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[高校野球]あの夏の記憶/歴史的ドンデン試合・2006年夏、智弁和歌山vs帝京 その2

楊順行スポーツライター
高校3年で両打ちに挑戦する杉谷拳士(帝京)を取材したことがあった(撮影/筆者)

 2006年、第88回全国高校野球選手権大会。智弁和歌山と帝京(東東京)、準々決勝第2試合の9回である。4点差を追った帝京は、2死からの6連打でミラクル逆転を果たした。打者が一巡して、ふたたび打席に入ったのが、この回先頭の代打として登場した沼田隼である。金属音がした。打球はレフトスタンドへ……1年時から期待された長距離砲の3ランだ。

 結局この回2死から8点をあげた帝京は、大逆転に成功。2万8000人の観衆が、9回としては史上最多の8得点を見届けたことになる。4点差を逆転するどころか、さらにつけた4点差に、歴戦の智弁・高嶋仁監督でさえ、「あきらめました」という8点である。

「高嶋監督という人は、ベンチ前で仁王立ちし、自信たっぷりに見えるんです。ところが9回のウチの攻撃では、それが崩れたんですよ。しきりに汗を拭いたり……よし、勝った、と」

 帝京・前田三夫監督も思った。ただ、である。代打に沼田を出すという決断で、帝京はピッチャーが底をついたのではなかったか。大田阿斗里に代打を出したことで、少なくともこの夏に登板経験のある3人は全員、すでにマウンドから下りたことになる。それでも「勝った」と思う理由はなにか。あの時点では、みなさんは知らないと思うけど……と、前田監督は明かした。

実は、投手はいたんです

「外野に入っていた勝見(亮祐)は、バッティングを生かして外野を守らせましたが、前年の夏までのエースなんです。夏前の練習試合でも投げていたし、甲子園に入ってからも毎日のようにピッチングはしていました。ですから、見ているほうは"だれが投げるんだ?"と思ったかもしれませんが、私の中では勝算があった。甲子園での実戦経験がないのは確かに不安で、事実大田を下ろすのは迷ったけど、かりにリードが1点でも、勝見ならなんとかしてくれるだろうという信頼があったんです」

 だから、ヒットで出た勝見が雨森達也のタイムリーで生還すると、すかさずブルペンに走らせたのだ。つまり、大田に代打を出すことに逡巡はしたが、次に勝見を投げさせることに迷いはなかった。しかし、9回裏……当の勝見は、満を持して、というわけではないだろう。なにしろ甲子園初登板で、歴史的な大逆転を遂げたその裏、しかも相手は強力な智弁打線。思い切り腕を振れ、というには気の毒だ。球速こそ140キロに達しても、ストライクが入らない。上羽清継、広井亮介、連続四球。ストライクは9球のうち1球だけだ。そして、四番・橋本良平になんとかワンボールワンストライクとしてからの3球目。ストライクを取るのがやっとなら、ストレートしかない。「甘くきたら、とにかくフルスイング」と待つ橋本に、そのまっすぐがおあつらえ向きに甘く入った。フルスイング。左中間スタンドへ着弾。4点あった帝京の貯金が、わずか1点となる3ランだ。

 ランナーがいなくなったのは、むしろすっきりした。仕切り直し……前田監督は、それでも勝見に託した。もともと、点差はどうあれ勝見でいくつもりだった。それが、1点差になっただけじゃないか。ただし……続く亀田健人を3ボール1ストライクから歩かせると、さすがに見切りをつけざるをえない。だれに放らせるべきか。塩沢佑太? 中村晃(現ソフトバンク)? いずれも投手経験はあるが、ケガのため春からピッチングをさせていない。岡野裕也という3年生もいるが、力的にはちょっと落ちる。それなら……と指名したのが、杉谷拳士(現日本ハム)だった。練習試合では、イキのいいタマを投げている。だが、いかに“クソ度胸”男とはいえ1年生だ。腕が縮み、松隈利道の初球にぶつけてしまう。表情もこわばっている。交代だ。

1球勝利・1球敗戦の珍記録も

 無死一、二塁。1点リードしているはずの帝京が、心理的には追い込まれたこの状況でマウンドに立ったのは、岡野だ。七番・馬場一平、レフトフライでようやく1死。しかし続く代打・青石裕斗がセンターにはじき返して同点とすると、もう岡野に踏ん張る気力は残っていない。試合の行方を見届けようと固唾をのむスタンドの重圧か、楠本諒にはストレートの四球。さらに古宮克人にはフルカウントまでこぎつけたものの、日常の打撃練習から160キロを見慣れた目に最後は余裕を持って見きわめられ、13点目が智弁に入った。サヨナラ押し出し四球……両軍合計で29安打、25得点のハデな空中戦は、こうして幕を閉じた。5点をあげての逆転サヨナラ勝ちは、夏の大会史上初めて。しかも、その表に8点を取られているなんて、もう二度とない試合かもしれない。1試合両チーム合計本塁打7、智弁の1試合チーム本塁打5という大会新記録もおまけについた。

 試合後、さすがに高嶋仁監督の声も震えていた。「選手たちには“勝ちたかったらランナーをためろ”といいましたが、まさか現実になるとは……選手たちの“負けない”という気持ちが、勝たせたのでしょう」。前田監督は、「ピッチャーが1枚足りないというのは結果論。9回の粘り、つなぎにはびっくりしました。悔しさより、満足感のほうが大きい」。そして、ともに全国優勝3回の名将はこう、口をそろえた。「こんな試合は、長い監督人生で初めて」。

 前田監督には後日、あらためて訊いた。試合終了後に語ったように、本当に満足だったのか。悔しくはなかったか。

「あの晩は、眠れなかったよ。勝負としては、あんなに悔しいゲームはありません。だけど、甲子園をうならせ、喜ばせるゲームができたことには満足しています。あの試合のあと、3年生ばかりじゃなく1、2年生も土を集め始めたんです。するとね、(大田)阿斗里が、“拾うな!”と大声で怒鳴り飛ばした。2年生以下に対して、もうここに来ないつもりか、という意味。泣き虫で、弱っちかったヤツがですよ。その成長がねぇ……僕はうれしかったな」

 冒頭、「今年の甲子園は、おもしろかったでしょう」という前田監督の最初の問いかけに、ここで答えておく。文句なく、おもしろかった。ちなみに……智弁と帝京の一戦では、救援した初球に死球を与えた杉谷が敗戦投手。智弁は、9回2死からマウンドに上がった松本利樹がこれも1球で勝利投手になっている。同じ試合での1球勝利、1球敗戦というのは、プロ野球にもないこれも史上初の記録だった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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