【スピードスケート】髙木美帆が語った五輪メダル7個の“原点”
北京五輪が閉幕した。日本が獲得したメダルは金3個、銀6個、銅9個、合計18個。冬季五輪では史上最多メダルだった。その中で最も多くのメダルを手にしたのが、スピードスケートの髙木美帆だ。
女子1000mの金を筆頭に、女子500m、女子1500m、女子チームパシュートで銀メダルを獲得した。
中学3年生で2010年にバンクーバー五輪に初出場。日本体育大学1年生だった2014年のソチ五輪はまさかの代表落ちを味わったが、そこから立ち上がり、2018年平昌五輪には中長距離のエースとして、金(女子チームパシュート)銀(女子1500m)銅(女子1000m)メダルを獲得するという大活躍を見せた。
北京五輪では連覇を狙った女子チームパシュートで姉の菜那が転倒する悲運があり、惜しくも銀メダルにとどまったが、様式美すら感じさせる「世界一美しい隊列」「一糸乱れぬワンライン」はいまやすっかり日本のお家芸だ。世界の強豪国に研究される立場でもある。
■「私の中で変わるきっかけになったレース」
閉会式を夜に控えた2月20日、女子チームパシュートの銀メダルメンバー3人(髙木美帆、髙木菜那、佐藤綾乃)が北京市内のメインメディアセンターで記者会見を行った。その中で、「これまでに印象に残っているチームパシュートのレースは?」という質問への答えで、髙木が自らの“原点”となるレースがあったことを明かした。
「チームパシュートではこれまでもいろいろな感情が詰まったレースが多くありました」
考えを巡らせながら髙木はひとつのレースを挙げた。
「私の中で変わるきっかけになったレースというと、印象に残っているのは初めて世界距離別選手権で勝ったレースです」
■2015年2月、オランダでの世界距離別選手権で初優勝
2015年2月12日から15日までオランダ・ヘーレンフェーンで行われたスピードスケート世界距離別選手権の女子チームパシュートで、日本は初の金メダルに輝いた。
当時大学2年生だった髙木は、他のメンバーがその後もワールドカップ転戦のために欧州に残っている中、1人だけ帰国し、成田空港で取材に応じた。2014-2015シーズンの髙木は、前年のソチ五輪シーズンの不調から徐々に抜け出しつつある状態だった。
「君が代が流れるというのはこういう気持ちなんだと初めて感じました。何とも言えない感動がありました」
髙木は喜びを語りながら、「私が代表しているみたいな感じで取材されていいんですかね」と照れくさそうでもあった。
五輪はトーナメント方式で戦うが、世界距離別選手権は8カ国が2チームずつ4組に分かれて滑り、タイムを競う方式だった。髙木美帆、髙木菜那、菊池彩花の3選手でチームを組んだ日本は、第3組でポーランドと同走し、3分1秒53の好タイムをマーク。これが最終第4組で滑った地元オランダチームへのプレッシャーとなった。最初から飛ばさなければ日本を上回れないと考えたオランダは入りの1周をハイスピードで回ったが、それによって終盤に失速。100分の2秒差で日本の優勝が決まった。
「オランダがベストならまだ自分たちの力では及ばないと思う。でも、何が起こるかわからない楽しさはあるし、勝てるということは分かった」
そしてこう続けた。
「3年後の平昌で頂点を取れるようにやっていきたい」
■スケート連盟が重点強化した種目
日本にとって女子チームパシュートは、2010年バンクーバー五輪で小平奈緒、田畑真紀、穂積雅子が銀メダルを獲得している得意種目だった。日本スケート連盟はメダル獲得が有望なこの種目を2012年から組織的に強化することを決定し、チームパシュート合宿を導入した。美帆も菜那も菊池も当時から合宿に参加していた。
スケート連盟はソチ五輪で4位とメダルを逃したことを受け、ソチ五輪後の2014年7月から各所属を離れてナショナルチームとして練習するシステムを導入。その1シーズン目の金メダルを獲得だった。
その3年後、2018年平昌五輪で悲願の金メダルに輝いた時、髙木は「あそこ(2015年世界距離別選手権)が始まりだった。あのレースがあったからこそ、世界でも勝つことができるんだという思いが芽生えた。それから一番力を入れて練習してきたのはパシュートだった」と感慨深そうに語っていた。
チームパシュートで世界の頂点を本気で目指すことは、個人種目での成長を促すことにもなり、髙木は平昌五輪で女子1500m銀、女子1000mの銅メダルを手にした。
それから4年。北京五輪では佐藤綾乃が女子1500m4位、女子マススタート8位と個人2種目で入賞を果たし、「チームパシュートがあったから速くなることができた」と語った。
■「そこが私の中での始まりだった」
北京五輪の会見で髙木は感慨深そうに7年前のレースを思い出していた。
「私たちの中で『チームパシュートでいくんだ』『私たちでも勝てるんだ』と思ったのが、オランダでオランダに勝ったあの瞬間だった。あのときも選手間で、誰がどう行くのがベストなのかを話した。そこが私の中での始まりだったのかなと今でも心の中に残っている」
五輪のメダル7個を持つスーパーヒロインは、自らの原点を再確認して北京での戦いを終えた。