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[ドラフト候補カタログ] 獅子奮迅とはこのこと。右横から150キロ! 川瀬航作(日本製鉄広畑)

楊順行スポーツライター
都市対抗の2次予選はいまがたけなわ(写真:rei125/イメージマート)

 昨年末から、思い切って立つ位置を変えた。それまでは、プレートの一塁側ぎりぎりを右足の、しかもつま先で踏み、左足を三塁方向に踏み出していた。その右足の位置を、三塁側に。つまり、ほぼプレートの幅61センチ分移動したわけだ。昨年の都市対抗。チームは出場を逃したが、川瀬航作は大阪ガスに補強された。だが救援で登板したHonda戦では、打者4人から1死も取れずに降板。候補といわれながらドラフトで指名されなかったこともあり、

「なにかを変えたい、そのきっかけに」

 と、人によっては「景色が変わるのがイヤ」でためらう"立ち位置大移動"に踏み切ったのだ。それが、功を奏した。今年最初の公式戦・岡山大会では、Honda熊本を6安打完封するなど、防御率1・20で優勝に貢献することになる。

「あの大会では、足の上げ方が自然に二段モーションぽくなり、それもハマりました」と川瀬はいう。

 立ち位置に加え、もともとインステップして上体を折り、アンダーハンドか……と思えば右横から腕を振り、150キロを投じる変則タイプ。それが、プレートの三塁側を踏むことによって、右打者にとってはスライダーがまるで背中からくるように感じられる。左に対してなら、フトコロに入ってくる球の角度がえぐいからうかつに踏み込めない。

「それでも踏み込んでくる打者への対策としては、新しく習得したカットボールが有効です」

 そのうえ、横手からは珍しいスプリットも操る。かくして岡山大会だけではなく、日本選手権の初戦でも、JFE西日本を5安打で完封。まことに「ハマった」のだ。

 JFE西日本といえば、ルーキーイヤーの2019年、初戦の先発を任された都市対抗で河野竜生[現日本ハム]と投げ合い、「相手がドラフト候補だと意識しすぎて力んだ」ため、5回途中で降板の憂き目にあった因縁の相手だ。そこでの完封には本人も手応えがあったのだろう、

「今年は、キャリアハイの成績を目ざします」

105キロから150キロに大出世

 もともと、ピッチャーとしては才能がないと思っていたらしい。なにしろ中学時代は2番手投手で、最速も105キロ程度だったのだ。だから米子松蔭高校では、内野をやりたかった。ところが当時の藤堂将行監督が「横か下から投げたら必ず伸びる」と投手としての才能を見抜くと、すぐに鳥取県内の私学大会で好投し、その気になった。

「ピッチャーをやっていなければ、プロどころか、大学も社会人も野球を続けられなかったと思います。大きな転機で、藤堂監督には感謝ですね。その高校時代は、阪神の青柳(晃洋)さんのようなアンダーハンドでしたが、球速を求めて腕の位置を上げるうちに、(京都学園)大学1年冬にいまの投げ方に落ち着きました」

 今季チームには、川瀬と同じ右横手から最速156キロを投じる前川哲が加入した。意識しますか? と聞くと、

「スピードではかなわない。コントロールや変化球の質、あるいはけん制やフィールディングなど、ピッチャーとしてのトータルで対抗していきます」

 と投手陣のリーダー、またエースとしてのプライドをのぞかせる。

 都市対抗近畿2次予選では、まさにエースにふさわしい投球だった。初戦ではクラブチームのOBC高島に不覚を取ったものの、東京ドームへはもう一戦も落とせない状況からいずれも先発で4連勝。川瀬が登板しなかった次の試合で敗れ、チームは第5代表決定トーナメントに回ったが、そこでも日本生命を相手に試合をつくり、チームは第5代表決定戦に進出した。

 初戦で手痛い負けを喫した時点ですでに、本戦出場には首の皮一枚状態だった。それが、あと1勝で東京ドームというところにこぎ着けるまで、日本製鉄広畑が戦ったのは7試合。川瀬はそのうち6試合に先発し、総イニング61回のうちゆうに半分を超える37回を投げている。その時点での防御率はなんと1.46で、まさに獅子奮迅のマウンドだったといっていい。ただ……最後の最後、NTT西日本戦では、先発して4回で3失点と力尽きた。

 それでも、チーム8試合のうち7試合で先発し、防御率は1.98。最後は2日連投、4日で3試合の力投は強く印象に残る。

「去年のドラフトは正直、(指名は)むずかしいと感じていましたが、今年は……」

 と川瀬。吉報を待つ。

かわせ・こうさく●米子松蔭高→京都学園大→日本製鉄広畑●182cm87kg●右投右打●投手

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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