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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その3・中京大中京)

楊順行スポーツライター
この試合から中村奨成(広陵)の記録ラッシュがスタートした(写真は決勝)(写真:岡沢克郎/アフロ)

▼第4日第1試合

広   陵 000 003 340=10

中京大中京 002 000 013=6

 中村奨成というスーパースラッガーを誕生させたのは、この中京大中京(愛知)だよ……とわけ知り顔で話す人がいた。なるほどねぇ、そういう見方もあるのか。

 どういうクジのいたずらか、準々決勝でもおかしくないような好カードが目白押しのこの日。試合開始1時間前の7時時点で、甲子園球場は超満員だった。

 広陵(広島)と中京大中京、屈指の名門同士の一戦で、先に動いたのは中京だ。2点リードの6回。先発の磯村峻平が先頭の代打・佐藤勇治を三振に打ち取ると、ちゅうちょなく香村篤史にスイッチする。中京はもともと、投手陣が充実していた。左のエースは磯村で、右が香村。ほか2人を加えた4人の投手陣は、いずれも最速が140キロを超える豪華さだ。愛知大会では、基本的に継投による6試合で7失点と、安定感は抜群だ。

 打席には、三番・中村。当然、相手投手陣の層が厚いのは承知の上で、各投手の特徴を織り込み済みである。香村はまっすぐ中心の投手。狙っていこう……。そのとおり、フルカウントからの142キロを捉えた中村の打球は、一直線に左中間スタンドに飛び込んだ。活気づいた広陵打線は、ここから加川大樹、高田誠也の長短打で逆転すると、さらに8回には中村が2ランを放つなど、逆転勝ちに成功する。

覚醒したスラッガー

 この試合で5打数4安打3打点と爆発した中村だが、広島大会では打率1割台と、湿りっぱなしだった。それが以後、1大会6ホーマーの新記録を達成するなど、記録ずくめの打棒を発揮することになる。つまり、眠っていたスラッガーを目覚めさせたのが中京大中京、というわけだ。しかも、である。U18代表にも選ばれた磯村は、中村の打席で交代するまで3安打5三振、無失点の好投だったのだ。冒頭の発言は、なぜあそこで継投なのか、磯村の続投でいいのでは……という揶揄を含んでいる。

 だが、中京大中京・高橋源一郎監督の説明は明快だ。

「広陵打線はヒットこそ出ませんでしたが、振りがシャープで、香村はいつでも継投できるよう、初回からしっかり肩を作っていたんです。そして磯村は無失点できていたとはいえ、5回あたりから球威が落ちていましたし、それはキャッチャーの鈴木(遼太郎)とも意見が一致しました。案の定6回の磯村は、代打の佐藤君に長打性の大ファウルを打たれています。そこで迎えるのが、好打者の中村君でしょう。広陵打線の中心で、彼が打つと勢いに乗ってきます。香村への交代は、なんとしても中村君を抑えたいという意図。香村本人は"イニングの頭からでも、途中でも、どちらでもいい"というので、1死を取ったところで交代しました」

 ただ中村は、「バットをしならせて打つことができる。高校生では、そうはいません」(中井哲之監督)という逸材だ。交代した香村が一発を浴びると、高橋監督が危惧したように広陵打線に火がつき、逆転負けを喫することになる。継投は、中京のゲームプラン。交代時点で、磯村の球数は87だから、フレッシュな香村への継投は理に叶っていないわけじゃない。それがたまたま裏目に出たが、「継投は、監督の問題」と高橋監督がいうように、そこは勝負である。結果として香村が中村を抑え、中京が勝利していれば、「早めの継投が絶妙だった」と評価されていたかもしれない。

 ともあれこの試合がなければ、希代のスラッガー・中村の誕生もなかったのもまた、確かなのだが。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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