「私たちの社会が生んだテロリスト」ノルウェーの反省と模索
22.7 ノルウェーが受けた衝撃
2011年7月22日、アンネシュ・ブレイビクはオスロの政府庁舎前で爆弾を爆発させ、8人が死亡。その後、ウトヤ島で労働党青年部のキャンプに参加していた若者を無差別に銃撃し、69人が命を落とした。
事件はノルウェー社会を震撼させた。しかし、「憎悪に飲み込まれてノルウェーが変わったら、ブレイビクの狙い通りになる」という思いが社会で一斉に広まる。
「民主的な社会であることを変えようとしない」姿勢や、「これはブレイビクという個人のエラーではなく、ブレイビクを生んだのは私たちの社会」という考え方は、国際的には驚きをもって受け止められた。
しかし、そうした決意とは裏腹に、悲劇は再び繰り返されることになる。
25.6 新たな形での恐怖
2022年6月25日、オスロのナイトクラブと同性愛者に人気のパブが銃撃され、2人が死亡、23人が負傷した。犯人ザニアール・マタプールは、ノルウェーで初となる加重テロ罪で30年の拘留を言い渡された。
2024年、マスード・ガラカーニ国会議長は事件後、「Aldri igjen(アルドゥリ・イェン)、『もう二度と起こさせない』と誓ったはずなのに、テロは異なる形で命を奪っている」と語った。
社会的反省と模索、教育の限界
ノルウェーでは「ブレイビクを生んでしまったのは政治と社会だ」という認識があり、社会全体の反省が重視されてきた。教育要綱には「テロリズムや大量虐殺の原因と結果を議論し、どう防ぐかを考える」と明記されているが、現実には「話しにくい」という課題が残る。
また、教育の限界も浮き彫りになっている。過激化する市民の中には、学校教育を終えたの50代や60代も含まれるのだ。この世代は22.7後のアップデートされた教育は受けてはいない。
労働党青年部代表のアストリッド・ホルム氏は強く訴える。
「ブレイビクだって学校に通っていた。それでも過激化した事実を忘れてはいけない。そもそも、『テロはダメだが、彼の移民に関する主張には理解できる』という発言をする人がいること自体、異常です。」
とにかく前進しようとするノルウェー社会の風潮
ノルウェーには「å gå videre(前に進む)」という表現がある。過去の出来事を終わらせ、未来に目を向けるという意味だ。しかし、これがテロで傷ついた人々にとっては過酷な風潮ともなる。
筆者自身も、悲しみの最中に「オー・ゴー・ヴィーデレしなきゃ」と言われた経験がある。「まだ悲しんでいるのに」と、違和感を覚えた移民は少なくないだろう。
ホルム氏は、テロの背景にある問題として「言論の自由」や「男子の弱体化」、さらには「労働党青年部やイスラム教徒には狙われるに値する理由がある」という考え方に激しく異議を唱える。
「攻撃されるのは女性やマイノリティだということを忘れないでください。みんなに責任があるのです!」
社会全体の責任と模索
2011年の22.7事件以降、ノルウェーは民主主義教育や対話を重ねてきた。しかし、2022年6月25日の事件が示すように、社会の分断や憎悪は依然として根深く残っている。
「フラ・ウール・ティル・ハンドリング(言葉から行動へ/Fra ord til handling)」というノルウェー語は、「憎悪やヘイトスピーチがいずれは行動に繋がる危険性」をリマインドする。しかし、その対策は不十分なままだ。
ノルウェー社会は、暗闇の中を模索しながら進もうとしている。「テロリストを生んだのは私たちの社会だ」という前提を受け入れ、教育だけでなく、社会全体でどう向き合うかが問われている。その姿勢には、個人の自己責任論が強い日本社会にも学ぶべき点があるのではないか。