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今週末、どこ行く? 「ひとり温泉」に”絶対外さない宿!” ひとり1泊1万円代の名湯で、風邪治る――。

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
山梨県深雪温泉に掲示してあるパネル(撮影・筆者)

山梨県深雪温泉

温泉蒸気料理&”完熟の湯”で風邪が治った!

今年(2024年)に入り、そのトイの宿――念願の深雪温泉「完熟の湯」に予約を入れて再訪した。

「完熟の湯」というネーミング、なにやらやけに意味深げではないか。

どう、完熟した湯なのだろう???

そもそも温泉の表記に「完熟」を使うのは、面白い。

さらに、である。

玄関に吊るされた提灯にあった「完熟の湯」という文字が記憶から消え去ることがなかったのだ。

太い墨文字で、でっぷりと見えるが、筆さばきは俊敏。とにかく存在感あふれる文字だったのである。

源泉を流すトイといい、湯名の文字といい、外観からは宿のオーナーのお湯への自信が誇示されている。

山梨県深雪温泉のちょうちん(撮影・筆者)
山梨県深雪温泉のちょうちん(撮影・筆者)

しかし、である。

再訪の2日前から風邪をひいてしまった。高熱という程ではないが、微妙な体調不良で、当日を迎えた。

冬の晴れ渡る空を眺めながらも、いまひとつ本調子でない。今日は「完熟の湯」を愉しめるだろうか、身体がお湯に負けてしまわないだろうか、不安を抱えながら特急「かいじ」に乗った。

チェックインの15時に宿に入ると、いわゆる小規模な温泉旅館といったところか。

1階に「完熟の湯」と「ももの湯」「ぶどうの湯」がある。通路には著名な方のサインが入った色紙が掲げられており、山田洋次監督からレミオロメン、純烈、徳永英明と続く。この人たちも「完熟の湯」に惹かれて来たのだろうか。

お湯のホンモノ感を見極める際の、私なりの基準がある。

・深夜も入れる。ただ24時間ではなく、掃除により入れない時間もある。

・HPにお湯についての解説がある。それも長く、くどいほどに。

・温泉を料理に使おうとしている。泉質によっては使いにくいものもあるが。

 深雪温泉はそれら全てをクリアしていた。ちなみに自社Webサイトには、お湯をこう誇っている。

「自家源泉【完熟の湯】は1分間に1,415リットル(ドラム缶7本分)の湧出量。敷地内からポンプアップ無しで自然湧出する新鮮な自噴源泉を各浴槽に直接配管し、循環・加熱・加水・塩素滅菌一切なしの完全放流式。深雪温泉は【完熟の湯】100%源泉かけ流しを堪能出来る宿です。湯船からドバドバと流れる源泉は圧巻!溢れだした湯は川の様で、目で肌で本物の掛け流し源泉を体感出来ます。肌に優しいアルカリ性の柔かな湯はカラン・シャワーにも利用していますので、あがり湯を浴びても源泉の効果が保てます。玄関先では源泉を汲んで持ち帰る事も出来ますので是非お試し下さい。」

このくどさこそ自信の表れ! 期待で胸が高鳴る。

客室で浴衣に着替えて、「完熟の湯」へと向かう。エレベーターはないため、3階の客室から下りていく。

「完の湯」湧出量573/リットル、泉温50.8度、水素イオン濃度PH8・23

「熟の湯」湧出量842/リットル、泉温36.0度、水素イオン濃度PH8・50

この2本を混合すると、人が入る適温となり、「完熟の湯」が出来上がるのだと浴場に表記されていた。

「完熟の湯」の露天風呂には白木の枕木があり、そこに両腕をかけて、湯船に浮かぶ。湯温は40度程だろうか、外の涼しい風があいまって、熱すぎず、ぬる過ぎず、ちょうど良い。

ただただお湯の中に身を任せてゆらゆらと。20分ほどを過ごす。徐々に身体から力が抜けていく。ほどけてゆく。

部屋に戻ると夕食の時間。

温泉を使用した料理、やっぱりありましたよ。それは温泉の蒸し豆腐。モロッコで食べたタジン鍋の器を使って、豆腐を温泉で蒸してある。特に温泉の香りはしなかったが(この日、体調不良のため匂いに鈍感だった可能性もあり)、オーナーのお湯への心意気を感じながらいただいた。

満腹で動きが緩慢になりながらも、今度は「ももの湯」に入りに行った。露天風呂に枕木はなかったが、湯船の縁に頭を置いて、やはり身体を浮遊させた。

身体がゆらゆらとお湯に揺れる。その度に、何かが抜けていった。それは風邪の菌なのか、コリなのか、心にあった毒なのか、何が流れ出たかは定かではない。ただ身体を困らせていた何かが抜けていったことが実感でき、それが得も言われぬ快感であった。

この晩は、読もうと楽しみに持参した小説『成瀬は天下を取りにいく』を開く間もなく、21時にはコトンと眠りに落ちた。

深夜に寝覚めて、時計を見ると1時だった。お手洗いに立とうとしたが、背中が布団にくっついて離れない。マジックテープで留められているかのようで、そしてその強力なマジックテープは剥がされることはなかったため、そのまま眠り続けることにした。寝ても寝ても、眠れた。

ホンモノの温泉に入ると、こういう経験がままある。腑抜けにされてしまうのだ。自力で動けない時が流れる。

これを私は「強制的脱力」と呼ぶ。

朝6時に目覚めた。風邪が抜け、完全復活を自覚した。

さ、目覚めの風呂だ。

湯から上がった後は、朝食まで『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社)をめくり始めた。ぐんぐんページが進む。小気味良い文章が心地よく、読み心地が爽快。飄々としている風に描かれているが、その言動は凛々しい主人公・成瀬と、成瀬に憧れる控えめな島崎。中学生2人のキャラクターのコンビネーションが絶妙で、物語は快調に進み、あっという間に読み終えた。蒼い青春が匂い立つ小説に触れ、気持ちが若返る。

ホンモノの温泉と若さ溢れる小説で、風邪、完治!

※この記事は2024年9月6日に発売された自著『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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