日本の「履歴書」は差別的? 政府が新モデルを提示。国際比較も
3月から履歴書やエントリシートの提出が解禁となり、就職活動が本格化している。そんな中、4月16日に厚生労働省が性別欄に男女の選択肢を設けず記載は任意とする「様式例」を発表したことが大きなニュースとなっている。国が履歴書の様式例を公式に示すことは日本では初めてのこととなる。
この動きの背景には、私も代表を務めているNPO法人POSSEと法律上の性別と現在暮らしている性別が異なる「トランスジェンダー」の当事者らが広く「性差別の是正」を目指して取り組んできた社会運動があった。
同団体は昨年2月末からオンライン署名サイト「Change.org」で「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」というキャンペーンを開始行っており、それに応答する形で今回厚労省が様式例を出した形となった。
これまでの日本の履歴書は、性別、写真、年齢、配偶者の有無など具体的な個人情報を問う欄が多くあり、性、民族、年齢、容姿等での就職差別につながっている。それらは、世界的には問うこと自体が違法行為・人権侵害だと理解されている。
本記事では、国際的な履歴書の状況も踏まえ、履歴書性別欄の問題について考えていきたい。
そもそも履歴書に性別欄はなぜあるのか?
まず、大前提として、日本の法律でもすでに男女の採用差別は禁止されている。「男性だから採用する、女性は採用しない」と性別を採用の判断に用いることは男女雇用機会均等法で禁じられているのだ。
そうであれば、性別欄は「不要」であるばかりか、この法律を実効的にするために、すでに廃止されていてもおかしくはない。ところが、性別欄は今でも温存されている。その理由は、企業に「必要」とされているからだ。
採用差別の研究では、企業側は女性の結婚・出産に伴う退職によって、教育訓練投資が損失を被ることや、生理による「労働効率」の損失を嫌い、女性採用を控える傾向があることがわかっている。今日ではすべての企業が該当するわけではないが、こうした「差別の論理」が企業社会に根強く、採用前に性別を知りたがる企業が多いのである。
また、ケアワークなど、「女性らしさ」が求められる職場では、男性も就労可能であるにもかかわらず、女性を優先的に採用しようとする傾向もみられる。
こうしたことも、男女雇用機会均等法に照らせば、本来は「差別行為」となり、禁止の対象である。しかし、性別欄がある限り、会社側は実質的に男女を選んで採用することができてしまう(差別の意図を求職者が証明することは不可能に近い)。
問題は、こうした男女の「採用差別」が、いまだに日本社会に横行しているということだ。だからこそ、「性別欄」は企業側に重宝されてきた。
「トランスジェンダー」への差別・人権侵害
性別欄は男女の採用差別につながるだけではない。特に性別記入欄があることによって困難を抱えるのは、法律上の性別と現在暮らしている性別が異なる「トランスジェンダー」の求職者たちである。
「トランスジェンダー」とは、社会的に割り当てられた「男性」・「女性」といった性差と自分自身の性自認が異なることを意味する。例えば、「トランスジェンダー男性」は、「女性」として生まれたものの、性自認は「男性」である。
トランスジェンダー男性の場合、「名前」は「~~子」のような女性名でも、外見は男性であるために、履歴書と外見が異なるという状況に陥ってしまう。
その結果、性別欄の記入がそのまま、求職者がセクシャル・マイノリティであることを強制的に「カミングアウト」させることになる。セクシャルマイノリティーの中には周囲に自分がそうであることを明かしていない人も多い。
強制的な「カミングアウト」は、当事者にとって、極めて重大な内心への侵害行為であり、「アウティング」とよばれる「人権侵害行為」として理解されている。
つまり、性別欄を設けていること自体が、求職者への「人権侵害」につながってしまっている現状があるのだ。
実際に、トランスジェンダーの約9割が就職活動の際に困難を感じたという、NPO法人「ReBit(リビット)」による調査もある。
また、面接中に性別欄への記入を要求され、その場で書くしかなかったという事実を訴える当事者も多い。性別欄のない履歴書を提出すると、「常識的に考えてありえない」と受け取りを拒否されることもある。
さらには、履歴書に現在暮らしている性別を書いた場合にも、後に戸籍上の性別が判明し、内定切りされてしまった事例もある(もちろん、性別を理由に内定切りすることは違法である可能性がある)。
当事者にとって「カミングアウト」は極めて重大な行為であり、「アウティング」が人権侵害行為である以上、上に見たような就職上の困難は、決して看過できない問題だ。
6月1日に施行された「パワハラ防止法」でも、「アウティング」はパワーハラスメントとみなされ、防止策の策定や啓発活動、アウティングが起こってしまった際の再発防止対策などが企業へ義務付けられている。
このように、履歴書の「性別欄」は、男女の雇用差別に加え、トランスジェンダーへの差別問題を抱えているために、日本でも廃止が求められていた。
性差別をなくす社会キャンペーン「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」
以上のような問題を受けて、NPO法人POSSEでは昨年2月に「性別欄廃止」を求める署名(「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」)をスタートし、たった4ヶ月ほどで1万名を超えるという大きな反響があった。現在は13000筆を超えている。
そして、私たちは署名を集めると同時に、関係省庁や履歴書の規格を決めている団体、大手履歴書メーカーなどへ署名の提出と申し入れを繰り返してきたが、その結果、経済産業省は、日本の履歴書のモデルを提示している日本規格協会(JIS規格)へ行政指導を行い、性別欄は廃止する流れとなった。
さらに、性別欄だけでなく、年齢や写真等の欄も含む「履歴書」の例示がJIS規格から全て消えるという大きな動きにつながっていった。削除への経緯について同協会のHP上では、次のように述べている。
さらに、履歴書メーカー最大手のコクヨ株式会社もPOSSEの要請に対して、「性別欄のない履歴書」を販売することを回答し、実際に昨年末には性別欄のない履歴書の販売を開始するに至った(「性別欄のない履歴書を発売 多様な個性の尊重を求めるお客様の声に対応 」)。
当事者からの訴えが支援団体によって大きな声となり、民間の履歴書メーカーが履歴書に性別欄を設ける根拠がなくなり、実際に性別欄のない履歴書が広がり始めていたのである。
ところが、次に問題となったのは、日本社会の中で参照になる「履歴書の様式例」が存在しなくなっていたことだ。そこで、POSSEは、並行して厚労省に対して差別のない「履歴書の様式例」を作成するよう求めていた。それが、冒頭の新しい履歴書の様式例が作成された経緯だった。
新しい様式例の課題
今回の新しい様式例の提示は、就職差別をなくしていくための「一歩前進」だと言えるだろう。とはいえ、次のような問題が残されている。
まず、この様式では性別回答を「任意」としているため、未記載時や、性的マイノリティであることを記載した際に不利益が生じるおそれは払しょくされていない。求職者に性別を書かせない/性別欄をエントリーシートなどで設けないといった積極的な対応を行い、差別是正を打ち出していくべきである。
また、上記のような不安を求職者に抱かせてしまう心理的負担があることあることも指摘しなければならない。
こうした課題に対しては、すでに当事者から不安の声が寄せられており、POSSEをはじめとした支援者・支援団体は引き続き政府に改善を要請している予定だ。
性別・写真・年齢等個人的属性を問わない世界の履歴書
今回の履歴書の性別欄を任意記載とする厚労省の様式例に対しては、肯定的な意見ばかりではなく、否定的な意見も多く寄せられている。ところが、海外に目を転じてみると、日本の動きはまだまだ緩慢だといえそうだ。
例えば、アメリカやカナダ、韓国などでは履歴書で性別や写真、年齢等の個人的属性を問うこと自体が、差別禁止の観点から法的に禁止されている。また、近年では氏名から個人的属性が類推されることを防ぐため、氏名自体も伏せる「匿名履歴書」の導入さえ進んでいる国もある。
さらに、履歴書だけでなく、履歴書提出後の面接においても同様に、個人的属性を問うことが禁止されている国も多い。
つまり、採用過程(履歴書並びに面接など)では差別につながるため求職者の個人的属性を問うことが徹底的に排除される流れが世界的なスタンダードであり、求職者が「何者であるか」ではなく「何ができるのか」という技能をもとに採用の可否を決めるということが「当たり前」となっているのである。
実際に、POSSEと厚労省との交渉の過程で国立国会図書館から出された「世界の履歴書に関する調査報告」によれば、各国の実情は以下の通りだ。
①アメリカ
アメリカは、採用時に求められる個人情報が少ない国だ。アメリカでは「差別禁止法」によって、履歴書で性別、生年月日、婚姻状況や家族構成、顔写真などを求めることは違法とされている。 国の雇用機会均等委員会(EEIC)のサイトには、履歴書や面接で尋ねることが不適切な事項として、人種・肌の色・性別(性自認・性的指向、妊娠を含む。)、出身国、年齢、宗教、祖先に関する情報、所属する団体等が挙げられている。また、写真を求めることもすべきでないとされている。
②カナダ
カナダも求められる個人情報が少ない国だ。2017年には、氏名やその他の個人情報を匿名化した採用に関する予備的調査として、「匿名履歴書」が使用された例もある。また、履歴書の項目を規制する法律として、「カナダ人権法」は、人種、出身国または出身民族、肌の色、宗教、年齢、性別、性的指向、性自認または性表現、婚姻状況、遺伝的特質、障害、犯罪による有罪歴などを明示または暗示した履歴書の使用や、書面や口頭での質問を差別行為と規定している。
③イギリス
イギリスも上記2カ国と同様に問われる個人情報が少ない国であり、すでに「匿名履歴書」に近い形が一般化しているという。政府のウェブサイトでは、履歴書や面接で尋ねてはいけない個人情報として、年齢、婚姻、妊娠・母親であるか否か、障害、人種(肌の色、出身国、民族的出自含む)、宗教・信条、性別、性的指向などが挙げられている。さらに、2015年には官公庁が氏名を匿名化した採用方法を導入し、国営企業や主要な民間企業でも、氏名を匿名化した採用が広がってきている。
④ドイツ
ドイツでは、2010年に氏名、性別、年齢等の項目を削除し、職業能力だけを記載する「匿名履歴書」を使用する実験が行われ、それが移民や女性が書類選考を通過する機会を増やし差別克服に効果があるという結果が出ており、匿名履歴書を使い続けている企業や自治体もある。
⑤韓国
韓国では、2017年から公共機関において、履歴書に性別、年齢、出身地、家族関係、学歴、身体的条件(身長、体重、容貌、写真添付を含む)などの情報を記載せず、面接においてもこれらを問うことをしない「ブラインド採用」が義務化された。そして、2019年からは常時30人以上を雇っている民間企業にもこの「ブラインド採用」が義務付けられた。なお、そもそもそれらが義務化される以前から「ブラインド使用」を取り入れていた民間企業は増加傾向にあった。
あらゆる差別をなくすために
以上のように、世界的な人権規範に照らし合わせると、日本の履歴書含む採用過程がいかに差別的であり「遅れたもの」なのかがわかるだろう。もちろん、今回国が初めて履歴書における性別欄への記載を任意であるとは一歩前進ではある。
就職差別の是正への取り組みは、トランスジェンダーに限らず、就職活動をするあらゆる労働者に関わる問題だ。 今回の取り組みがさらに進み、履歴書から性別や年齢、写真がなくなれば、性別や年齢、民族、容姿などによって就職差別をされることがない社会へ大きな前進となる。
POSSEをはじめ、マイノリティの労働問題や、改善の取り組む団体が今、広がりを見せている。今回の成果によって、そうした「人権擁護」のボランティア活動への参加がますます増えることを期待している。
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