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「さまよえる靖国」戦争の真実と和解(7)最後の日本兵

木村正人在英国際ジャーナリスト

16日、91歳で亡くなった「最後の日本兵」小野田寛郎(ひろお)さんの評伝は英国でも大きく掲載された。英BBC放送のウェブサイトでは一時、一番読まれたニュースになった。

英紙タイムズも英紙デーリー・テレグラフも日本の新聞以上に詳細に、「たった1人の戦争」を30年近くも継続した小野田さんの数奇な人生を報じている。

第二次大戦で戦った日本の最後の兵士に対する英国の関心は現代の日本以上に強い。英紙の評伝は、小野田さんの生き様から武人の名誉と恥の文化に固くしばられた戦前の日本を描きだす。

小野田は、母から「もし降伏するようなことがあれば勘当する」という言葉とともに手渡された切腹用の短刀を持ち続けていた。母は帰還した息子に言った。「よくやりました。誇りに思います。私の最後の言葉を覚えていて、約束を守ったのね」(タイムズ紙)

大戦後も多くの動乱、紛争、戦争に介入してきた英国では、愚かだった政治指導者を揶揄する人はいても、最前線で命を投げ出してきた兵士に敬意を払わない人はいない。

小野田さんは帰還後、日本で起きた金属バット殺人事件に驚き、子供たちを対象にした野外教室「小野田自然塾」を開く。

「これに似た事件は他にもたくさんありました。(子供たちを)助けるために何かしなければならないと決意しました」「コンクリートに囲まれ、清潔すぎる環境は子供を弱くする」「人々は自己中心的に、エゴイスティックになりました。人は1人で生きているのではありません。他者のことを決して忘れてはなりません」(タイムズ紙)

そして、BBCは「帰還した日本では戦争に関するすべてのことが否定的に見られていました。私は戦中・戦前とはまったく違う環境の中で生きたくなかったのです」とブラジル移住の理由を語る小野田さんのインタビューを流した。

小野田さんは2001年、靖国神社で海外メディアのインタビューに応じている。

「日本では戦地に赴くとき、死ぬ覚悟ができている」「それが絶対的な前提条件です。捕虜になるのは最悪のことです。日本は恥に基づく文化と表現することが可能かもしれません。恥の文化が、これだけ狭い場所で多くの人びとが暮らす日本の社会を支えているのだと私は思います。フィリピン・ルバング島では失敗と見られることを望んでいませんでした。だから最後まで私の名誉を守り、使命を遂行したのです」(デーリー・テレグラフ紙)

戦争はそれぞれの国民を感情的にするが、英国メディアは客観的に小野田さんの死をかなり詳細に報じている。評伝には「憎しみ」は感じられず、降伏することを拒否した兵士への敬意すら漂う。

英国は1066年、フランスのノルマンディ公がイングランドを征服して以来、他国の侵略をことごとく退けてきた。戦争の記録は大英帝国戦争博物館に残されている。

現代の日本人は小野田さんの死に何を思ったのだろう。戦後日本の平和と繁栄は、小野田さんをはじめ、第二次大戦を戦った戦没者約310万人と兵士の犠牲の上に成り立っている。

ジャングルの中で戦い続けた30年近くの歳月を埋めようと、帰還後、人の倍のスピードで働いたという小野田さん。安らかにお眠り下さい。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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