「30-30」はないが、シーズン30本塁打と30盗塁をどちらも記録した選手。長嶋と衣笠は各2度以上
同じシーズンに30本塁打以上と30盗塁以上の「30-30」は、12人が計18度達成している。簑田浩二が2度(1980年と1983年)、秋山幸二が3度(1987年と1989~90年)、東京ヤクルト・スワローズの山田哲人は4度(2015~16年と2018~19年)。あとの9人は1度ずつだ。
この他に、30-30はないものの、シーズン30本塁打以上とシーズン30盗塁以上をどちらも記録したことのある選手を調べたところ、5人が見つかった。意外に少ない気がするが、もしかすると見落としているのだろうか(そうであれば、教えてください)。ちなみに、読売ジャイアンツの丸佳浩は、30本塁打以上が1度、30盗塁以上はなし。広島東洋カープ時代の2018年に39本のホームランを打ったが、シーズン盗塁は2013年の29が最多だ。
30-30の達成者12人と、別々のシーズンに30本塁打以上と30盗塁以上をそれぞれ記録した5人は、以下のとおり。
後者の5人のうち、長嶋茂雄と衣笠祥雄は、30本塁打以上と30盗塁以上を、どちらも2度以上記録している。2人とも、30本塁打以上が5度、30盗塁以上は2度だ。30-30を達成した12人のなかに、それぞれ3度以上の選手は、秋山(9度と3度)と山田(5度と4度)しかいない。
長嶋は、一軍1年目の1958年に29本塁打&37盗塁を記録した。そこに、幻のホームランを含めると、30-30となる。9月19日に打ったボールは外野のフェンスを越えたが、一塁を踏まなかったとして、アウトになった。衣笠は、2年続けて25-25。1976年の26本塁打&31盗塁に続き、翌年は25本塁打&28盗塁を記録した。ただ、30本塁打以上の5シーズンは、いずれも20盗塁に届かなかった。
一方、小鶴誠と真弓明信は、30本塁打以上も30盗塁以上も1度ずつ。30-30の達成者は、少なくともどちらかを2度以上記録している。12人のなかで最少の井口資仁は、30本塁打以上が1度と30盗塁以上が2度だ。
1950年の小鶴は、51本塁打&28盗塁を記録したが、シーズン25本塁打以上はこの年しかなかった。次いで多いのは、この前年と翌年の各24本塁打。他の年は20本未満だった。1950年は、「ラビット・ボール」の使用と2リーグ制のスタートが影響しているのか、別当薫と岩本義行が30-30を達成したのに加え、小鶴よりも30-30に近い、「あと1」の選手も2人いた。青田昇と川上哲治が、それぞれ、33本塁打&29盗塁と29本塁打&34盗塁を記録した。
真弓は、ホームランと盗塁の数がまったく逆の1978年(8本塁打&34盗塁)と1985年(34本塁打&8盗塁)の間、1979~84年に、6シーズン続けてどちらも二桁を記録した。スピード→スピード&パワー→パワーというキャリアの変遷は、緒方孝市や30-30を2度達成した松井稼頭央も、だいたい共通する。
近年のパワー&スピード(ホームラン&盗塁)については、こちらで書いた。