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山田風太郎『柳生忍法帖』を宝塚歌劇で。礼真琴が柳生十兵衛として息づく

中本千晶演劇ジャーナリスト
画像制作:Yahoo! JAPAN

 山田風太郎の『柳生忍法帖』がタカラヅカで舞台化されると聞き、さっそく原作小説を読んでみた。女たちによる仇討ちストーリーは新鮮だし、何といってもこれを助ける柳生十兵衛が魅力的だ。だが、「会津七本槍」の残虐な殺戮や、悪虐藩主が女色に溺れるさまの過激な描写は、読んでいてきつい。これをタカラヅカでやるのか? できるのか?

 期待と一抹の不安の中で迎えた初日、タカラヅカ版『柳生忍法帖』は「清く正しく美しく」に相応しからぬ要素を見事に抜き取り、明るく健全な世界観でまとめ上げられていた。とはいえ展開はあくまで原作に忠実で、テンポよく進むのが小気味良い。

 江戸時代のはじめの物語である。会津藩の忠臣・堀主水(美稀千種)らは女色に耽る暗愚な藩主・加藤明成(輝咲玲央)を見限って出奔するが、「会津七本槍」に捕縛され処刑される。さらに「七本槍」は、残された女たちを匿う尼寺・東慶寺にまで押入る。

 堀一族の7人の女たちは夫や父の仇を打つことを誓い、千姫(白妙なつ)はこれを彼女たちの力でやり遂げさせようと決意する。千姫の相談を受けた沢庵和尚(天寿光希)が女たちの指南役として推薦したのが、隻眼の天才剣士・柳生十兵衛(礼真琴)だった。

 じつは会津藩で実権を握るのは、かつて会津を支配した芦名一族の末裔、107歳といわれる芦名銅伯(愛月ひかる)だった。銅伯の野望は会津を取り戻すことにあり、精鋭「会津七本槍」を従え、娘のゆら(舞空瞳)を明成の寵姫としていたのだ。7人の女たちは十兵衛や沢庵に助けられながら「七本槍」を順に倒し、いよいよ銅伯との対決の時が迫る…(以下、内容の詳細に触れるので、ネタバレにはご注意ください)。

◆柳生十兵衛は礼真琴のハマり役だ

 じつは原作を読んだとき、不安は感じつつも「これは案外タカラヅカでもいけるかも。今の星組に合うかも」と思わないでもなかった。なぜなら、読み進めるとき十兵衛を「星組トップスター・礼真琴」に脳内で変換する作業があまりにスムーズだったからだ。

 圧倒的な強さを誇る武芸者でありながらも、無頼に生きる自由人であり、いつも冷静沈着でありながらも、どこか温かみがあってユーモラスなところもある。その緩急自在さに心惹かれずにはいられない男性だ。そんな柳生十兵衛というキャラクターは予想以上に礼真琴に合うのではないかと感じたのである。

 さらに「これは案外タカラヅカでもいけるかも」という思いが確信に変わったのは、最後の一行を読んだときだった。この小説の最後は、十兵衛のセリフ「俺だけが弔ってやらねばならぬ女がいる」で締め括られる。何とまあタカラヅカらしい終わり方ではないか。

 そして迎えた初日、舞台上には脳内で想像してきた通りの柳生十兵衛がリアルに現れた。そして、幕切れも期待どおりのものだった。

 敵対する立場にありながら、十兵衛に惚れ抜く妖姫ゆらを、トップ娘役の舞空瞳が演じる。その豹変の過程は原作小説でもやや唐突ではあるのだが、舞台なら意外と説得力を持って見せられるのではないかと期待している。

◆愛月ひかるが見せる「滅びの美学」

 十兵衛と対峙する会津藩のラスボス的存在・芦名銅伯を演じるのが、本公演で退団する愛月ひかるだ。じつはこの芦名銅伯はとても秘密が多い男である。物語の後半でこれらが明らかにされていくくだりがやや拙速でわかりにくいので、以下にまとめておこう。

  1. じつは銅伯は高僧・天海と双子の兄弟である。しかも、いずれかの命がついえたとき、もう一方の命も尽きる宿命にある。
  2. 双子に生まれながらも、仏教界の頂点にある天海と野望のため手段を選ばない銅伯はいわば究極の「善」と「悪」の象徴のような存在である。
  3. 沢庵にとって天海は大恩人であり、徳川幕府にとっても要人である。したがって、1の宿命がある限り沢庵は銅伯を討つことができず、十兵衛らも窮地に追い込まれる。

 作品の世界観からエロと暴力が取り去られた分、影の支配者である銅伯の禍々しさも減退せざるを得なかったのは残念なところだ。その分、若き日の銅伯の立ち回りなど、タカラヅカらしい見せ場が設けられている。天海との二役の演じ分けも舞台ならではの趣向だ。

 愛月ひかるといえば白い役から黒い役まで、これまで演じてきた役の振れ幅において右に出るものはいないと言っていいくらいだ。その経験値を活かしてタカラヅカらしい銅伯を作り上げ、「滅びの美学」を表現してくれるのではないだろうか。

◆タカラヅカ的な固定観念の真逆をいく面白さ

 この作品、「意外とタカラヅカ向き」であると同時に、これまでのタカラヅカと一味違う斬新さも持ち合わせている。なぜなら「二枚目スターは基本的に善い人を演じる」「男役が中心で、娘役はあくまで男役に寄り添う存在」という、タカラヅカ的な固定観念の真逆をいっているからだ。本作に限っては「二枚目スターはほぼ悪人」であり「娘役たちが男役を打ち倒す」のである。

 星組期待の男役が勢ぞろいする「会津七本槍」はいわば悪の「戦隊ヒーロー」といったところ。衣装や髪型もそれぞれ奇抜で、見比べるのも楽しい。彼らが悪ガキの如く暴れ回る姿は爽快でさえあり、悪の世界にいざなってくる感じが『BADDY』を彷彿とさせる。

 平賀孫兵衛(天華えま)の槍や鷲ノ巣廉助(綺城ひか理)の拳法など、それぞれの得意技を披露する立ち回りも見せ場だ(せっかくなら香炉銀四郎にも霞網を投げて欲しかった)。七本槍のリーダー格・漆戸虹七郎(瀬央ゆりあ)と十兵衛との最後の対決は迫真に迫る一人ひとりの個性が立ってくれば、もっともっと面白い存在になりそうだ。

 この「七本槍」を、可憐な娘役たちが勇ましい出立ちでなぎ倒していくのである。堀一族の女に限らず、女だけの力で仇を討たせようとする千姫も、会津藩で虐げられている女たちに至るまで、とにかくこの作品は女性が強いのが気持ちいい。その点でも、女性のみのタカラヅカに相応しい作品であるような気がする。

 ストーリーの展開自体は原作に忠実なだけに、登場人物もほぼ原作どおりだ。ただし犬は出てこず同名の少年たちが登場する。また、会津藩主・加藤明成の悪虐ぶりは相当マイルドにされており、人の良ささえも感じさせる。原作と最も違うのは沢庵に付き従う7人の僧たちだろう。特に多聞坊(天飛華音)は、いかにも「明るく健全な」タカラヅカ版らしいオリジナルキャラクターである。

 脚本・演出を担当した大野拓史氏は、山田風太郎作品について「表面的な部分をそぎ落とすと、実に健康的な倫理観と、非常に人間的なドラマ、そしてシンプルに格好良い人間像が浮かび上がる」、そして「枝葉を切り落として、しっかりとした幹を使えば、宝塚歌劇の世界にマッチさせることができると思っている」と述べている(公式サイトより)。

 初日の舞台を観て、この作劇意図に改めてうなずかされた。不安は払拭され、タカラヅカ版『柳生忍法帖』は成立しうるのだと確信できた。細かな見どころが多く、それぞれの役に伸び代がありそうな分、これからまだまだ進化し成熟していく作品なのではないかと思う。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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