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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その7・神村学園)

楊順行スポーツライター
(ペイレスイメージズ/アフロ)

▼第7日第1試合 2回戦

京都成章 001 000 001=2

神村学園 000 002 001=3

 神村学園(鹿児島)にとって、5年ぶりの夏の甲子園勝利。9回2死走者なし、あとアウトひとつから京都成章・茂木健の一発で追いつかれたのが劇的なら、サヨナラの場面もなんともドラマチックだ。9回裏1死二、三塁。打席には、8回途中からリリーフした中里琉星が入る。鹿児島大会では7打数無安打。小田大介監督は代打も考えたが、

「一番の後藤(拓真)まで回るから」

 と、結局そのまま打席に送った。その際、三塁走者・田中祐大には「ゴロが転がったらスタート」のサインを出している。思い切り打つことだけを考えた中里は、5球目のスライダーにバットを当てた。平凡なサードゴロだ。ただ、勢いがなかった分、三塁手は前で捕るかどうかをためらった。

 田中祐はむろん、スタートを切っている。足がつっていたせいで本塁が遠く、いい送球ならアウトのタイミングだったが、「ぼこっ!」。後頭部に送球が当たる。セーフ、サヨナラ勝ち……。打球が弱かった分、コンマ何秒かもらった時間が生きたわけだ。

「夢中で走っていたのでよくわからなかったですけど、よかった」

 という中里には、内野安打が記録された。そう、この日の中里はラッキーボーイだった。

えっ? ボールカウント3-1から継投?

 8回、神村の守りは2死一、二塁のピンチだ。先発の青柳貴大は、そこまで4安打1失点と踏ん張ってきたが、球数が100を超え、決め球のチェンジアップが「浮き始めていた」(小田監督)。さらに、次打者に3ボール1ストライク。安易にストライクを取りにいっては狙われるし、ボールなら満塁とピンチが拡大しそうな気配だ。ここで、小田監督が動いた。リリーフに中里。打者の途中からという、むずかしい局面だ。

 ピンチでの継投。それが甲子園という大舞台とくるから、平静でいられるはずはない。しかも中里は、鹿児島大会で場数は踏んでいるとはいえ、2年生なのだ。投手心理として、救援した初球はまっすぐでストライクを取りたいものだが、相手にとってそれは百も承知。かといって、ボールならば満塁になる。さて、どうなるか……と身を乗り出すと、中里はあっけなくボールを投じ、四球で歩かせた。単打でも逆転と、ピンチが拡大したわけだ。

 だが中里は、続く代打の投手ライナーを、ジャンプして好捕。火消しに成功するのである。そして9回には同点の一発を浴びたが、その裏に自身サヨナラの内野安打だ。

「歩かせていいんだよ、といったんです」

 自ら「3-1からの投手交代は初めて」という小田監督が、中里投入の場面を解説する。

「3-1からは、リリーフ投手にはきついと思いますよ。しかも大観衆が見ている前。ですから中里には"ボールでいい、1球投げるだけでだいぶ気分が落ち着くだろうから"と。そもそも中里は好調でしたから、決断しやすかったですね」

 ナインには、オレも采配で攻めるから、お前らも攻めような、と話していた。四球を織り込みずみの中里への交代は、いわば、攻めの継投だ。その姿勢が、サヨナラ勝ちにつながった。

 神村は、明豊(大分)との次戦でも劇的な試合を演じている。3点差をつけられた9回の攻撃、2死二塁からの3連打で同点に追いついたのだ。結局延長12回、表に3点を奪いながら逆転サヨナラ負けしたものの、

「昨年の秋は鹿児島実に負けて九州大会にも出られず、その後には公立高校にも大敗したようなチームだったんです。危機感をあおるために、練習用の帽子を赤に変えたのはそのあと。"甲子園へ赤信号"という意味でした。そのチームが……よく……ここまできてくれたものです」

 と小田監督は声を詰まらせた。付け加えればこの夏、甲子園出場を決めてからは、練習用の帽子を青色に変えた。あとは進むだけ、という意味だそうだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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