【JAZZ】たなかりかは意外に知られていない
話題のジャズの(あるいはジャズ的な)アルバムを取り上げて、成り立ちや聴きどころなどを解説。今回は、たなかりか『フラワーズ・フォー・ブロッサム』。
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いささか扇情的なタイトルで申し訳ないのだけれど、どうも世間ではたなかりかのスゴさがあまり浸透していないようなので、あえて言葉を選んでみた。
大学を卒業し、働きながら歌を始めた彼女。2001年の「神戸ジャズボーカルクイーンコンテスト」で準グランプリをとると、プロに転向する。
2004年にファースト・アルバム『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』をリリース。ボクが大阪のライヴハウスで彼女の歌う姿を目撃したのはそのちょっと前のことだった。
大阪のライヴハウスに出ているヴォーカリストは(東京よりも)テクニックがあって、観衆を魅了する人が多い、という噂がまことしやかに流れていて、ボクも冗談交じりに「ほんまかいなぁ……」とエセ関西弁でつぶやきながらライヴハウスに足を運んだのだけれど、彼女の歌を間近で聴いて、絶句してしまった。「こりゃ、噂はホントだったぞ」と。
もちろん、関西のヴォーカリスト云々はあくまでも噂の域を出ず、ボクがたなかりかのステージに出逢えたことをセレンディピティと呼ばなければならないのはいうまでもない。
ジャズ・ヴォーカルの定義から外れるという意味
さて、ようやくたなかりかのスゴさを語るための前置きが終わったところだけれど、結論から言えば、アメリカを含めていま世界でジャズ・ヴォーカルと名乗って活動をしている人のなかで、定期的にアルバムをリリースできているのはほんの一握りしかいない。その一握りにたなかりかは入っているということなのだ。しかも日本のメジャー契約で。
2009年に『カラーズ』をポニーキャニオンからリリース。2011年には『ホエン・シー・フローズ』、2012年には『ジャパニーズ・ソングブック』と、しっかりジャズ史に残る活動を継続させている。
前作『ジャパニーズ・ソングブック』は、Jポップを多めに取り上げてジャズ・アレンジを施しながら日本語で歌うというものだったため、ジャズ・ヴォーカルの原理主義者には「たなかりかはジャズの魂を売ってしまった」と思われていたかもしれないが(笑)、聴いてもらえば説明するまでもなく“たなかりかのジャズ”を踏襲している。
“たなかりかのジャズ”とはどういうものなのか
日本におけるジャズ・ヴォーカルの系譜はいくつかある。とくに、ビリー・ホリデイを“名誉横綱”に祀りエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエを至上とするアフリカン主義と、エンタテインメント業界を主導してきたブロンド&ハリウッド系は拮抗していて、ジャズ・ヴォーカルのイメージを二分しているとも言える。
それだけに、その枠から外れた個性の場合、認められにくいという弊害を生んでいる。
だからといって、2大イメージのどちらかに属せば安泰なのかといえば、フォロアーを抜け出す努力が必要とされるために、有利とは言えない。
さらに、いまの世の中、ジャズだけ聴いて育っているわけじゃない。
ジャズのプライオリティが低い環境のなかでジャズを選ぶという、ねじれた時代である。
つまり、ジャズ・ヴォーカルを語るには、2極化を軸とするのも、「ジャズだけ」と限定するのも、意味が薄れているということだ。
話をたなかりかに戻そう。
彼女も平成の日本に育ち、“いまどき”のジャズ・ヴォーカリストだ。
それはすなわち、アフリカン・アメリカンの系譜にも、ハリウッドの系譜にも、もちろんJポップのジャズ・カヴァー担当的なポジションにも属さない、いや属すべきではないことを意味している。
そこで、ブロッサム・ディアリーである。
たなかりかがブロッサム・ディアリーを選ぶ心理
本作のモチーフにブロッサム・ディアリーを用いようとしたのは、たなかりかのかなり強い意志だったようだ。日本語のJポップのジャズ・カヴァーという意欲的な“敵地遠征”をみごとにやり遂げたあと、本拠地であるジャズに戻るにあたって選んだのが、1950〜60年代のアメリカのヒット・チャートを賑わせたこの歌姫。
1924年にニューヨークで生まれたブロッサム・ディアリーは、20歳になるころにはすでに有名なジャズ楽団のコーラスとして活動するなど、その歌の才能を発揮。30歳になるちょっと前にフランスへ移り、コーラス・グループを結成してブレイク。
それを耳にしたアメリカの有名プロデューサーが声を掛けて、アメリカでソロデビューを果たしたという経緯のヴォーカリスト。
少し舌っ足らずな、幼い女の子のような声と歌い方に特徴があり、それが彼女の魅力になっていた。
たなかりかがブロッサム・ディアリーをモチーフに選んだのは、ディアリーのジャズ・シンガーとしての技量を評価したからというのはもちろん、彼女のスタンスを自分に重ね合わせるところが多かったことも理由の上位にありそうだ。
2極化されていたアメリカのヴォーカル・シーンから距離を置きながら、ヨーロッパとアメリカを股に掛けて活躍したそのヴーカリストとしての立ち位置が、フィールドや既成概念にとらわれずに歌へフォーカスしようとする考え方に重なり合うところがあるように思う。
ジャズのなかで歌おうとする歌い手が多いなか、ジャズを広げることのできる才能はなかなか出てきてくれない。だからこそ、世界でも続けて作品を残しているジャズ・シンガーは数えるほどしかいないのだ。
そのひとりがここにいることを、もう少し大きな声で言わなければいけないと思わせてくれたのが、この『フラワーズ・フォー・ブロッサム』だった。