【昭和100年】「旅館の女将さんって、お母さんのような存在」 温泉宿の真髄を表現した昭和あの名監督
NHKラジオ第一で、「山崎まゆみのぷ~く、ぷく。。。」という冠番組を持たせてもらっていた時期がある。二時間の生放送で、電話をつないで温泉地から旬の情報を届けてもら い、珍しい海外の温泉を話題にし、ゲストに温泉を語ってもらうコーナーで構成された温泉三昧の番組だ。
「転校生」(昭和五十七年)から始まる尾道三部作や数多の名作で知られる映画監督の大林宣彦さんにゲストでご出演していただいたのは、平成二十五(二〇一三)年二月二十一 日のこと。
冒頭の温泉観から魅了された。
「温泉は好きを通り越していますね。 でもね、温泉グルメやお湯の質、建物がいいというのではなくてね、私にとっては 『人』なんです。 温泉は基本的に旅館でしょ。隣の人とあまり関わらないホテルと違って、温泉はひとつ の家族、隣にいる人とも同じお湯に入って、親しくなっちゃう。旅館の女将さんって、お母さんのような存在で、そういう『人』に出会うのが温泉の楽しみなんです」
撮影で度々温泉地を使うが、脚本を書くために大分県由布院温泉(由布市)に一週間ほ ど逗留することもあるという。
「僕はね、シナリオを二~三行書いては、お風呂に入ったりします。お湯をさっと全身に 浴びると、気持ちがいい方にぽんと変わるんです。温泉は我がこわもとが癒やされる場所」と語ってくださった。
「こわもとが癒やされる」とは、心身ともに強張りが取れると いう温泉の真髄を大林監督流に表現したのだろう。
「人間は、ひとつのことを考えすぎると、こだわりすぎる。こだわると、体がちぢこまっ て、変な人間になってしまいます。 ふっとお湯を浴びると、自然界に戻って深呼吸ができて、僕も自然の中の一部なんだな と思う。自然と一体となることで、優しさを学ぶということです」
大林監督の潤いのある低い声で、かみしめるようにゆったりと発せられる言葉の数々は、 聴いているだけで心がほころんだ。
監督の存在そのものが温泉のように感じられたから、この日の大林監督の様子を、「私は監督のお隣に座っていますがほかほかとして、まるでスタジオに温かいお湯が溢れ ているようです」とリスナーに伝えると、大林監督は少し強い口調で返した。
「本当の僕は強面の人間なのかもしれません。寒風ふきすさぶなかで生きているのかもしれないし、だから温泉に憧れるのかもしれない。 心があたたかい人に憧れるから、そういう人から吸収しようとするから、それで温泉の ようになってきているのかなと思う」 映画を撮ることに命を削る厳しい一面を垣間見て、心を打たれた。
生放送が終わり、大林監督をお見送りに廊下へ出た時に、「放送中に話した由布院の宿 はね、『玉の湯』ですよ」と教えてくださった。
公共の電波のNHKでは温泉地は語れても、宣伝になってしまうという理由で固有の旅館名は明かせない。だから帰りがけに、そっと耳打ちしてくれたのだ。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。