「核を軽く語る」人が増える現代に必要な「想像する力」
NATO加盟国であるノルウェーでは、核兵器に関する議論が定期的に行われる。しかし、被爆者の証言を直接聞く機会はほとんどない。
12月10日のノーベル平和賞授賞式に合わせ、日本原水協とNGO「ピースボート」の企画で約30名の被爆者がオスロを訪れた。その前日、ダイクマン公共図書館で行われた被爆証言の会。14歳で広島で被爆した橋爪文(はしづめ ぶん)さんはこう語った。
「緑が人間に生きる力を与えてくれる、命の色、生きる色だと実感しました」
核兵器によって一度は色を失った広島に、新しい草が芽吹いた。
この言葉を聞きながら、筆者は「もっと多くのノルウェー市民に届けたい」と感じた。ノルウェーは自然豊かな国なので、環境の議論には熱くなる人が多い。橋爪さんの言葉は、きっと「自分ごと」として想像しやすく、捉えやすかっただろう。
「平和=兵器」を唱える人の増加
「ロシアの脅威」や「戦争の恐怖」が現実味を増す北欧諸国では、「平和を守るために兵器が必要だ」という考えが広がっている。これは、核兵器の「現実」を想像するための教材や体験が圧倒的に不足しているからではないだろうか。
オスロの中学生や高校生たちはこう言った。
ノーベル平和センターの教育担当者も指摘する。
「ロシアの恐怖」は想像しやすい。しかし、「核兵器の恐ろしさ」はあまりに遠く、実感がわかない。その「想像力の欠如」が、核を軽く語る人を増やしてしまうのではないか。だからこそ、折り鶴や被爆証言、被爆樹木の種など、想像力を掻き立てる「きっかけ」が必要なのではないか。
対面での対話が育む想像力
被爆者の田中熙巳さんは記者会見で語った。
オスロで被爆者の方々の証言を聞いていると、「想像してみてください」という言葉が繰り返されるという共通点があった。
スマホやSNS、スクリーン越しの話し合いでは、伝わるものには限界がある。
被爆者の松浦秀人さんが「やり返す。被爆者はそんな考えを持っていない」と語ったように、「盾としての兵器」こそが「平和」という論理がまかり通る今こそ、対面での対話が必要なのだろう。同じ空間で言葉や表情、声の震えを感じることで、初めて「核兵器の現実」を想像する力が養われる。
想像する力を取り戻すために
ノルウェーで被爆者の話を聞いた市民や学生は、デジタルでは絶対に得られない体験をしただろう。そして将来、「平和のために核兵器が必要だ」と言われたとき、その言葉を発する前に、被爆者の姿や言葉が頭をよぎるはずだ。
そもそも「想像する」ためには、ツールが必要だ。 被爆証言、被爆樹木、対話の場などがなければ、核兵器の使用を軽く語る人は増え続けるのではないか。人々の想像力を刺激する「きっかけ」が、今の時代にこそ必要なのではないか。今回のノーベル平和賞が、より多くの人が想像するための取っ掛かりになってほしいなと思った。