<原発避難いじめ>の訴えを受けとめるのは“世の親”だ
東京電力福島第一原子力発電所事故で福島県から他県に避難している子どもたちに対する“いじめ”の存在が、クローズアップされてきている。
神奈川県では避難してきた子ども9人が学校でいじめをうけていたとして、避難してきている61世帯が原告となって、東京電力や国に対して賠償を求める集団訴訟を横浜地方裁判所に起こしている。そのうち母親の1人が3月8日、横浜市内で記者会見を開いた。
その母親の子は、学校で「福島県民はばかだ、奴隷だ」などと暴言を吐かれ、いじめられていたという。母親は記者会見で「つらくても一生懸命学校に通っていたのに、どうしていじめられたのか」と辛い思いを記者会見の席で述べた。
今年1月には、横浜市の教育長の発言が物議をかもした。避難してきていた小学生(当時)がいじめをうけていたうえに総額150万円も払われていた問題で、いじめがあったことは認めながらも、150万円については加害者の子どもたちが「おごってもらった」と言っていることから、「いじめという結論を導くのは疑問がある」と述べたのだ。そこには、問題を大きくしたくないとの意図が感じられる。
ともかく、原発事故から避難してきた子どもたちに対するいじめが存在しているのは事実である。訴訟があったり、母親が記者会見を開くなど、さらに実態が明らかにされていくだろう。
そうなると、ますます教育委員会は神経を尖らせることになる。いじめの舞台が学校だからだ。
ただし、効果的な対策をとれるかどうか疑問がある。前述の横浜市教育長のケースにも現れているように、教育委員会や学校には「大事にしたくない」という気持ちが強い。そのために、徹底した対策を講じるよりも「見て見ぬフリ」をしてしまいがちだ。原発避難だけでなく、学校におけるいじめ全体に、そのことはいえる。
そうした教育委員会や学校の姿勢は、当然ながら改められるべきである。自らの姿勢もふくめて根本から考えなおしていかないと、学校におけるいじめは絶対になくならない。
ただし、教育委員会や学校だけを責めてみても、問題は解決しない。教育委員会や学校の取り組みも重要だが、もっと大事なことは家庭での取り組みである。いじめの加害者の言葉は、親の意識の反映でしかない。原発避難について正しく認識し、それを子どもに伝える努力を親がしなくては、いじめを防ぐことはできない。
原発避難いじめがニュースになったり、被害者の親の訴えがあっても、「自分には無関係」「自分の子どもがいじめをするわけがない」といった認識では、知らず知らずのうちに自分の子を加害者にし、自らも加害者になってしまう。原発避難いじめに関心をもち、被害者の親の訴えに耳を傾けることは、我が子を加害者にしないための最善の策であり、こうした問題が起きないようにする、もっとも大事なことなのだ。