機動破壊×セイバーメトリクス。健大高崎の戦略野球
機動力野球のきっかけは恩師の言葉
「機動破壊」という重厚な響きのスローガンを掲げる健大高崎は2011年夏、創部10年目に初めて甲子園の土を踏み、翌2012年の選抜ではベスト4入り。一躍全国区の強豪となった。機動力を駆使して常に心理的プレッシャーを与え続け、波状攻撃によって相手を攻略する。その鮮やかな戦いぶりは大きな話題となり機動力野球の威力を存分に知らしめた。
「機動破壊」の生みの親はアナリストと野球部寮の舎監を兼任している葛原美峰コーチ、機動力野球のきっかけは恩師からの言葉だった。母校である東邦高校でコーチを務めた後、1980年に杜若の監督に就任が決まった際に阪口慶三監督(現大垣日大監督)から餞別として「甲子園には2塁から3塁への盗塁が出来ないと行けない」というアドバイスを送られた。
「師匠から課題をいただいたのが盗塁ということでしたから。当然、選手の数も良い選手もいなかったから徹底して走ることをやったんですね」
機動力野球は徐々にチームに浸透、東邦のBチーム相手にホームスチールを決められるレベルにまで達し、愛知県の中では足を使った奇策を用いるチームとして知られるようになった。機動力野球に手応えを感じ、四日市工業のコーチを務めていた2005年にはすでに「機動破壊」という言葉を考え付いていたという。
「機動破壊」は元々四日市工業のB戦のテーマだった
四日市工業は公立校ながら強打を武器に1999年秋の神宮大会を制すなどしたが、その後思うように勝てない時期が続いた。その頃に「盗塁も攻撃の1つの分野。打てなくなった時に見直すのはここしかないな」と考え、指揮を執っていたBチームの練習試合前にこの場面ではこの戦法、カウントがこうなったらこれ、という情報を全員に共有。その中の決まり事で「塁に出て3球以内に走らなかったら交代させる」というものがあった。もちろん失敗するのは織り込み済みだ。アウトになっても怒られない、牽制アウトも怒られない、すると選手はどんどん良い走塁をするようになっていったという。
「これは使えるなと思って知り合いに『足を使った攻撃をやってる』と言うと判で押したように『盗塁ですか?エンドランですか?』って。盗塁から入ったんですけど盗塁は1つの手段であって俺の思ってる機動力というのはそうじゃないんだ。何かいいのは無いかなと考え抜いて出したのが"機動破壊"これなら何となくその後ろの大きなもんがわかるよなって」
健大高崎が甲子園の大舞台で轟かせた「機動破壊」、このスローガンは元々四日市工業のB戦のテーマだったという。
機動破壊で甲子園へ。セイバーメトリクスとの出会い
健大高崎には約10年前から外部コーチとして指導に携わり、ここでも中々結果が伴わない時期に機動力野球を提案。チーム方針を切り替えた1年後、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。群馬大会決勝の高崎商業戦では9盗塁を決め、6試合計28盗塁も新記録。ただ葛原コーチの中に驚きは全くなかった。
「記録も何も全くそんなこと思ってないし、普通の野球をしたら結果的に新記録だとか、相手の監督も『あり得ないことをやられた』と。私の中では至極普通、こうでないとダメだという野球をやったら結果がついてきたみたいな感じでしたね」
好結果が好循環を生み、秋も群馬で優勝。選抜初出場を果たすとベスト4入りを果たした。ただ群馬県の盗塁新記録を樹立しても感慨に浸らなかった男の頭の中に、この時ばかりは大きな疑問が浮かんでいた。
選抜は出場校発表から大会まで約2ヶ月の時間があるため参加校の詳細なデータも雑誌に掲載される。公式戦のみならず練習試合も全て含めた32校の秋の成績を分析した結果、ベスト4入り出来るだけの力はなかったという。打率や防御率は決して悪くはないものの飛び抜けて良いわけでもない。OPSを見てもやはり32校中真ん中付近。「ここがどうしても納得いかない。ベスト4になったからいいじゃないかじゃなくて、何でなんだということを根掘り葉掘りやってきてここだけポーンと入ったんですよ。ここでしたね。これ以外、上位何も無いです」数ある指標の中で唯一、三振を1つする間に四球をいくつ選んだかを示すBB/Kだけは大阪桐蔭、浦和学院に次ぐベスト3だった。
「あ、こういうとこなんかと気付かせてもらえるのがセイバーメトリクス」
葛原コーチがセイバーメトリクスを知ったのはテレビ番組がきっかけだった。
「始まりは岡島が特集されているのをテレビで観て、なんじゃこりゃと。それを知ってから勉強して、衝撃でしたね」
2007年に日本ハムからレッドソックスに移籍した岡島秀樹の2006年の成績は55試合に登板して2勝2敗4セーブ、防御率2.14。間違いなく好投手としてチームに貢献しているが、NPBで他を圧倒する成績を残して海を渡った他の日本人投手達と比べるとやや物足りない感は否めない。レッドソックスが獲得の決め手としたのは四球を1つ与える間にいくつの三振を奪ったかを示すK/BBの高さだった。3.5以上で優秀とされるこの指標で2006年の岡島は4.5を記録。メジャー1年目も66試合に登板して3.71という高数値を残し世界屈指の強打者達を牛耳った。
低予算チームであるアスレチックスの快進撃を描いた「マネーボール」でも有名になったが、セイバーメトリクスが評価するのは打率よりも出塁率。なぜなら得点との相関関係がより高いから、という非常にシンプルかつ合理的な理由だ。健大高崎でも四球や出塁率が重要視されている。2014年には前年に2年生エースとして甲子園優勝を成し遂げた前橋育英の高橋光成(現西武)を2死走者なしから一挙6得点のビッグイニングで攻略したが、そのきっかけを作ったのがセイバーメトリクス好みの選手だった。
四死球獲得能力で日本一投手を攻略
2点ビハインドの7回2死、8番打者が追い込まれてから普通なら振ってしまうような球を見極めて四球で出塁する。この時点では夏の大会無安打で打率は.000、ただし四球獲得能力を示すIsoDが非常に高く使い続けてもらった選手だ。これをきっかけに満塁とするとチームでダントツの死球王が押し出しの死球を受け1点を返す。この後クリーンアップに連続適時打が飛び出すなどして一気に試合をひっくり返した。
四球を選べるというのは打者の重要な能力であり、進塁や安打の可能性を生まずただ単にアウトカウントが増えるだけの三振は完全なる打者の負け。統計学の観点から野球を評価、分析するセイバーメトリクスはそう考えている。健大高崎の選手も三振と四球が評価されるというのはわかっているから打撃練習でも打球を真横に飛ばしファールを打つ練習をこなす。セイバーメトリクスは客観的な数字のみで判断するという性質上、メジャーリーグで導入されているような最新鋭の設備でもない限り、痛烈な打球を体を張って止めた執念のプレーも正面の平凡な打球を処理したプレーも同じく「捕殺1」という評価でしかない。その一方で打率は低いけど三振は少なく四球を選べるというこれまでの常識ならベンチ争いの段階で脱落していたかもしれない選手にも活躍の場を与えてくれる。セイバーメトリクスの導入で指導者の意識も変わり、打力以外の部分を評価され出場機会を得る選手も出てきたという。
「数字は冷酷なんだけど、温かみもいっぱいあるんだよね、その中には。非力だって使われるんだから。A戦B戦C戦全部1打席も逃さずつけてるから。特にB戦C戦行くやつには言うんだけど、監督には見てもらえてないぞと。お前らが残すのは数字しかない、だからお前らは数字にこだわらなきゃダメだ。お前達の一投一打は1つも無駄にしないから何とか数字残せ、そう言うと真剣度が違ってきますよね」
青柳博文監督は普段Aチームの指導を担当しているため、BチームCチームの選手がアピールするには数字が全て。毎年12月末に行われる沖縄合宿の初日、3時間のミーティングで使われる資料「健大高崎 データ・ファクトリー」にはセイバーメトリクスを含む各指標のランキングや先輩達との比較、葛原コーチのコメントなどが並び、文量は約120ページにも及ぶ。
セイバー継投でノーヒットノーランを達成
継投の順番を判断する際にもセイバーメトリクスが有用だった。スターターを任されたのはWHIPの優れた投手。WHIPは(被安打+与四球)÷投球回で計算され、投球の安定感を示す。防御率が結果であるのに対し、WHIPは投球の中身だ。この数値の良い投手は大崩れすることが少なくゲームメイク能力に優れる。後半のイニングで最も痛手となるのが四球。そこでBB/9の少ない投手をセットアッパーに、最後は岡島と同じくK/BBの優れた投手をクローザーに配置し、2014年夏はこの3人の継投により群馬大会決勝でノーヒットノーランの偉業をやってのけた。
盗塁はするべきではない?分岐点は成功率70%
経験に基づく感覚とデータによる裏付け、この継投はその成功例の1つでありそれは健大高崎の十八番、盗塁に於いても然りだった。実はセイバーメトリクスで盗塁はリスクの大きい作戦とされており評価は高くない。盗塁の得点価値が0.17点であるのに対し盗塁刺は-0.40点と失敗時のマイナスが大きく、むしろ仕掛けない方が良いとさえ考えられていた。岡島のメジャーでの成功要因を特集したテレビを観て以来、貪るようにセイバーメトリクスの知識を吸収する過程で突き付けられた衝撃の事実。
「そんなバカなと思いました。モヤモヤしたままやってました。なんでかなと思いながらやってました。でも、絶対に効果的でした」
葛原コーチの中では間違いなく盗塁は有効に機能しているという実感があった。その答えはレギュラークラスならほぼ全員が7割を超え、上位の選手は8割を超えるという非常に高い盗塁成功率だったからだ。盗塁はしない方がいい、そう示したセイバーメトリクスも成功率が7割以上なら有用性を認めており、健大高崎がグリーンライトで走らせていたのは結果的に7割以上の選手ばかりだった。そして盗塁だけが機動破壊の要素ではない。10月上旬に行われた練習試合では4点リードの7回、先頭打者が四球で出塁すると次打者がライト前に安打を放ちスタートを切っていた1塁走者は悠々3塁へ。理想的なエンドランでチャンスを拡大すると無死1、3塁からセーフティスクイズで加点する。この時も1塁走者はスタートを切っており、1塁への送球間に3塁へ到達。1死3塁からのワイルドピッチで生還し相手投手の代わり端を足を使って叩き、ダメ押しの2点を奪った。この攻撃の起点となったのは9番・セカンドの小柄な俊足選手。四球を選んだこの回以外の3打席は走者の有無にかかわらず全てセーフティバントを試みており打力が抜きん出ているわけではない。ただ四球獲得能力が高くスタメンに抜擢されていた。健大高崎は四球を投手の乱調やミスとして待つのではなく、意図的に取りにいっている。
機動破壊×セイバーメトリクス。目指すのは戦略的な野球
また、四球獲得と同じく三振回避にもチームとして強いこだわりを持つ。象徴的な試合が2015年夏の甲子園3回戦の秋田商業戦、ベスト8入りを懸けて2回戦で16奪三振を記録したキレ抜群の左腕エース・成田翔(現ロッテ)が立ちはだかった。「ああいうピッチャーは三振取る度にアドレナリンが出るからどれだけ三振しないか、どれだけファールを打てるか、どれだけ球数を投げさせるか」と三振しないことをテーマに掲げ試合に臨んだ。葛原コーチの思惑通りファールで粘って球数を投げさせ、8回に2点のビハインドを追いつく。惜しくも延長10回の熱闘の末敗れたが、2か月後にはドラフト指名を受ける好投手を相手に互角に渡り合った。
「自分の中ではベストゲームに近い試合だったんだけども、高校生で打ちたい、目立ちたいっていうやつらが一生懸命ファール打って、球数投げさせて。161球投げさせて8回に同点に追いついて、うちのピッチャーも5者連続三振にしたり完璧だった。最後の最後にやられたんだけども私の中では敗戦の中ではベスト3に入る敗戦。涙が出てくるような素晴らしいゲームをやってくれた。三振しないということがいかに相手を苦しめるか、これもセイバーの教えでもありますけどね」
現在のチームは3年生に力のある選手が揃っていたため、野手陣総入れ替え。単純な個々の能力なら大型チームには及ばない。旧チームからベンチ入りしていた主戦投手も140キロオーバーのストレートをガンガン投げ込むわけではなく、カットボールを駆使して内野ゴロを打たせるタイプ。ただこういうチームが葛原コーチ好みでもある。
「監督からしたらでかい選手揃えて空中戦を腕組んで眺めてるっていうのみんなやりたいでしょうけど、中々そうはいかないけどね。俺はそういうチームを倒す方が好きなんだけどね、卓球で言えばカットマンみたいなチームでね。戦略的な野球をやりたい。目に見えない準備とか犠牲になる部分、秋田商業の試合でやったのがまさに戦略なんですね。機動破壊で牽制アウトもありますけど、それで相手が足を意識するようになる。犠牲になる部分じゃないですか、無駄ではない。だからそういう戦略的な野球をやりたいですよね」
今秋は残念ながら県下のライバル前橋育英に敗れ、来春の選抜出場は叶わなかった。もし来年の夏、甲子園出場を果たしタレント揃いのチームに勝利すれば傍目にはジャイアントキリングに映るだろう。その陰にはセイバーメトリクスに精通した名参謀のしたたかな戦略が隠されているに違いない。
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