of Robert Berry

ロバート・ベリーは1980年代から現在までプログレッシヴ・ロックの最前線で活躍してきたアーティストだ。マルチ・プレイヤーとしてリーダー・プロジェクトを率いるのに加え、彼は数々のトップ・ミュージシャン達と共演、また数々のトリビュート・アルバムに名曲のカヴァーを提供してきた。

そんなロバートのライフワークといえるのが、3(スリー)だ。キース・エマーソン、カール・パーマーという元エマーソン・レイク&パーマーの実力者とのコラボレーションであるこのバンドは1988年にアルバム『スリー・トゥ・ザ・パワー』をリリース。2016年キースは亡くなってしまったが、彼の生前の曲想・アイディアを基にしてロバートが後継バンド3.2(スリー・ポイント・トゥ)として創り上げた『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』(2018)、『Third Impression』(2021/日本未発売)が発表されている。

今回のインタビュー記事は前後編の2回に分けて、3〜3.2での活動、その豊潤なアーティストとしてのキャリア、そして盟友キース・エマーソンへの想いを語ってもらった。

まず前編では3と3.2について語ってもらおう。

3.2『Third Impression』ジャケット/欧Frontiers Records
3.2『Third Impression』ジャケット/欧Frontiers Records

<「3はけっこう良いバンドだったよな」とキースが言ってきた>

●バンド“3”の成り立ちについて教えて下さい。

1986年頃、私はソロ・アーティストとして“ゲフィン・レコーズ”と関わっていた。エイジアに加入する話もあったけど、実現しなかったんだ。そのときカール・パーマーと意気投合して、新バンドを結成することになって、その準備でロンドンに1年間住んだ。一時期GTRに加入したけどすぐ辞めて、カールとまた一緒にやることにして、今度はキース・エマーソンが合流することになった。そうして3が始動したんだ。

●キースとカールがいたことで、3はエマーソン・レイク&パーマーと比較されましたが、あなたにとってそれはどんな経験でしたか?

北米ツアーのでかいステージで大観衆の前でプレイするのは快感だった。もちろん批判はあったよ。「あのロバート・ベリーという奴はグレッグ・レイクじゃない」とかね。でも当時、私は何者でもなかったし、グレッグと比較されるなんて光栄だった(笑)。「キースとカールが組んだ歴代のミュージシャンで最低」と言われたりもしたけど、「うん、それは正しいかも知れない。でも私はキース・エマーソンとカール・パーマーと一緒にステージに上がっているんだ。ざまあみろ」と答えてきたよ。2人とも「君らしくプレイして欲しい」と言ってくれた。3での経験は、私のキャリアに多大な影響を及ぼしたよ。自分らしくプレイするには、確固たるアイデンティティが必要なんだ。エマーソン・レイク&パーマーの曲をキースとカールと共演するなら、強い個性がないと、単なるグレッグのコピーになってしまう。自分のリアルな個性とは何だろう?と考えながら演奏したんだ。

●アルバム『スリー・トゥ・ザ・パワー』(1988)はどのようにして制作しましたか?

ロンドンで、3人で音楽のアイディアをキャッチボールしながら作ったんだ。キースが作曲の半分とキーボード、私が作曲のもう半分とヴォーカルを担当した。カールもリズム面でのアイディアを幾つも出している。特に「デスデ・ラ・ヴィダ」は誇りにしているよ。ただ、“寄せ集め”感があったことも事実だ。アルバムには私のソロ・プロジェクト用に書いた曲も含まれていた。もちろんこのバンドのためにアレンジしたけど、必ずしもしっくり来なかったかも知れない。それに「チェインズ」はスー・シフリンが書いた曲だけど、元々ティナ・ターナーが歌うことを前提としたものだった。

●バーズの「8マイルズ・ハイ」をカヴァーしたのは?

それは私のアイディアだった。GTRに加入する前、リッケンバッカーの3ピックアップのギターを手に入れたんだ。それをイギリスに持ってきて、アパートに置いていたけど、「8マイルズ・ハイ」を弾いてみたら、カールがえらく気に入って、アルバムに入れようと言い出したんだ。キースも「いいね。やってみよう」と言って、彼流のキーボード・パートを書いてくれた。ロジャー・マッギンの許諾を得て、歌詞も少し変えたんだ。3のスタイルにアレンジしているし、ライヴではラストに演奏して、すごく盛り上がったよ。

●3のライヴはどんなものでしたか?

『スリー・トゥ・ザ・パワー』からの曲、それから「庶民のファンファーレ」「ホーダウン」「アメリカ」などをプレイしたよ。「デスデ・ラ・ヴィダ」「8マイルズ・ハイ」はインプロヴィゼーションを交えたロング・ヴァージョンで、毎晩やっていて楽しかった。お客さんからの声援も凄かったけど、どういうわけかマスコミからはバッシングを受けたんだ。“ニセモノ”扱いをされて、アルバムのセールスも決して良くなく(全米チャート97位)結局1回ツアーをしただけで、キースは脱退してしまった。「Last Ride Into The Sun」のデモを聴かせたりしたけど、彼の決心は変わらなかったよ。それからしばらく、3の話題が出ると不機嫌になったほどだった。でも2015年、当時のライヴを収めたCD『Live Boston '88』が出ることになって、キースにも音源が送られたんだ。それを聴いた彼は私に電話してきて、「けっこう良いバンドだったよな」と言ってきた。そのとき私は、3の続きをやらないかと提案したんだ。そうして3の後継プロジェクトである3.2が生まれたんだよ。

Robert Berry / courtesy of Robert Berry
Robert Berry / courtesy of Robert Berry

<キースの精神が導いてくれた。彼の存在を感じたんだ>

●3.2としてのコンセプトはどのようなものですか?

“フロンティアーズ・レコーズ”から私は10年以上「3のセカンド・アルバムを出して欲しい」と言われてきた。音楽性についてとやかく注文はつけない、とにかく3としての新作を作って欲しいってね。私はもちろんキースと一緒にやりたかったけど、タイミングが難しかった。でも友人としてずっと付き合ってきたし、音楽のアイディアを共有するのは自然な成り行きだった。キースとは3ヶ月ぐらい作業したんだ。新曲を書き溜めてアルバムを作ろうと話し合って、“フロンティアーズ・レコーズ”からの契約金も入ったし、ツアーに出る話もあったんだ。すべてがうまく行く筈だった。でも彼は自らの命を絶って、すべてにピリオドを打ってしまったんだ。

●3.2としてのアルバム『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』はどのように完成させたのですか?

キースが亡くなったことで、アルバムの作業はすべてストップした。彼がいないのに、続ける理由を見出せなかった。それから半年ぐらい放置していたけど、キースの息子アーロンに「ワン・バイ・ワン」のトラックを送ったんだ。彼もキーボード奏者で、父親の楽曲を演奏することに興味があるかも知れないと思ってね。彼は「あまりに父親のスタイル過ぎる」と難色を示したけど、それがきっかけとなって、キースが遺した音源を聴き返すことにしたんだ。それでアルバム1枚分のマテリアルがあると気付いた。5曲ぐらいがほぼ完成して、キーボードのパートの20%が出来上がっていた。生前のキースとはじっくり話し合っていたし、アルバムのヴィジョンは明確だったんだ。発表するつもりはなく、ただ自分のために作業を続けたよ。

●2018年7月、『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』をリリースすることにしたきっかけは?

1年ぐらいかけてアルバムを作っていたけど、“フロンティアーズ・レコーズ”のセラフィノ・ペルジーノが何度も「どうなっている?ぜひ聴かせて欲しい」と訊いてきたんだ。彼は友達だし、アルバムは当初“フロンティアーズ”から出す予定だったから、とにかく聴かせてみた。「素晴らしい、世界中のリスナーに聴かせなければならない」と言われたよ。それから信頼出来る友人たちに聴かせたけど、みんな同じことを言っていた。それでリリースすることにしたんだ。でもアルバムの発売日前日になると、ビクビクしてしまった。私の真意を判ってもらえず、単にキースが亡くなったことに便乗して金儲けをしようとしていると誤解されるんじゃないかってね。本当に心配で胃が痛くなったよ。でも、反響はとてもポジティヴなものばかりで、とても嬉しかった。私はキースの素晴らしい音楽と人間性を伝えたかったんだ。 報われた瞬間だった。

●『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』にキースの演奏は使われていないのですか?

うん、キースのパートを使うことは出来なかったんだ。権利関係のことよりも、彼と私がキャッチボールしていた曲想やアイディアがデモ以前のラフなデータだったことが理由だ。データすらなくて、単なる電話のやり取りだったりもしたんだ。でもキースは全面的に曲作りに関わっていたし、彼の使っていたのと同じ機材、キーボードやモーグ・シンセサイザーを使って、彼のプレイとサウンドを再現している。彼の魂の片鱗を再現できたら嬉しいと考えているよ。スタジオで作業していて、キースだったらどう弾くだろう?どんなアレンジにするだろう?...と考えていると、彼がその場にいるような気がしてくることもあった。彼の存在を感じたんだ。キースの精神が私を導いてくれた。そうして完成したのが『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』だったんだ。

●キースが遺したトラックにはどんなものがありましたか?

キースとは多くの曲のイントロ、ヴァースとコーラスの“繋ぎ”、バッキングのコード進行などを書いたんだ。まず楽曲の大枠を完成させて、それから歌メロや歌詞、ソロなどを加えていくつもりだった。だから彼の遺したソロ・プレイはあまりに断片的で、そのまま作品として発表することが出来るものではなかった。それで彼のプレイをイメージしながら、私が弾いたんだ。

●「ワン・バイ・ワン」のイントロのピアノから壮大なキーボード・オーケストレーションへの展開は、キース・エマーソンのイズム全開ですね。

あのイントロはグリーグの曲なんだ。キースは常にクラシック音楽の一部分をモチーフとして使うのが好きだった。それらの曲を愛するのと同時に、それをリスナーと共有するのが好きだったんだ。彼は1960年代からクラシックとロックの融合を図ってきて、「やりたい曲は大体やったけど、このグリーグの曲はまだやっていないんだ」と嬉しそうに話していたよ。「ワン・バイ・ワン」ではキースが弾いた2つのピアノ・トラックを私が再現したんだ。私は8年間クラシック・ピアノ、2年間ジャズ・ピアノを学んできたし、弾くこと自体は問題がなかった。キースの運指を再現するのはかなりの難題だったけどね!

●「アワ・ボンド」はキースへのありったけの想いが込められた曲ですね。

うん、さっきも言ったけど、キースが亡くなってしばらくはアルバムを完成させるつもりがなかったんだ。でも世界中のいろんな人々からメールやメッセージをもらった。キースを個人的に知っていたみんな、知らなかったけど彼の音楽を愛していたみんなの気持ちを代弁したのが「アワ・ボンド」だった。当初はピアノの弾き語りで、Facebookのみで公開するつもりだったけど、より多くの人に共有してもらいたくて、アルバムに入れることにしたんだ。世界中にいるキースのファンのために書いたものだから、中間部に「デスデ・ラ・ヴィダ」「タルカス」「ホーダウン」「アメリカ」っぽいフレーズを挿入した。そして最後にピアノで「庶民のファンファーレ」を入れたんだ。とてもエモーショナルな曲だよ。“プログストック2019”フェスでこの曲をレイチェル・フラワーズとやったんだ。

Keith & Robert, San Francisco 26 April 2010 / courtesy of Robert Berry
Keith & Robert, San Francisco 26 April 2010 / courtesy of Robert Berry

<『Third Impression』は自分の過去にピリオドを打って、前進していくアルバム>

●アルバム『Third Impression』に収録された「Never」について教えて下さい。

「Never」はキースと私が共作した最後の曲だった。『スリー・トゥ・ザ・パワー』の「デスデ・ラ・ヴィダ」以来の名曲だと考えているよ。キースが亡くなったとき、おおよその曲調とコード進行は書いていたけど、まだ歌詞は完成していなかったし、ドラム・トラックも入っていなかった。キースのビッグなファンファーレが軸になることは明らかだったものの、未完成の9分の大曲だし、どうしていいか判らなかったんだ。それで『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』には収録しなかった。でも、『ザ・ルールズ・ハヴ・チェンジド』がアーティスティックな面でもコマーシャルな面でも成功したことで、“フロンティア−ズ・レコーズ”から「3枚目を作って欲しい」と要請された。「Never」は私にとって特別な曲だったし、すごく悩んだけど、ひとつだけ条件をつけて、もう1枚だけアルバムを出すことにしたんだ。それはキースが誇りに思ってくれて、参加することを望むような曲を私が書けた場合に限って、アルバムをレコーディングするというものだった。キースは真のアーティストだったし、とてつもなく高いハードルだということは判っていたけど、『Third Impression』はそんな条件をクリア出来たと信じているよ。「The Devil Of Liverpool」なんて、自分に書けると思っていなかったタイプの曲だった。おそらくキースが背中を押してくれたんだと思うね。「Never」の最後のB3オルガン・ソロはとてつもなく難しかった。テクニック的な難易度も高かったけど、精神的な集中度が難しかったね。自分自身をプッシュする必要があった。

●『Third Impression』は単に“「Never」+オマケ9曲”ではなく、1枚のアルバムとして高い完成度を誇っていると思います。

そう言ってもらえると嬉しいよ。「Never」はスペシャルな曲だけど、アルバムから「A Fond Farewell」「The Devil Of Liverpool」「A Bond Of Union」「Missing Piece」のビデオを作って良い反響を得ているし、全曲いずれも誇りにしている。発売の前日まで、このアルバムを出すことが本当に正しいことだろうか?と考えていたんだ。既にマスターをレコード会社に渡して、戻れないところまで来ていたけど、迷いがあった。でも、アルバムを聴いた人たちからはポジティヴなフィードバックがあった。今はこのアルバムを作って良かった、と心から思っているよ。ベストを尽くしたし、キースも誇りに思ってくれると信じている。

●「A Fond Farewell」イントロは「アメリカ」へのトリビュートでしょうか?

...君に言われるまで気づかなかったけど、確かに似ているね(笑)。偶然だとしか答えようがないけど、無意識にキースのDNAが顔を覗かせたのかも知れない。

●もうキースと共作したデモなどは存在しないのですか?

うん、残念だけどね。「Never」が最後の曲だよ。キースは素晴らしい才能を持っていたし、もっとたくさん曲を書けたら良かったと思う。でも、彼と過ごすことが出来た時間には限りがあった。今後、我々が3として行ったライヴの音源をアルバムとして発表する可能性はあるけど、新曲が発表される可能性はないよ。『Third Impression』は3、あるいは3.2名義で作る最後のアルバムだ。それと同時に、自分の過去にピリオドを打って、前進していくアルバムでもある。

●3〜3.2が終わってしまうのは残念ではありますが、あなたの新しい活動を楽しみにしています。

3を3枚のアルバムで完結させることは、バンド名からしても理に適っていたんだ。『Third Impression』は私の次のステップに向けてのイントロダクションでもある。1曲目にケルト風のアコースティック・ギターが入っているのも、ひとつの宣言なんだよ。キースの遺志を受け継ぎながら、新しい次元へと進んでいくんだ。それはリスキーかも知れないけど、アーティストとして動き続ける必要があるんだ。新しいプロジェクトで8曲を書いたところだよ。2022年にはドラマーとギタリストと一緒にアルバムを発表する。

●ライヴ活動の予定はありますか?

うん、2022年には“ロバート・ベリー3.2”名義でツアーすることになる。メンバーは実力派揃いだ。アンドリュー・コリアーは素晴らしいキーボード奏者なんだ。私がやった「悪の教典#9」でオーダン・ルーデスが弾いたパートを再現出来るんだから、いかに凄腕か判るだろ? ジミー・キーガンは元スポックス・ビアードのドラマーで、サイモン・フィリップスのパートを叩けるんだから、相当なものだよ。ポール・ケラーは1988年に3のツアー・ギタリストとして参加した実績がある。世界が元に戻ったら、ぜひ日本でもツアーしたいね。まだ日本でプレイしたことが一度もないんだ。友達が何人もいるし、キースのガールフレンドだったマリも日本人だ。キースが日本の音楽リスナーに敬意を持ち、人々を愛していたことも知っている。日本のオーディエンスのために演奏することは自分の夢だよ。

後編記事ではロバートにキース・エマーソンとの思い出、そしてプログレッシヴ・ロック・シーンでの活動について訊いてみたい。

【最新アルバム】

3.2『Third Impression』

ヨーロッパ Frontiers Records

【アーティスト公式サイト】

http://www.robertberry.com

【レコード会社公式サイト】

http://www.frontiers.it/album/5655

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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