トム・クルーズと同い年。是枝裕和監督「集大成は、まだまだこれから」
カンヌ国際映画祭で主演のソン・ガンホに最優秀男優賞をもたらした『ベイビー・ブローカー』は、是枝裕和監督の最新作である。
これまでの実績から日本映画界のフロントランナーであるのは間違いないが、彼を「日本の映画監督」などと表現するのは、もはや時代遅れになったと言ってもいいかもしれない。2019年の前作『真実』はフランスで撮影し、キャストもフランスやアメリカの俳優たち。そして今回の『ベイビー・ブローカー』も、ソン・ガンホ、ペ・ドゥナ、カン・ドンウォン、イ・ジウンなど韓国の俳優たちを演出し、ロケ地も韓国。『真実』は日本とフランスの共同製作であったが、『ベイビー・ブローカー』は、もし製作国で表記するなら「韓国映画」ということになる。
しかし●●映画などと国名を冠することに、大きな意味はない。『真実』の時も「日本で撮ろうが、外国で撮ろうが、映画は常にチャレンジ。例えるなら『筆記具を変える』感覚で、書くのは自分だけど書体やリズムが違ってくる」と語っていたように、撮る場所や言語は最重要課題ではない。もちろん海外で映画を撮るハードルは高いが、是枝監督のキャリアを考えれば、こうした流れは自然のことである。
「『真実』の後に日本で撮ろうと思っていた作品がありましたが、それがコロナの影響で飛んでしまい、先に『ベイビー・ブローカー』を作る流れになりました」と、海外での作品が2本続いたのも、たまたまであったようだ。
しかし、当然ながら海外で撮る作品が続き、新鮮な何かを得られたのも事実だろう。『真実』をフランスで撮った経験が、おそらく今回も生かされているに違いない。
「もちろんフランスと韓国ではいろいろ状況が異なりますが、言葉の壁は、ある程度超えられる実感は持ちました。ですからフランスと同様、今回も僕の言葉を理解してくれる通訳の方に現場に入っていただいたり、万全な態勢を整えられたのは大きかったです。『真実』は、家など屋内を中心にしたドラマで、知らない場所で生活者目線の映画を撮らなくてはならなかった。これは不安要素です。でも今回はストーリーとして旅人の目線で撮れたことで、その不安は少なかったと思います」
「言葉の壁」は乗り越えられるーー。もちろん通訳の助けは有効だが、母国語以外の微妙なニュアンスを理解するのは難しい。しかし是枝監督は、言葉の壁があったからこそ、新たなアプローチを知ったと次のように語る。
「言葉そのものの使い方は(俳優に)任せるしかないので、その周辺にあるものでジャッジします。ニュアンスをどうつかまえるか。その作業に意識を割くわけです。そうすることで判断がぶれることもありません。この意識はフランスで経験し、韓国ではより密度が高く達成できた気はします。結果的に『ベイビー・ブローカー』の後で日本で演出した際も、役者さんのセリフ以外で周辺のニュアンスにも自分の意識が向くようになった。現場での視野が広がったのは、自分にとっても面白い変化で、監督として成長したと感じました」
この『ベイビー・ブローカー』は、子供を育てられない人が頼る「ベイビー・ボックス(赤ちゃんポスト)」を発端に、登場人物たちの間で疑似家族のような絆が育まれていく物語。明らかに『誰も知らない』や『そして父になる』、『万引き家族』とのリンクも感じられ、是枝監督の集大成的な印象もあるが、そんな言葉を向けると「『万引き家族』の時にも集大成と言われた気がして……。自分ではまだまだ撮れるし、集大成は撮っていないと断言できます」と笑う。
疑似家族という点では、映画製作のチームと共通性もあるのではないか。ひとつの目的に向かって結束が強くなり、やがてそれぞれの人生へと別れていく。是枝監督も自作のテーマと、現場で生まれる絆が結びついたりするのだろうか。
「言わんとすることはわかりますが、考え過ぎですね(笑)。もちろん映画の現場が、血縁に頼らない疑似家族的な共同体になっていくのは毎回、感じています。今回の『ベイビー・ブローカー』では現場に赤ん坊が1人いて、さらに言うことを聞かない子供がもう1人(ヘジンという役名の少年)。その2人の世話をする時間が長く、大人たちの協力体制が生まれました。(いつものとおり子役に対して)セリフは台本を渡さず、口述で演出するのですが、ヘジン役は順応性が高く、撮影が進むにつれてシーンの意味合いも理解するクレバーな子でした。ただ、カメラで映されていない時間は『この子がクラスにいたら学級崩壊』というほどやんちゃで、ある時はカン・ドンウォンさん、ある時はイ・ジウンさんが相手になってなだめ、スタッフも順番に面倒をみたりするほど。僕のキャリアでもいちばん大変な子役でした(笑)」
撮影監督を務めたのは、ポン・ジュノ作品などで知られるホン・ギョンピョ(日本映画『流浪の月』も担当)で、「フィルムの感覚が染み付いている人なので、デジタルで撮ってますが、“光”で描く、あるいは“闇”で描くセンスが感じられた」と振り返る。また『空気人形』以来の起用となるペ・ドゥナについては「何かしながらセリフを言うのがとてもうまい。ですから(劇中で)いっぱい食べてもらいました」と、俳優の持ち味を生かした演出を明かす。
この『ベイビー・ブローカー』の後、Netflixのドラマ「舞妓さんちのまかないさん」を手がけた是枝裕和監督も、今年の6月、60歳を迎えた。映画監督としては今後も活躍を期待されるし、強引に結びつければ、『トップガン マーヴェリック』という新たな代表作を放ったトム・クルーズも今年7月で60歳。「集大成はまだまだ」と話すことから、年齢との向き合い方で思うところはあるのだろうか。
「肉体的には当然、落ちてきていますが、そこは経験で補えたりしています。スタッフが育っていますし、撮り方も変わってきているのでしょう。30代や40代の頃は、その日に撮影した映像を夜中に編集し、翌朝までにリテイク(撮り直し)のカットを考えたりしました。今は現場で撮りこぼしている感覚もないので、夜はちゃんと寝ます。うまくやれているんじゃないでしょうか。韓国の映画界では60歳だとリタイア間近と思われるみたいですが、日本の状況だと60代は“まだまだこれから”という感じですよね」
今後の海外での活躍も「まだまだこれから」なのかもしれない。ハリウッドでの監督作も視野に入っているはずだ。
「フランスでイーサン・ホークと仕事をしてみて、やはり素敵な方でしたし、(ハリウッドで)撮りたい役者さんもいるし、『万引き家族』でアカデミー賞授賞式に出席した時に声をかけてくれた役者さんもいる。そういう人たちと何かを撮れるチャンスがあれば、と考えています」
海外で映画を撮ることは、もちろん作品自体の新たな可能性を広げるわけだが、一方で俯瞰的な視点で日本の映画界を見つめ直すチャンスにもなる。
「世界基準で見た時に、日本の映画界には特殊で面白い部分もあれば、遅れているマイナス要素もあります。そのあたりをどう捉えるべきか。日本で作品を撮る場合は意識しますし、変わらざるを得ない日本の映画界の状況に対し、自分が次の世代のために何を果たせるのか。海外で撮ったことで、そこはより強く考えるようになっています」
『ベイビー・ブローカー』
6月24日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
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配給:ギャガ