【ハッケン!土浦まち歩き】土浦城の縄張りを歩くその5~そこは歴史の扉!? 小学校と中学校に残る史跡
土浦城の縄張りを巡りながらハッケンを楽しむ散策もいよいよ最後。かつて土浦城の正門であった大手門、そして土浦城南端に築かれた南門の跡地を見て回ります。また、最後に土浦出身のイラストエッセイスト、かえるかわる子さんによる亀城公園を中心とした「土浦まちあるきMAP」もお届けします。
土浦小学校に復元された土浦城の正門「大手門の跡」
土浦城址(亀城公園)を出て、正門であった大手門の跡地へと向かいます。
「この先に大手門の跡があります」と、案内役である土浦市立博物館の学芸員・西口正隆さんが指しているのは、高麗門から続く道を左折したところにある丁字路。右側に見える柵は公立の小学校(土浦小学校)のもの。見渡すかぎり、お城の名残らしき建物は見つかりませんが、いったいどこにあるのでしょう。
目的地はなんと小学校の一部となっていました。こちらは大手門をイメージして造られた門。土浦城の正門だった場所です。
今回のまち歩きの必需品である土浦城周辺の町を描いた「復刻 土浦城絵図―常陸国新治郡土浦城図―」(土浦市立博物館)によると、大手門は間口が小さく、中に入ると大きな空間が広がる造りになっています。
西口さん:大手門は「内桝形(うちますがた)」といって、外側が単層の門、内側が櫓門という造りでした。1873年(明治6年)に土浦城としての機能が終焉を迎えるとともに取り壊されてしまいましたが、単層門をくぐると中は約20メートル四方の空間になっていて、周囲は二重の土塁と水堀が巡らされていました。
土浦城本丸(亀城公園)で櫓門を見学したときに西口さんより「この形を覚えておいてくださいね」と言われていたのですが、それは大手門の内側に築かれた門がこの櫓門と同じ形をしていたことにありました。
大手門側に敵が攻めてきたときには単層門から入った後に、櫓門の2階部分から攻撃を仕掛けることのできる造りです。まさに袋のねずみ。門ごとに形が異なり、攻め入るのが難しい城であったことが容易に想像できます。
大手門の手前の道は、土浦の城下町に見られる「食い違い」になっています。車社会の現代では走りづらい道路のひとつですが、当時は敵が侵攻しにくい道だったのです。
大手門の跡は、土浦市が指定する史跡のひとつです。土浦小学校の正門の脇に石碑と解説がありますのでぜひご覧になってみてください。
主要街道沿いに設けられた全国的にも珍しい防御施設
土浦城の縄張り巡りの最後は、南門の跡地です。
土浦城から南門へと向かう道中はやはり大きく湾曲しています。大町側から城の縄張りに攻め入られたときにはこの急カーブが防御のひとつになっていました。
現代では歩道であり、駐車場になっている場所あたりが南門のあった場所です。土浦駅方面からつくば市へ向かう車窓から見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
駐車場の柵の部分には南門跡についての案内板が掲げられています。
案内板によるとこの辺りが土浦城の南端にあたり、正面には川が流れていました。
こちらが川が流れていたという場所。上に高架道が設けられていますが、市民にとってはおなじみの道路が昔は川だったのです。川には橋が掛けられ、大町と城下町をつないでいました。
大町側には防御施設のひとつである「馬出(うまだし)」がありました。「馬出」は、北門の跡を見学したときにもご紹介しましたが、城の出入り口に設けられる曲輪(くるわ)のこと。
北門の馬出は、突き当たっては曲がり、また突き当たっては曲がるというS字型をしていますが、南門は「角馬出(かくうまだし)」という四角い造り。
大町側から敵が攻めてきたときにこの馬出に入ると、目の前には壁があって、左右のどちらかに分かれなければ進めません。
西口さん:先ほどの大手門など、一般的には城下から城内へ入る箇所に設けられるものなのですが、南門や北門に見られるS字型の馬出は主要街道である水戸街道に設置されていました。これは全国的にも珍しいものです。
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城を守るため、そして土浦に住まう町人を守るために、常識にとらわれることなく、あの手この手の防御が張り巡らされていました。そのおかげで今があることを思うと、先人たちの努力と知恵に感謝の想いが募ります。
土浦第一中学校にも復元された江戸時代後期の「赤門」
南門跡からスタート地点の土浦城址に戻る途中に地元の人々には「一中(いっちゅう)」と呼び親しまれる土浦市立土浦第一中学校があります。
この中学校の側面には土浦市が指定する建造物があるのをご存じでしょうか?
こちらが市指定建造物の「郁文館(いくぶんかん)の正門」。郁文館の開校当初は土浦城内に学び舎があったのですが、第十代藩主の土屋寅直によって現在の中学校のある場所に移して新築。
1935年(昭和10年)に取り壊されましたが、正門だけがこの地に復元をして残されることになりました。
西口さん:郁文館は、文館と武館の2つの学び舎がありました。文館は読み書きを学ぶ校舎で、武館は武道を学ぶ校舎。学者としてもその名を知られる藤森弘庵(ふじもり こうあん)や剣客の達人であった島田虎之介(しまだ とらのすけ)などが指導を行っていました。
木造りの堅牢な門扉を眺めていると、明るい未来を夢見ながら袴姿で学び舎へと通う人たちの姿が目に浮かぶようです。
土浦城の藩主は基本的には江戸を拠点に業務にあたっていましたが、江戸から土浦へ戻るときには藩士たちが稽古に励む様子や真剣に学ぶ姿を覗いては、激励の言葉を贈っていたのかもしれません。
「矢口新聞」のかえるかわる子さんが描く土浦まちあるきMAP
土浦出身のイラストエッセイスト・かえるかわる子さんの母校は、今回ご紹介した土浦小学校、そして土浦第一中学校。土浦まちあるきMAPをテーマにした「矢口新聞」では、亀城公園を中心におすすめスポットが紹介されています。かえるかわる子さんならではの視点、感覚で記されたコメントは必見です!
上記のほか、かえるかわる子さんの作品が数多く展示した「土浦で生まれてよかった 矢口新聞」展が土浦市民ギャラリーで9月25日まで開催されています。
<土浦で生まれてよかった 矢口新聞展>
期間:2022年8月20日(土)~9月25日(日)
※月曜日休館(ただし9月19日(祝)は開館)
開館時間:10:00~18:00
会場:土浦市民ギャラリー(展示ギャラリー全室)
茨城県土浦市大和町1-1 アルカス土浦1階 MAP
入場料:無料
<かえるかわる子さん>
茨城県土浦市在住のイラストレーター。絵も字も構成もすべて自身で手がけるイラストエッセイ「矢口新聞」を発行中。2020年第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)入選。2011年3月11日(東日本大震災)をきっかけに「一度きりの人生、心の奥から本当にやりたいことをやろう」と、長年勤めた会社を退職。当時はネット、TV中毒であったが、現在は携帯・PC・TVを持たない、見ない生活を送り、日々を楽しく過ごしている。