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男性作家が描き、男女が入れ替わって演じる「妊娠・出産」の物語『丘の上、ねむのき産婦人科』

中本千晶演劇ジャーナリスト
photo by bozzo(記事内写真)

 この作品、観劇後の感想がついつい「自分語り」になりがちなのだそうだ。だから、もしかすると努めて冷静にまとめたつもりの以下の公演評にも、本当は「自分語り」したくてたまらない私個人の思いが漏れ出てしまっているに違いない。そのことを最初に断っておきたい。

 劇団DULL-COLORED POP『丘の上、ねむのき産婦人科』は妊娠・出産にまつわる7つのエピソードがオムニバス形式で描かれる作品だ。身重な体で激務をこなそうとするキャリア女性、つわりの苦しさをわかってもらえない妻、「産むべきか」悩む若いカップル、そして、不妊治療に多額のお金と時間を投じる夫婦、などが登場する。

 脚本・演出は谷賢一。7つのエピソードは谷が約30名の男女に取材してまとめたものだ。とかく女性の問題として考えられがちな妊娠・出産というテーマに、男性である谷が挑むこと。これが、この作品の見どころのひとつである。

 そしてもうひとつ、面白いのはこの公演、男優が男性役を、女優が女性役を演じるAパターンと、男女が入れ替わって男優が女性役を、女優が男性役を演じるBパターンの2つがあることだ。

 そうと聞いて私がまず確保したのがBパターンのチケットだった。なにせ当方、宝塚歌劇を専門とし、歌舞伎も時々観るから、演じる上で性を飛び越えることにはまったく抵抗がない。それに、異色の試みとしてのBパターンの方にやはり興味を惹かれた。だが、その後「いやいや『普通』のパターンも見ておくべきでしょ」と考え直し、念のためAパターンのチケットも取ったのだった。

男女入れ替えBパターンへの違和感!?

 8月27日、まずは男女入れ替えで演じるBパターンを観る。客席に座ると、何やらいつにない「圧」を感じる。何故だろうと思って周囲を見渡すと、客席に若い男性が多いのだ。カップルの姿も目についた。

 Bパターンから受けた印象をひとことで言うと、男女それぞれが、自分から見える相手の性の姿を描いている絵のようだった。「男から見た女」と「女から見た男」が行き交う舞台。そして私は、さらに遠くから「その絵」を客観的に眺めている感覚である。

 「女が演じる男」たちはあっさりマイルドで優しくて、そしてどこか人ごとに見えた。男性が見たらもしかすると「俺たち、もうちょっと真剣に色々考えているんだけどなあ」と突っ込まれるかもしれない、そんな感じがした。

 逆に「男が演じる女」はやけに熱く激しい。女性である自分から見ると「ええっ!? そこまで? そんなふうに見えているんだ」と、引いてしまうほどである。

 やはり「妊娠・出産」が自分ごとなのは女性だけなのだ。男性はどこまで行っても他人事から抜け出せないのかもしれない、などと考え込んでしまう。男と女がいかに分かり合えないものなのか、その間がいかに高い壁で隔てられているかを改めて突きつけられただけのような気もした。

 ここで断っておくが、これは異なる性を演じること自体への違和感ではなかったと思う。むしろ「男はがさつで荒っぽい」「女はなよっとしている」といった表面的なイメージに囚われないアプローチでの演技には好感を持ったぐらいだ。

 しかし終演後は、正直いうとモヤモヤした感覚から抜け出せなかった。確かに貴重な体験ではあったけれど、役に共感したり、作品世界に入り込んだりといった演劇の醍醐味は味わえた気がしなかった。

Aパターンの方が素直に笑えた

 モヤモヤとBパターンを観終えた私は、「念のため」に取ったはずの翌日のAパターンが待ち遠しくて仕方がなくなった。そして、Aパターンでようやくこの作品全体を深くきちんと味わうことができた気がした。

 Bパターンを見たときは、この作品の上半分だけ、海に浮かぶ氷山に例えるなら、海上で目に見えている部分だけを見ているような感じだった。それがAパターンを見ると、水面下に隠れている部分も全てを感じ取れたような気がしたのだ。

 妊娠・出産というシーンで露呈するのは男と女がそれぞれに持つ、愚かでエゴイスティックな部分だ。これを別の性が演じるのはやはり難しいような気がした。別の性からすると、それは批判し断罪したくなる部分でもあるから、どうしても見せ方が厳しく、痛々しくなってしまうのかもしれないと思う。

 しかし、同じ性の役を演じるときは、そんな愚かさやエゴも自分の一部ということで理解できるし、許し、受け止めることができる。そこに可笑しみが生まれる。「バカみたいだよね。でも、それが人間だよね」という感じである。したがって、Aパターンの方が素直に笑うことができた。

 一番違うなと思ったのは第6場「ペーパームーン」だ。妻が妊娠したところで、コロナ禍で二人とも在宅勤務になってしまった夫婦のある日を描く。他のエピソードに比べて設定自体が日常的なこともあり、Bパターンを見たときはなんとなく退屈に感じられた。ところが、Aパターンではとんでもなく面白かったのだ。

 「子どもを持つ」ことについて全然実感がなく、わかろうと必死なのだけど的はずれなことばかり言ってしまう夫、その温度差に呆れつつも優しく忍耐強く受け止める妻。その二人のやりとりが微笑ましく、そして愛おしい。

 妊娠・出産に向き合うときの心のありようは、男性も女性も、とても繊細で深淵なものなのだということを改めて感じたのだった。

女たちの「壁」はもっと厄介かもしれない

 妊娠・出産という問題には、これまで述べてきたような「男」と「女」の壁の他に、もうひとつの壁がある。それは、子どもを「持った女」と「持たない女」の壁だ。男性である谷賢一氏があえてこのテーマを取り上げる意味は、この壁を乗り越えるためにもあったように思う。

 出産適齢期を過ぎた女性は否応なくふたつのグループに分かれてしまうものだ。ひとつは「子どもを持った女性」、そしてもうひとつは「子どもを持たなかった女性」だ。むろん後者には、持ちたくても持てなかった人もいれば、自ら持たない選択をした人もいる。

 2つのグループは、男女と同じぐらい、いや、それ以上に分かり合えない。何故なら、少なくとも夫婦や恋人たちはお互いをわかり合おうと努力するが、子どもを持つ女性と持たない女性がわかり合おうと努力しなければならない機会はほぼ存在しないからだ。

 そして女性にとって、この問題はあまりに身近なので、どこまでも「自分ごと」としてしか語ることができないのではないかと思う。たとえば「子どもを持たなかった」グループに属する私は、妊娠・出産体験についての文章なんて恐れ多くて一生書くことはできないだろう。

 ところが男性である谷氏の場合、少し距離がある分、フラットでいられるのではないか。だから、さまざまな立場の女性たちを丹念に取材し、このようなオムニバス形式の作品を生み出すことができたのではないかと思う。

 この作品には、子どもを産まない選択をしたカップル、持てないカップル、そして持つべきか迷うカップルが登場する。自身の経験とは違うけれど、やはり私はこの3つの話に登場する女性たちの気持ちには寄り添える。「ああ、わかるわかる!」と頷きながら観ることができる。

 いっぽう妊婦が登場する4つの話の女性たちに対しては、ただただ畏敬の念を抱くばかりだ。子育てに奮闘している友だちを見ていて「大変なのだろうな」と思いつつ、本当の大変さは私には一生わからないのだろうという寂しさがつきまとってきた。その「大変さ」の実態をのぞかせてもらえた、その意味でこちらのグループの話は私にとっては、演劇ならではの未知の世界へのいざないだった。

 おそらく、子どもを持つ女性がこの作品を観たときには逆の新たな発見があるだろうし、そうあって欲しいという思いもある。

 以上、ここまでを書いたところで、9月5日夜に開催されたアフタートークにてさまざまな感想が紹介されているのを聞き、私が抱いた感想は多数派でもなんでもないと思い知らされた。

 私と逆でBパターンの方がしっくりきたという人、Bパターンの方が笑えたという人もたくさんいた。もしかすると、両パターンに対する私の受け止め方は、私自身が「男女がわかり合うこと」に対する諦めに支配されていることの現れなのかもしれない。Bパターンをもっと素直に受け止められる柔らかい心を取り戻したいと思った。

 また、世代によっても経験によっても、それぞれのエピソードから受ける印象が全く違うのだということもわかった。当たり前のことだが、若い世代の人たちが「不妊治療があれほど大変だとは」「そこまで子どもを持ちたい気持ちがよくわからない」と言っていたのが、逆に新鮮に思えた。

 ちなみにこの作品、「出産費用がどのくらいかかるのか?」「ブライダルチェックとは何をするのか?」から「不妊治療にはどのような段階があって、費用はどれほどかかるのか?」まで、妊娠・出産にまつわるお役立ち情報も具体的に提示してくれる。劇場で見かけた若いカップルたちもたくさん勉強して帰ったことだろう。

 「妊娠・出産」は全ての人にとって共通の経験だ。誰しも「子どもを持つ」か「子どもを持たない」か、どちらかの道を必ず通るはずだからだ(「持たない」道もまた、経験の一種である)。それなのに、この件について人は驚くほどに全然わかりあっていない。フランクに語り合うこともない。

 この作品を観て、それを改めて痛感した。そして、観た後に語り合うことが、そんな分断を解消するための貴重な機会になりそうだと思った(公演は終わってしまったが、興味を持たれた方は配信をご覧ください)。

 今、しみじみ湧き上がってくる感情は、7つのエピソードに登場するすべてのカップルに対する「愛おしさ」である。

 人は、基本的に他人のことなど絶対に理解できない。だからこそ「わかりあう難しさ」を自覚することが大事なのだと思う。「私はあなたのことなど、わかっていないのだ」というところからスタートする、そして、自分と違う経験をした人、違う考え方の人の話に謙虚に耳を傾ける、それが、優しく懐の深い世の中への第一歩ではないかという気がする。

★公演情報★

城崎試演会 城崎国際アートセンター

8月1日・2日

東京公演 下北沢ザ・スズナリ

8月11日〜29日

大阪公演 in→dependent theatre 2nd

9月1日〜5日

※オンライン配信 8月27日〜9月26日

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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