女子高生の冗談で金融機関が潰れかけた、豊川信金事件
普段私たちは、何気なく多くの雑談を繰り広げています。
しかし中には何気ない雑談により、とんでもないことが起こってしまったことさえあるのです。
この記事では女子高生の冗談で金融機関が潰れかけた、豊川信金事件について紹介していきます。
女子高生の冗談に、どんどん尾鰭がついていく
1973年12月8日、女子高生2人が、豊川信用金庫に就職が決まった同級生に「信用金庫は危ないよ」と冗談を言いました。
この冗談は「信用金庫には強盗が入る」という意味だったものの、Aはこれを真に受け、その日の夜、親戚に「信用金庫は危ないのか?」と尋ねたのです。
ここから噂は連鎖的に広まり、最終的には12月13日には「豊川信金が倒産する」という噂が広範囲に拡散される事態になりました。
預金者が窓口に殺到し、約5000万円が引き出され、噂は時間と共に誇張されていったのです。
札束を展示して収拾を図った豊川信金
12月14日、豊川信用金庫は事態の収拾を図るため声明を発表したものの、その内容が曲解され、パニックがさらに拡大しました。
「1万円以下は切り捨てられる」「利子が払えないのは経営が危ないからだ」などのデマが飛び交い、状況は悪化したのです。
また「職員が5億円を持ち逃げした」「理事長が自殺した」といった二次デマも広まり、預金者の不安はピークに達しました。
マスコミは14日の夕方からデマであると報じ始め、翌朝には大々的に取り付け騒ぎを沈静化させようと努めたのです。
同時に、日本銀行も介入し、考査局長が記者会見で「経営に問題はない」と表明します。
名古屋支店を通じて現金を豊川信用金庫に大量に供給し、預金者を安心させるため、本店の大金庫前に現金を山積みにして見せたのです。
また、「いくらでも払い戻せます」という告知を出し、預金者に積極的に出金を勧めることで、経営の安定性をアピールしました。
さらに、財務局とのやり取りを店内で放送し、預金者の不安を和らげるための工夫を凝らしたのです。
12月15日には、全国信用金庫連合会と全国信用金庫協会が連名でビラを張り出し、常務理事が預金者を説得するなど、信用回復に向けた対策が講じられました。
こうした努力の結果、騒動は徐々に沈静化していったものの、一部では新聞報道によって事態を知り、遅れて預金を下ろしに来る人もいたのです。
その後、警察はデマの伝播ルートを解明し、12月16日に発表します。
NHKがその夜に報道し、デマがどのように広がったかが明らかにされました。
17日には各紙が警察発表を報じたものの、一部の人々はなおも「信用金庫は潰れたのでは」と疑念を抱き続け、デマが完全に消えるには時間を要したのです。
パニックの原因は?
この一連の騒ぎは豊川信金事件と呼ばれ、社会学や心理学で取り上げられることも多いです。
豊川信金事件では伝言ゲーム式にデマが広がり、社会不安の中でパニックに発展しました。
当時はオイルショックによる不景気で、デマが広がりやすい土壌があったのです。
また、1966年に隣町で金融機関が倒産した記憶が鮮明だったことも、デマにリアリティを与えました。
さらに、狭い地域社会で同じ情報を繰り返し聞く「二度聞き効果」も信憑性を高めたのです。
また預金保護制度の認知不足がパニックを加速させた要因でした。