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【富田林市】「近頃の若い奴は」と言わせなかった、昭和の高校生による発掘成果!大阪大谷大学博物館で展示

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

年配者が気に入らぬ若者に対して使う言葉に「近頃の若い奴は」というのがありますね。この言葉は調べると、なんと5000年前から使われていたそうです。古代エジプトや古代ギリシャなどの古文書でも、当時の高齢者が若者に対して使っていたという記載が出てきます。

そんな古くからある言葉を打ち返す特別展が、大阪大谷博物館で始まりました。

1960年代から70年代にかけての、当時の高校生が考古学の部活で発掘したものを展示しているのです。

大阪大谷大学博物館の特別展示は無料で、基本的に内部撮影も可能です。

展示室の様子です。

入り口近くにこの展示会についてのあいさつ文が貼ってありました。高度経済成長で宅地開発が行なわれたために多くの遺跡が失われたが、一部残ったものもある。それは当時の高校生が所属していた「考古学系クラブ」での自主的な調査結果によるものという内容です。

これは高校生たちが署名運動をしてまで遺跡の保存を訴えたという当時の新聞記事です。こんなことがあったんですね。

新聞記事の切り抜きも保存されていて、当時の高校生たちの熱意が伝わります。特に「平古墳」守ろうという記事は、まさに「近頃の若い奴はと言わせない」を連想しました。

宅建業者の言いなりになったという当時の富田林市の妥協案に対して、河南高校の生徒が「許せない」と、署名運動始めようとした記事です。

高校生の活動の結果、市にとって大切な宅地開発が妨害されそうだということで、当時の市の関係者が勝手に妥協案を出したように思えました。

勝手に許可をしたことを「無責任行政」として高校生が署名活動を起こしたのは、まさに「近頃の若い奴はと言わせない」ための活動だったのではないでしょうか?

新聞記事の切り抜きを読むと、当時の高校生がとてもアクティブに活動していたことがうかがえます。1970(昭和45)年のころの活動で、当時は学生運動が盛んだった時代というのも影響しているのかもしれません。

結果的に平遺跡は消滅したそうですが、当時の河南高校の活動は文化財としての遺跡の重要性を行政に認識させたことにつながりました。

次の展示では、各高校の展示物が紹介されています。最初は富田林高校(現:富田林中学校・高等学校)です。

縄文時代前期の錦織遺跡から発掘されたものが展示されています。ほぼ完全なものが高校生の手で発掘されたのですね。すごい!

説明版によると、排水溝設置工事がきっかけで遺跡が見つかったとのこと。高校生が拾い集めて京都市の平安博物館(現:京都文化博物館別館)で復原(もとの状態へ戻す)されました。

これが復原された深鉢形縄文土器で、縄文時代前期に作られました。

土器のほかにも石斧など多くの発見がありました。

そして今回の特別展示は、高校生が発見した土器などの遺跡だけではありません。

当時の高校生が発掘した際に残した記録も展示されています。

当時の考古学系クラブに属した時の写真などの展示もあります。博物館の人の話では当時の富田林では考古学専門の人がいなかったそうで、高校生の活躍で大きな成果があったとのこと。

市内にある遺跡の分布状況を記録したもの
市内にある遺跡の分布状況を記録したもの

現在は市の文化財課など考古学の専門家がいるため、富田林の高校で部活としての考古学は行われていないそうです。

さらに遺跡の様子を測定して、わかりやすく図面にしたものもありました。

次は河南高校です。冒頭に紹介した「平古墳」の開発から守ろうと主体的に活動した考古学クラブがありました。北野耕平神戸商船大学助教授(当時)が富田林在住だったために、高校生に力添えを行ったことも活動が活発になったきっかけと紹介されています。

そして河南高校は、新堂廃寺の遺跡を発見しました。

また藤井寺市と柏原市にまたがる船橋遺跡からは人面墨描土器(じんめんぼくしょどき)を発見しています。墨で土器に人の顔を描いたもので、確かにはっきり土器に人の顔が描いているのが見えます。

船橋遺跡は大和川と石川が合流する当たりの西側にある遺跡で、1704年に大和川が付け替えられた結果、表面の土が流されて遺物が露出しました。それを高校生が採集したのです。

こちらはサヌカイト原石です。サヌカイトと言えば二上山ですが、説明にも二上山で採集したものではと仮定しています。

また藤井寺市にある古墳時代中期の古墳(方墳)だった野中古墳から出土したものも展示していますが、これらは模造品です。

発掘採集だけでなく、古墳を1000分の1のサイズで復元した作品もあります。

そして、出土品以上に気になったのが出土品備品カードです。

出土品ひとつひとつの特徴やいつごろのものであるかを写真付きで記録したカード集です。これは本当に貴重な財産ですね。

次はお隣の狭山高校です。考古系クラブ創立時には校内の校舎建設に伴う発掘調査が行なわれたそうです。詳しい情報がわからなかったので、ご存じの方からの情報提供を求めていました。

大阪狭山市と言えば狭山池や狭山藩の陣屋跡などが真っ先に浮かびますが、富田林同様に遺跡も数多くあったことが分布図で分かります。

狭山高校の発掘したものも展示してあります。

最後は泉大津高等学校です。ここは現在でも考古学クラブが健在とのこと。

弥生文化博物館そばにある池上曽根史跡公園
弥生文化博物館そばにある池上曽根史跡公園

すぐ近くに弥生文化博物館があり、活動の手助けを行っているそうです。

トレイに多くの遺跡が積まれています。

泉大津高校地歴部は、池上曽根遺跡のほか、和泉市にある信太千塚古墳群、大阪南部にあった日本最大級の須恵器生産地だった胸邑(すえむら)古墳群の探索で大きな成果を上げたとのこと。

また岸和田市にある摩湯山古墳の遺跡でも活動しています。

泉大津高校地歴部は現存する考古学系クラブなので、展示内容も豊富です。

こちら摩湯山古墳で出土した鰭付円筒埴輪(ひれつきえんとうはにわ)です。

大とんだばやし展の展示物
大とんだばやし展の展示物

前回、大阪大谷大学博物館では「大とんだばやし展」で、喜志南遺跡から大王墓級の発見があったということで、大きな発掘品が展示していましたね。

見比べていないので気のせいかもしれませんが、それと同じくらいの大きさのように見えました。いずれにしても高校生が発見したと考えるとすごいですね。

会場内はいろいろな展示物があって、飽きません。

そして古墳の縮尺模型がここでも展示してありました。

発掘品のほか、部活で記録した資料も多く保存しています。

新聞の切り抜きをスクラップにしたものです。いずれも貴重な資料ばかり。

泉大津高校が関わった遺跡も、富田林の平古墳のように保存運動があった古墳が多くあり、消滅したものもあったそうですが、記録が残されたことで資料価値がとても高いとのこと。

こちらはまとめです。博物館の人も言われた通り、プロの考古学者が遺跡発掘調査を実施するようになって、以前のような発掘活動ができなくなったことが考古学系クラブの廃部につながったとのこと。

その一方で、それらの文化財は、保存保護が図られてから次への継承が必要だとのこと。とはいえ、子どもたちが文化財を触れる機会を増やすなど、新しい接点を模索する時期に来ているということでまとめられています。

また大阪大谷大学博物館では、かつて考古学系クラブで活動していた皆さんからの情報提供を募っています。当時のお話などを聴かせてほしいとのことで、関係ある方はこの機会にぜひ同博物館に連絡してみてください。

そして明日、10月5日土曜日14時から博物館講座が行われます。

  • 高校の歴史クラブが考古学に果たしたもの(平島将史氏)
  • 河南考古学クラブの活動 平遺跡の保存運動と遺跡分布調査(竹谷俊夫氏)

大阪大谷大学博物館令和6年度秋季特別展「部活で発掘!部活で考古!」〜郷土を愛した高校生たち~は、11月16日まで開催しています。休館日は毎週日曜日のほか、土曜日などで休みがあります。上記画像のカレンダーを参考にしてください。

大阪大谷大学博物館(外部リンク)

住所:大阪府富田林市錦織北3丁目11番1号
電話番号: 0721-24-1039

開館時間:10:00~16:00

展示期間:4月8日から6月29日

アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩10分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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