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ドラフトまで1カ月。あの「松井5敬遠」投手がベタ惚れの、和製AJを見つけたぞ!

楊順行スポーツライター
堂々たる体躯の和製AJ・小竹一樹(日本橋学館大)

打球がピンポン球のように飛んでいく……というのはよく聞く表現だが、まさにそれ。右打席から放たれた白球は高く舞い上がって、左翼ポール後方の木立の中へ消え、あるいは推定120メートルほどの駐車場に停めてある車をかすめる。日本橋学館大4年の、小竹一樹。

「こうやれば打てる、というのがつかめた気がします。飛距離だけは、だれにも負けないと自慢できる」

02年、千葉県大学野球連盟に加盟した日本橋学館大。だが後発のこととて選手も思うように集まらず、しかも柏市にある大学は専用グラウンドを持たず、シニアリーグ・オール沼南のグラウンドを間借りしての練習で、3部が指定席だった。それが、11年に小竹が入学すると、12年は春秋を連覇。小竹がDH賞を獲得した秋には2部に昇格し、この春は優勝した千葉工業大と勝ち点で並んで2位と、1部昇格も視界に入ってきた。その春のリーグ、小竹は16試合で6ホーマーと、天性のアーチストぶりを発揮しつつある。

ラーメン3杯にチャーハン1升

「とにかく、パワーはべらぼうです」

というのは、大学職員として練習をサポートする河野和洋さんだ。明徳義塾高から専修大、社会人のヤマハから米独立リーグでもプレーしながら、プロ入りを目ざした。大学時代は、おもに2部とはいえ通算21ホーマーを放っており、打撃理論は卓越している。その河野さんによると、

「小竹はベンチプレスで170キロを挙げるし、雨天用のくたびれた飛ばないボールでも、弾丸ライナーで120メートルですから。中華屋に連れて行くと、ラーメン3杯のあとにチャーハン1升。イヤになります(笑)」

茨城・八千代町立東中学時代は、自分の腕に自信満々だった。軟式の公式戦終了後に練習生として参加したつくば中央シニアでは、体の大きさはもちろん、技術でも硬式経験者にヒケは取らなかった。だが、シニアの監督の子息が在学していた縁で青森山田高に進むと自信もしぼむ。

「やばいところに来た、という感じ。自分が一番上というつもりで行ったら、上級生は当然として、同期にもすごいヤツがごろごろいるんです。一時は辞めようかと思いました」

そりゃそうだ。山田といえば、近畿圏からの選手を中心に、腕に覚えのある有望株だらけなのだ。3年になって、ようやく定位置をつかみかけたと思ったら、ある試合での見逃し三振をきっかけにメンバーから外れた。結局、甲子園とは無縁である。

目覚めたのは、日本橋学館大に進んでからだ。同大学・辻井満監督の子息が青森山田にいたことがきっかけ。12年から練習のサポートを開始した河野さんは、そのときの小竹の印象をこう語る。

「最初に見たときはやや大根切りで、スイングがよくなかったんです。ただ、13年の秋からキャプテンになり、自覚が出てきたようですね。朝は4時に起きて筋トレをしたり、打ち込んだりもしているようです。その成果で、いまはトップの位置が決まり、フォームが固まりつつある。もちろん、未完成で課題も多いですが、当たればどこまでも飛んでいきますよ。小さくまとまらず、上でも通じるようにスケール大きく育ってほしい」

もともと高校時代から、地道な積み重ねは苦にしなかった。入浴時には、湯船で手首を鍛えるため、卓球のラケットが必需品だった。それが、インパクト時の手首の柔らかさにつながっている。さらにキャプテンになったことで「チームメイトにきついことをいうには、まず自分が人以上にやらなければ」と、練習量が増えた。180センチ、110キロという体格だから「課題は守備」と本人はいうが、河野さんによると「意外と俊敏で器用」らしい。その器用さはバッティングにも通じていて、春の6本のアーチは右方向3、中1、左2と広角だ。

プロでは貴重な右の大砲

「その一発で、スタジアムに自分だけの空間をつくれるのが天性のホームラン打者だと思います。インパクトの瞬間、ざわついていたスタジアムが静まりかえり、一瞬のちには、ゆうゆうとダイヤモンドを回っている。松井(秀喜)がそうでしたよね。小竹にも、そういう天性があると思います」

という河野さん。実は高校時代の92年夏、エースの故障によって背番号8で甲子園のマウンドに立っている。そう、星稜高戦で、あの松井秀喜を5打席敬遠したその人だ。

「もし投手として対戦したら、小竹はまだまだ敬遠するレベルじゃありませんけどね(笑)」

中村剛也(西武)を筆頭として、昨年ドラフト指名された井上晴哉(ロッテ)、山川穂高(西武)らのように、ぽっちゃり体型の右の大砲は近年、プロでは貴重だ。そして小竹を見ていると、だれかに似ている気がするのだが……。

「アンドリュー・ジョーンズ、とよくいわれます。大学のユニフォームも、楽天にそっくりなので……(笑)」

そうか、なるほど。ぱっちりした目、たくましい上半身、けた外れの飛距離、目の覚めるようなスイングスピード。「AJ」である。8月中旬には、そのスイングスピードが災いし、打撃練習中のファウルで左手首を骨折。主軸を欠くチームは、秋の千葉県2部で苦戦中だが、小竹はこの週末にも復帰の見通しだ。ドラフト会議まであと1カ月。プロ球団のスカウトも何人か訪れており、もしかしたら、隠れた逸材・小竹のサプライズ指名があるかもしれないぞ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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